good morning

素材提供:NOION様


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「誰よりも、そばにいる」

(23)想いをつないで

 突然逢理が言った、「逢いたい」という言葉。
 何をいきなり言い出すんだって、奏大には叱られるのだと逢理は思っていた。しかし、彼は、
「俺も逢いたいから」
と言って、車で出てきてくれた。
 それだけで、逢理はとても嬉しかった。
 同じ気持ちだった。
 逢理と同じ気持ちを、奏大も持っていてくれたんだ。
 それがわかっただけで、満足だった。

 恋人でもなかった2人だから、一度もデートなんてしたことはない。だから、せめて、遊園地のそばで逢いたいと奏大にお願いをした。気分だけでも……。でもそういう気持ちを奏大には恥ずかしくて言えなかった。
 そして、その遊園地の外周を車で走ったとき、柵にもたれて立っている奏大を見かけた。
 少し片脚を曲げて立つ、見慣れたポーズだった。
 胸が高鳴った。そっと傍に行って、おどかしてみようかな。それまでに気付いてくれるかな。
 本当に来てくれたという安堵感が、胸いっぱいに広がった。


 奏大は、逢理に逢うと、何も言わずに抱きしめてくれた。
 こんなに、奏大は力が強いんだな。
 ずっとこのままがいい。
 汗で体の表面は冷たくなっているのに、薄いシャツの向こうで熱い鼓動が聞こえる。奏大の心臓が大きく響いているのがわかる。

 抱きしめられて初めて気付いたことがあった。
 それは、今まで付き合ってきた誰よりも、奏大のことが好きなんだということ。
 ただ傍にさえいられればいいと思っていた自分に、ようやく納得ができる。
 素直になれなかった。傍にいたいとも言えなかった。想いを伝えられなかった。でも、意気地なしなんかじゃない。本当にそれだけ、大好きだったんだ。
 こうして一緒にいられることが、想いがつながったという奇跡が、どれほど幸せなことか、言い表せない。
 奏大に、何か言いたいのに、何も言えなくて、ただ、逢理は奏大の告白を聞いていた。

「結婚してほしい」

 その言葉は、あまりにも意外だった。
 まだ、付き合ってもいないのに。
 しかし、奏大は大真面目な顔だ。

「今、じゃないよね?」
 逢理は恐る恐る聞いた。
 すると、奏大は少し首を傾げて言った。
「それは、今じゃなければ、OKっていう意味?」

 逢理はますます奏大の言葉がわからなくなって、
「今、結婚したいっていうこと?」
と、聞き返した。

「今というか、できるだけ早く……」
 奏大は微かな声で答えた。



 求められることは幸せだ。
 結婚したいと思ってくれていたなんて、逢理は半分は感激していた。でも、半分は戸惑っていた。
 どうしてそんな、急展開?

 車でどこかに行くこともできたが、2人は、奏大の車に乗り、冷たいエアコンの風を浴びた。
 運転席と助手席に座ると、横顔しか見えない。
 春先に酒屋の軒下で雨宿りしたとき、奏大の隣で立っていた。そのときに見た横顔と同じだ。
 遠い。
 兄妹だねって酒屋の主人に言われて、逢理の中では、なんとなく反発を感じていた、あの時。いつだって優しくて、いつだって見守っていてくれて、そして決して逢理の心の中を探ろうとはしない、ほんの少しの冷たさ。
 その遠慮から来る埋められない距離が憎らしくて、結局奏大の前ではかわいい女の子でいられなかった。同じように距離を保っていた。
 だから、急に、こんな急に、好きだとわかってしまったことで、身動きできないでいる。それなのに、結婚したいなんて言われたら、どうしたらいいんだろう。
 薄暗い車の中の、その感情を読み取れない横顔は、逢理の心の問いかけに気付いたのだろう。ようやく、少しだけ逢理の方を向いて、こう言った。
「いきなり、なんでそんなこと言うんだって、怒ってる?」
 逢理は上目遣いで奏大を見た。
「怒ってはないけど」
 逢理の言葉に奏大は少し笑った。

 奏大はやっと告白の理由を告げた。
「俺な、大学出たら福島に就職なんだ。もう後1年半で家を出て、福島に住むことになる」
 なぜアルバイトに福島まで来ていたのか、逢理はようやくそのわけを知った。
 奏大は逢理の視線に耐えられなかったのか、視線を落とした。
「黙っててごめん。言えなかった……」
「ずっと前から決まってたの? 教えて欲しかったよ」
「うん……ごめん」

「でも、海外へ行っちゃうわけじゃないし、福島だったらいつでも会えるよ。ほら、こうして車で落ち合えば1時間だしさ」
 逢理は言った。奏大は黙っていた。
 逢理は心の中で謝っていた。
 ごめんね。奏大にやっと一歩近づいただけなのに、まだ、とても結婚なんて考えられないよ。

 しばらくして、奏大がつぶやいた。
「そうだな」
 その声があまりにも寂しそうだったので、逢理は自分が冷たい人間なのかなと落ち込んだ。奏大は前を向き、青白い月の光に照らされた、綺麗な横顔をまた逢理に向けていた。
 少し会っていないだけなのに、痩せたのかな。逢理はその横顔に見惚れていた。優しい目元が寂しそうな色を漂わせている。今までにも、見たことのある表情。どうしたの、って声をかけたくなる。心配しないで。大丈夫だよ。精一杯の言葉で抱きしめてあげたくなる。
 でも、今の彼の寂しさは、きっと逢理のせいだろう。

