good morning

この作品の写真素材はあんずいろapricot×color様よりお借りしています


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「五度目の正直」

(10)五度目

 小学校のグランドのそばを通ったとき、パンという軽いピストルの音が聞こえた。
 空は青く、薄く広がった雲が漂っていた。
 運動会が開催されてるんだな、と僕は横目に見ていた。必死に走る子供たちの姿に、少し見とれて、足を止めた。
 まっしぐらに走っていける、そんな当たり前の強さに憧れた。僕も昔はきっとああだったはずなのに。

 詩鶴さんがいなくなって、ひと月以上経った。
 酷く長い、多分僕の人生の中で一番長い時間だった。
 まだ、恋しい。病気なんだろうな。彼女を思い浮かべては、呆然としている。仕事をしている時間だけが彼女を忘れられる唯一の時間だった。
 今日もまた、考えている。
 今頃、詩鶴さんは、稠一とかいう元カレと縒(よ)りを戻してるのかな。それともほかの男と恋をしてるのかな。
 最初に僕は、お見合いで断られたくせに、往生際が悪すぎる。
 詩鶴さんにとって、僕は、なんだったんだろうな。

 実は耐え切れなくなって、会社の顧客名簿を見た。
 そして、詩鶴さんの住んでいた部屋に行ってみた。
 そしたら、もう空き部屋になっていて、引っ越した後のようだった。
 個人情報を勝手に盗み見して、その部屋を訪れて、まるで僕はストーカーだなと思いながら、それでも会いたい気持ちを止められなかった。
 でも、もう彼女が引っ越してしまって、痕跡が無い以上、僕にはどうしようもない。
 もう偶然はやってこないのかな。
 一度目はお見合いで。
 二度目は会社で。
 三度目はバスを降りたところで。
 四度目は木村の彼女の友達というつながりで。
 もし次に逢えたなら、きっと後悔しないように行動する。
 だから、どうか、五度目の偶然を。
 そうして僕は、日曜になるとフラリと外を歩くようになった。家の中で彼女を想うのは、辛すぎた。

 公園のベンチに腰掛けて、小さな子供たちが遊んでいるのを見ていた。公園のすぐそばには大きな国道が通っていて、車が走っていた。飛び出しでもしたら危ない場所だった。ボール遊びは禁止という看板が立っていた。
 しかし、小さな男の子2人は、その母親同士が話に夢中になっている隙に、道路の方へと走り出した。僕は思わず子供たちを追いかけていた。
 幸いなことに、車は赤信号で停車中だった。横断歩道は青で、子供たちはその意味を知ってか知らずか、縞々の道路を渡ってゆく。
 僕は2人の子供に追いつくと、両脇に抱えて引き返した。停車中の白のセダンに一瞥をくれたとき、僕の視界に、あの人が飛び込んできた。
 白い車の助手席で目を瞑っていた。おそらくは眠っているだろう、その美しい人は、間違いなく詩鶴さんだった。
 僕は棒立ちになり、子供たちが騒ぎ出してようやく現実に戻った。
 母親たちが血相変えて僕のところへ走ってきた。
「何してるんですか!」
「あ、いえ……」
「警察呼びますよ」
 僕は車のドライバーを見ていた。彼女の父親だった。見合いの席で一度だけ会ったことがある。
 父親は僕に気付くこともなく、不思議そうに僕らのやりとりを見ていた。
 そのうち横断歩道の青信号が点滅し始め、母親たちは子供たちを引っ張って公園に戻っていった。
 僕は二歩三歩とその車に近寄った。しかし、すぐにクラクションを鳴らされた。もう車道側は青に変わっていた。
 詩鶴さんの変わりない姿を見て、僕は安心した。父親と一緒ということは実家にいるのかもしれない。少なくとも稠一と一緒にいるわけではなさそうだ。
 僕は公園の入り口へと戻り、その白い車が走り去るのを見送った。
 もしも彼女が起きていたなら、僕に気付いただろうか。僕を見て、どんな顔をしただろう。
 五度目の偶然を僕は黙って見届けた。
 少しだけ、気持ちが落ち着いた。

 その後、僕は警察官に職務質問され、身の潔白を証明するのにしばらく拘束された。
 呆然としている僕は、確かに不審人物だったかもしれない。

 夕方になって僕は、どうしようもなく飲みたい気分になり、今まで避けていた木村を呼び出した。
 木村は快く僕の急な呼び出しに応じて、街まで出てきてくれた。
 木村のカノジョは、詩鶴さんを知っている。だから、話題になるのが怖かった。それで、僕は木村を避けていた。でも、今日は何を話されても聞ける気がした。今聞かないとだめなような気さえした。
 僕らは飾り気の無い居酒屋で飲みながら、仕事の話ばかりしていた。
 そうか、木村はその話題を避けているんだな、と僕が思い始めたころ、突然ヤツが言った。
「で、詩鶴ちゃんとはどうなってんの?」
「どうって……」
「めぐみが心配してるんだ。詩鶴ちゃんが実家にこもってるって」
「ああ」
 そうなのか、彼女は実家にこもってるんだ。僕は急に喉が渇いて、飲み続けた。
「湯沢さんは詩鶴さんと連絡が取れるんだな……」
 僕はジョッキを置いて、つぶやいた。
「って、おまえは連絡とってないのかよ」
「とってないっていうか、とれない」
 僕があっけらかんとして言うと、木村が僕から視線を逸らして言った。
「何か伝えたいことがあるなら、伝えてやるけど?」

