good morning

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「誰よりも、そばにいる」

(26)泣かないで

 大宮に移り住んでからも、逢理は毎晩、奏大の携帯に電話をかけてみた。
 このまま、会えなくなるなんて嫌だった。
 私がここにいること知ってほしい。伝えたい。話したい。
 ずっと、待ってるんだよ。
 そう思いながら、ある日電話をかけると、いつもの『電源を切っている』というアナウンスが、変わっていた。
『お客様のおかけになった番号は現在使われておりません……』
 逢理の中で、何かが壊れた気がした。

 そうして、間もなく奏大が大学をやめたという連絡が来た。
 その事実を知らせてくれた友人は、大学の事務局に問い合わせてくれたそうだが、退学の理由は個人のプライバシーなので教えられないと言われたとのことだった。当然ながら、連絡先も教えてもらえなかった。友人は事務局に頼みに頼み込み、赤沢奏大に連絡を取り、逢理の携帯の番号へと連絡するように伝えてもらった。
「本人ではなく、ご家族からのご連絡でもいいんですね?」
 事務員に言われ、友人は黙って頷き、逢理の携帯の番号を渡した。

 逢理は母に、奏大の実家の電話番号を尋ねた。しかし、近所で顔はあわせるが、逢理とは学年が違うために、連絡網にも卒業アルバムにも載っていないし、住所も曖昧にしかわからないと言う。
 この通信の発達した時代に、電話も手紙も無理なのだ。奏大の家族と連絡を取るには、わざわざ実家を訪ねるしか方法が無いことを思い知らされた。

 逢理は、奏大と、あんなに当たり前のようにそばにいた。
 いつでも会えた。一番近い存在だと自負していた。
 それなのに、実家の電話番号一つ知らず、彼の福島の伯父の住所も知らず、携帯もこれで二度と繋がることはない。
 じゃあ、どうしたらいい? 興信所に頼むの?
 でも、連絡してこないのには、きっとわけがあるはずだった。彼の意思なのか、それとも、環境が許さないからなのか、大学をやめているのに、友達一人にすら連絡を取らないなんて考えられなかった。友達を大事にする人なのに。

 友人が事務局に頼んでくれた日から半月あまり経った。逢理に奏大から連絡が来ることは、期待できなくなった。探すことに戸惑いを感じながら、それでも、何もしないでいる毎日が辛かった。
 逢理は、もう一度奏大の実家を訪ねてみることにした。
 大学の学祭に行くという理由をつけて、逢理は育った街に帰ってきた。
 10月も半ばになれば、肌寒い風が吹く。枯葉が道を埋め尽くしていた。駅で降りる人がやたらと多い。学祭は盛況のようだ。逢理は大学へは向かわず、まっすぐ奏大の家を目指した。
 奏大の家の玄関のチャイムを鳴らした。
 数回鳴らして待ってみたが、やはり誰も出てくる気配は無い。いや、今日は誰かが帰ってくるまで、ここで待つと、逢理は心に決めていた。
 澄んだ青空が、冷たい空気を運ぶ。しかし、日差しはまだ強くて、厚着をすると少し汗をかく。逢理は着込んでいたジャケットを脱ごうかどうしようか迷っていた。
 ふと、何か違和感を感じた。玄関の何かが違う。
 そうだ。ポストだ。ポストが無い。取り外されている。元から表札を出していない家だったから、ポストに貼られた小さな名札が唯一、赤沢家であることを示していたのだが、そのポストが無い。

 ……引っ越ししたんだ。
 逢理は呆然となって、その場に立ち竦んだ。




 店でコーヒーカップを洗いながら、家で音楽を聴きながら、ショップで服を選びながら、少し遠い公園までウォーキングしながら、逢理は自分に言い聞かせていた。
 絶対に、奏大に会うまで、泣かない。


 日曜の朝、母と共に経営している喫茶店は休みで、逢理は少し遅い朝食を取ってから、ウォーキングにでかけた。
 公園まで来ると、小さな子供たちと親たちが陽だまりの中集まっていた。
 幼稚園くらいかな、と思いながら、逢理はほほえましくその子たちを見つめていた。一人の男の子が女の子の手を引いて、逢理のそばのベンチに腰掛けた。
「まお、ぼくがいないときに、ほかの子とあそんじゃだめだよ」
「あそんじゃだめなの?」
「うん、だめ」
 女の子は不思議そうに男の子を見ていた。
「けいとくんは、まおとだけ、あそぶの?」
「うん。まおとだけしかあそばない」
 小さな約束。男の子は前を向いたまま。女の子は男の子の顔をじっと見ている。

 あの夜、車の中で奏大が見せた、きれいな横顔を思い出した。
 どうして男の人は、何か伝えたいことがあるとき、前を向いて話すのかな。こっちを見ないで、凛とした表情のまま、優しさを隠すように。
 照れるのかな。
 いとしいな。
 そのぎこちない温かさを、子供の頃から、持ってるんだな。
 私は、ずっと、包まれていた……。

「おねえちゃん?」
 ベンチの男の子が、立ち上がって逢理に近寄ってきた。
「おねえちゃん、大丈夫?」

 逢理は笑顔を作って何度も頷いた。
 そのたびに、涙が頬を伝って、落ちた。
「おねえちゃん」
 男の子は驚いて逢理の顔をじっと見ていた。女の子はやはりびっくりしたのだろう、走って親の所へゆき、報告しているようだ。
 男の子が小さな声を出した。
「泣かないで」

 逢理は思わず、ぎゅっと目を瞑った。
 ぼろぼろと涙がこぼれた。
「泣かないで」
 心細げな声ではあるが、男の子は逢理のそばから離れずに、なんとか励まそうとしていた。
 その姿が、いつからか背中を追い続けてきた、奏大の顔と重なった。
「泣かないで」
 泣くなよ。
 きっと奏大は、笑って言う。
 逢が泣いてるとこ、初めて見たぞ。
 そうだ。奏大の前では泣いたことなんかなかった。泣く必要もなかった。
 守られてたから。