「じゃあさ」
 奏大が急に明るい声を出した。相変わらず、逢理を見ようとはせず、前を向いたままだ。
「付き合ってくれる?」
 奏大は、そう言いながら、体を窮屈そうに動かした。
 逢理は順番がおかしいよ、と思いながら、それでも、奏大らしいなと少し笑みを浮かべた。
「うん」
 逢理がそう応えると、奏大は体ごと彼女の方に向きを変え、じっと見つめた。
 逢理はその視線に戸惑った。そんな息のつまるような切ない顔をして、見つめないでよ。何か言ってよ。
 50センチの距離。今まで、もっと近くにいたはずなのに、この、手が届く距離に、胸が痛んだ。
 言葉も無く、音楽も無い。時折通り過ぎる車の音が振動で伝わってくる。エアコンの音やエンジンの僅かな響きがあるだけだった。
 狭い箱の中で、吐き出される冷たい空気は、ただ延々と秒針の動きのように続いている。
 奏大の逢理を見つめる瞳が震えていた。きっと、伝えたい言葉があるのだろうと感じられた。

 奏大はすっと左手を出した。
 逢理がその手に戸惑っていると、
「手、つなぎたいんだけど」
と、逢理の前で掌を見せた。
 その手に自分の右手を重ねて、そっと握ってみた。奏大の大きな手の優しさが伝わってきて、逢理は小さなため息をついた。
 初めて手をつなぐ。子供のときですら、服をひっぱったり、抱きついたりはしたものの、手に触れたりはしなかった。
 手から、どんどん愛情が伝わってきて、不安がすべて消し飛んでしまう。お互いの気持ちが、こんな簡単なことで分かり合えるんだ。

 それから、逢理と奏大はたわいない思い出話を続けた。
 どれだけお互いを見つめてきたか、どれだけ幸せを共有してきたか、あらためてわかった。
 朝まで、あっという間に時間は過ぎていった。



 さすがに朝方、空腹を感じて、2人は近くのファミリーレストランを探して食事をした。車を2台、駐車場に停めて、テーブルでアイスティーを飲むと、なんだか急に夢から覚めてゆくような気がした。
 辺りは明るくなり、奏大の疲れた顔もはっきり見える。
「今日、昼からバイトだよね?」
 逢理は心配になって尋ねた。
「うん」
「寝なくて大丈夫?」
「一日や二日、大丈夫だよ」
 奏大は笑った。
「それより、逢、これからどうする? 俺はもう少ししたら帰らなくちゃならないけど、一緒に福島に来る?」
「え?」
「伯父さんちに泊まらせてもらえると思うよ」
「奏大、明日は休みなの?」
「うん。逢さえよければデートしたいな」
 逢理は迷っていた。今日は土曜日。車は月曜までに父に返せばいい。行こうかな、福島に。奏大と、今は離れたくない。

 すると、そのとき、こんな早朝に逢理の携帯が鳴った。
 見てみると、父親からだった。
「はい?」
『今、福島か?』
「ううん、まだ中間地点。奏大と一緒にいるよ」
『そうか。悪いんだが、急に車がいるようになった。大宮のおばあちゃんが具合が悪くなったって連絡が入ってな』
「え、おばあちゃんが?」
『うん。お前も顔出しといた方がいいと思うから、戻って来れないか?』
「わかった……帰るよ」
 逢理は思わずうつむいた。
 奏大は電話を切った逢理を見て、静かに声をかけた。
「帰る?」
「うん……」
「わかった。またいつでも会えるよ」


 逢理は奏大と何時間一緒にいただろうと考えた。数えてみれば6時間ほどだ。もっと、もっと、一緒にいたかった。せっかく、繋がった気持ちが、また離れてしまうようで、怖かった。
 奏大は、ガラガラに空いているファミレスの駐車場で、逢理の車の傍に立ち、見送ってくれるようだった。
 逢理は、運転席のドアを開け、そしてそのドアの傍に立ったまま、奏大を見た。
 奏大はまたそっと逢理の手を握り、何も言わずに立っていた。
「奏大……」
「うん?」
「また、電話するね」
「うん。いつでも」
「また、会いに来てもいい?」
「うん。いつでも」
 奏大が少し硬い表情を崩して笑った。そんな笑顔を見ていると、逢理は心細くなって、寂しさに支配されて、俯いてしまった。
 そんな逢理の傍で、奏大が、
「逢」
と名を呼んだ。逢理は自然に顔を上げた。
 すると、影が近づき、唇に何か触れた。


 ほんの数秒の甘い口付け。
 胸を締め付けるような。
 全身が痺れるような。
 誰にも感じたことのない感情があふれる。


 離れてゆくとき、彼は寂しげな表情をしていた。

 逢理は、いつまでも憶えていた。
 それらの全てを忘れられないでいた。
 そのときの切なさと、離れたことの後悔を抱きながら。

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