good morning

素材提供:NOION様


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「誰よりも、そばにいる」

(1)雨宿り

 寸前のところで、自転車から転がり落ちそうになって、逢理(あいり)は悲鳴をあげた。目の前の遮断機は耳障りな大きい音を立てて、踏み切りを閉じてゆく。
 逢理の前には転んでしりもちをついている奏大(そうた)がいた。
「奏大だったの? びっくりした……急に飛び出てくるから、ぶつかるって思ったよ!」
 自転車は横になり、後輪をカラカラ回らせていた。
 逢理は奏大のそばに走り寄ると、彼の顔を覗き込んだ。
 しかし、奏大の方はパンパンとデニムのパンツのホコリを落とすと、ゆっくり立ち上がって言った。
「俺が出てこなかったら、逢はギリギリでも踏み切りに飛び込んでたろ」
 明るい緑色のパーカーの上から、そっと腕をさすっている彼は、逢理にだけわかる程度の微かな笑顔を浮かべていた。

 雨が降りかけていた。
 空がどんどん暗い灰色に変わってゆく。
「だって、急いでたんだよ」
 ポツリと逢理の頬に滴が落ちてきた。
「言い訳しない。危ないことはすんな」
 大粒の雨に、奏大は迷惑そうな顔をして空を見上げた。
「なによ、いっこ年上だからって、お兄ちゃんみたいに」
 少し横を向いて、逢理は小さな声で言い返した。
 大きな踏切の音に紛れて、彼女の声は奏大には届かなかった。


 春の雨は優しい。
 しずかな音を立てて、すべてをぬらしてゆく。
 線路の脇に続く草っ原や、少し離れた川の石をぬらして、春の匂いを運んでくる。
 奏大は逢理の自転車を起こし、踏み切りのそばにある酒屋の前へと運んだ。
 逢理は奏大の後についてゆき、酒屋の店先の日よけの下で雨をしのいでいた。
「こんちはー。雨宿り、いいっすか?」
 奏大はそう言って、酒屋の中に声をかけた。
 その店の50代の大柄な主人は、店の表に立っている二人のそばにやってきた。
「よお、奏大、あいにくの雨だな。で、大学の方はちゃんと行ってるかぁ?」
 奏大は頭を下げて頬を掻いた。 

 この主人は、奏大の同級生の父親である。奏大のことはよく知っていた。
「なんだ、今ひとつってところか? うちのコウジもなぁ……」
 主人は奏大の背中をトントンと叩いた。
 主人と奏大はほとんど背が変わらない。
「コウジは俺より10センチも高くなりやがったが、奏大は俺と同じくらいで、かわいいもんだな」
「アイツ高校1年で180超えてましたよね、デカ過ぎですよ」
 奏大は瞳を輝かせて、友の話をした。
 話をしていてふと、少し肌寒いと感じた奏大は、隣の逢理の方を見た。
 奏大の顔を見ていた逢理と目が合った。
 彼は、パーカーを脱いで彼女に渡した。逢理は襟ぐりの大きく開いた薄いカーディガンを着ていただけだった。
 大きなパーカーを受け取った逢理が、目を丸くして困っていると、
「新品だから、キレイだから、着ろ」
と、奏大がぶっきらぼうに言った。

 すると、主人が逢理の存在に気付いた。
「おや、逢ちゃんもいたのか。」
 挨拶しそびれた逢理は、言葉に困り、悪戯っぽい笑顔を浮かべて言った。
「奏大は、けっこう授業サボってますよ」
 逢理は、奏大が貸してくれたパーカーをぎゅっと抱きしめたままの姿だった。
「奏大、サボってるのか?」
「それはバイトと野球で……。でも、逢だって似たようなもんですよ」
 奏大は逢理の方を見ないで、ボソボソと漏らした。
「なんだ、相変わらずだな、おまえたち兄妹は」
 主人は二人をからかうつもりで、わざとそう言った。
 しかし、奏大も逢理も兄妹という言葉に、何も言い返さなかった。
 反応がなかったことに、少し気抜けしながら、主人は続けた。
「小学校から大学まで一緒に仲良く通うとは。本物の兄妹以上か」
 主人の笑い声が並んで立つ二人に大きく響いた。

 奏大は、まるで先生の前で立たされている中学生のように、ピッと背筋を伸ばして主人の言葉を聞いていた。
 逢理はというと、反対に、困ったようにして、うつむいていた。
 そして、抱きしめていたパーカーを、そっと奏大に返した。
 奏大は受け取らず、ただ、前を向いていた。
 静かな雨は、次第に上がっていった。
 辺りは明るくなり、雨雲が遠のいていったのがわかった。

 逢理は自転車をそっと店先から動かし、道路へと出た。
「おい、逢……」
 奏大は慌てて彼女の後について、まだ小雨の舞う空の下へ出た。
 逢理は自転車にまたがると、
「じゃね、おじさん」
とだけ言い、奏大の顔を見てまた悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「奏大、風邪ひくよ!」
 逢理は奏大にパーカーを投げつけた。
 驚いてキャッチする奏大を置いて、逢理は自転車に乗って踏み切りを渡って行った。

「気をつけろよ! 雨上がりは滑りやすいぞ!」
 奏大が逢理の後姿に大声で叫んだ。
 逢理は返事の代わりに、前を向いたまま片手を上げて大きく振った。 

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