 生きていることがこんなに辛いなんて、感じたことがなかった。時間が早く進めば、楽になれるのかな。
 逢理は辛くて持つのをやめてしまった携帯に、久しぶりに手を伸ばした。
 その日は、11月の終わり。街にはクリスマスの装飾があふれていた。

 無音、無振動のマナーモードのせいで、着信に気付くことはなかった。わざとそうしていた。待つことに疲れて、無関係なメールに踊らされるのが辛くて、でも電源を切ることまではできなかった。
 携帯を開いたのは二日ぶりだった。
 見知らぬ同一の番号が着信履歴に並んでいた。
 もしかしたら……。
 逢理は奏大かもしれないと思い、震える手で携帯を握り締めた。
 電話しなくては。


 電話はすぐに繋がった。
「あの、瀬戸です」
『ああ、逢ちゃん? 赤沢奏大の母です。お電話繋がらなくて、番号間違えたのかと思ったわ』
 その声は思った以上に強くて、元気そうで、自分のか細い声が、恥ずかしくなった。
『引っ越しされたのね。気付いた時にはもう、いらっしゃらなくて』
「はい……」
『ごめんなさいね。こっちはバタバタしてて、自分たちが引っ越しする段になって初めてお宅がお引っ越しされたんだと気付いたのよ』
 どうして、そんなどうでもいいことを話すの?
 逢理はそれでも、相手が話し出すまで、何かを聞く勇気はなかった。
『今ね、奏大と一緒に埼玉にいるのよ』
「え?!」
 逢理は思わず大きな声を出してから、口に手を当てた。
「ほんとですか?」
『ええ。埼玉にいい病院があるって聞いてね……。ああ、そのことなんだけど……』
 奏大の母は、なぜか黙り込んだ。
 逢理は耐えられなくなって、言った。
「あの、私今、埼玉に住んでます。今から行きます。どこですか? どこへ行ったら、奏大に会えますか?」
 奏大の母はしばらくの沈黙の後、病院の名を告げた。
『今日なら、私がいるから』


 その病院はとても大きな病院で、奏大の母に教えられた病棟にたどり着くまで、敷地内を15分ほど歩き回った。逢理は勝手がわからず、気持ちばかり焦り、人とぶつかっては頭を下げ、走らないでくださいと言われては、頭を下げていた。
 赤沢奏大という名前を、病室のプレートで見たとき、そのドアを開けるのが怖くて、ためらった。個室にいるということは、奏大は……。
 それでも、逢理はなんとか気持ちを奮い立たせて、ドアをノックした。
 はい、という女性の声がした。逢理はそっとドアを開けた。

 大きな部屋に、ぽつんと一つのベッドが置かれていた。その傍に立つ人が逢理に向かってやってきた。
「逢ちゃん、来てくれてありがとう」
 奏大の母が、逢理の前で寂しげな微笑を漏らした。
 逢理は、ベッドに誰かが寝ていて、それが間違いなく奏大であることを感じると、入り口から一歩も動けなくなった。
「奏大ね、工場でアルバイトしてるときにトラックにはね飛ばされて、ずっと意識が無くてね」
 母親の声は、酷く淡々と事実を告げた。
「もう諦めて欲しいって言われて、でもそれからまた少し、もちなおして、でも、もう延命治療はやめるべきなんじゃないかって、父親とも話しをしたのよ……」

 逢理は母親に促されて、ベッドに近づいた。恐る恐る、その腕に触れてみる。
 温かかった。
 彼は、生きている。眠っているだけだ。
「奏大、逢ちゃんが来たよ」
 母親がそう静かに声をかけた。
 奏大は、ただ静かに眠っていた。
「そう……た?」
 逢理は小さな声で呼びかけてみた。両手で手を握ってみた。
 初めて手を繋いだときに感じたように、大きくて優しい奏大の手。
「奏大……」
 逢理は握った手に力を込めた。
「やっと……会えたね。会いたかった。」

「ごめんね、今まで会いに来れなくて」
 頬に触れた。柔らかなピンク色だった。
「寂しかったよね」
 奏大の少し伸びた前髪をそっと分けてやった。
「今まで、ずっと、いつも一緒だったのにね」

 握り返さない奏大の手。
 笑顔で崩れるはずのその表情は、動かない。


 静かに瞼を閉じて眠っている。
 何を言っても、聞こえないふり。イタズラなら、もうアカンベをしたっていい頃だよ。


「逢ちゃん、私、ちょっと用事済ましてくるわ。30分ほど、お願いね」
 奏大の母親はそう言って、そっと病室を出て行った。
 逢理は奏大の顔を覗き込みながら、今の自分の環境や生活を話して聞かせた。
「ずっと」
 逢理は奏大の手を取って、甲に唇を当てた。
「ずっとそばにいるね」


 奏大のきれいな寝顔に、逢理は何度も願いをかけた。
 どうか、これから先、私たちを離さないで下さい。

 奏大の想い出はたくさんあるけど、これからも増やしていきたいんだよ。
 一緒に作っていきたいよ。
 想い出、記憶、恋、共感、希望……。
 奏大となら、ううん、奏大としか無理なんだよ。



「守るから」

 逢理はつぶやくように言った。



 ほんとは男が女を守るんだって思ってたよ。

 だけど、今日からは、私が守るから。

 明日も。

 あさっても。

 そして、続く未来を、二人で生きていこう。


 逢理はもう一度奏大の手を両手で握った。



「できるなら
 キミを今抱きしめたい」

END

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