 僕は木村の厚意に感謝した。しかし、何を伝えたらいいのか、正直わからなかった。戻ってきて欲しい、それ以外に彼女に伝える言葉なんてない。
「戻ってきて欲しいって」
 木村が僕の顔を見て、言葉の続きを待っていた。僕は続けた。
「言ったら、重いだろう?」
 木村は困惑していた。そりゃそうだ、ヤツは僕と詩鶴さんの関係なんか知らないんだから。ただの偶然が重なり合って、アンバランスに積み上げられたジェンガのブロックのようだった。すぐに崩れてしまいそうな、もろいタワーだった。
「重いかどうかは自分で訊いてみたらどうだ?」
 木村は携帯を取り出すと、どこかに掛け始めた。そして、その携帯を僕の耳に押し付けた。
 呼び出し音が聞こえた。何の心構えもないうちに、その呼び出し音がすぐに小さな声に切り替わった。
『はい。……木村さん?』
 僕はその声に確かに聞き覚えがあった。
「僕だけど」
 詩鶴さんの柔らかな声は途切れた。
 彼女が何かつぶやいたとしても、店の中のざわめきで、あまりよく聞き取れない。わかっているから、僕は一方通行のトランシーバーでも操作するように、ただ話し続けた。
「僕だよ、わかるかな、三川です。今日、見かけたよ。お父さんの車に乗ってるとこ。元気そうだったから、ほっとした。家にこもってるって聞いたけど、ちゃんと大学には行ってるの? 僕は……」
 僕は仕事してないと、どうしようもないやつになってたと思うよ。
 木村が割り箸の袋に、どこからかペンを借りてきて、何か書いて僕によこした。
 ちゃんと言え、と書かれていた。
「僕は……」
 いや、言わなくていい。
 言ってどうなるんだ。


「君に逢いたい」

「君に戻ってきてほしい」

「待ってるんだ、ずっと」



「どうしようもなく、好きなんだ」



 気がついたとき、木村の携帯は切れていた。僕は木村にそれを返した。ヤツは僕の肩を叩いて、
「よく言った」
と褒めてくれた。褒められてもうれしくもなんともない。
「詩鶴ちゃんの携帯番号、聞いておいてよかった。役に立った」
 木村はご満悦だった。

 僕らはそれからしばらくして居酒屋を後にして、フラフラと歩いた。ゲーセンでも行くか?と聞いてきたので、そうだなあとあやふやな返事をしていると、木村は僕を引きずるようにして、国道沿いにある大きなゲームセンターに連れ込んだ。
 大音響が鳴り響く店内には学生や若い大人たちでいっぱいだった。日曜ということもあって、子供連れもいた。
 あまり気がすすまないまま入った店なのに、僕は“頭文字Dアーケードステージ4”のシートに座ると、ゲームに魂を吸い取られたように、意識を集中させた。200円を投入し、専用免許証を挿入した。
 それからは快適かつスリリングなドライブを楽しんでいたはずだったが、気がつくと隣にいたはずの木村がいなくなっていた。まあ、どこかでゲームをしてるんだろう。多分スロットとかルーレットとかそのへんにいるはずだ。僕はあまり気にせずにゲームに熱中していた。クラスを上げたくて、3回目の200円を投入したとき、木村が急に背後から現れて、僕の頭を思い切り叩いた。
「いってえっ」
 僕が木村を見上げると、木村は大声で言った。
「ケータイ、ケータイ!」
「え?」
 僕は自分のカバンを足元に置いていて、そのカバンに携帯を入れていた。
 言われて、携帯を取り上げると、確かに着歴が5件もあった。

 それも、全部、詩鶴さんの番号だった。

「詩鶴ちゃんが、俺に電話してきたぞ。お前が携帯を取らないのは、怒ってるのかなあって」
 そんなバカな!
 この騒音の中で聞こえなかっただけだ。僕はカバンと携帯を持って、走って店を出た。木村は追ってこなかったが、今はそれどころではなかった。
 外に出ると、空気が澄んで、耳鳴りが聞こえた。僕は頭をぶんぶんと振って、歩きながら携帯を耳に当てた。かかってきた詩鶴さんの番号にそのまま掛けなおした。
「もしもし……」
 僕が何か言うまえに、詩鶴さんは大きな声で謝ってきた。
『ごめんね。ごめんなさい』
「どうして謝るんだよ」
『着信拒否してた……』
「いいよ。会いたくなかったんだろう?」
『違うの。会いたくなるから、会っちゃダメだから、そうしたの』
 意味はよくわからない。でも、今詩鶴さんが僕と話をしてくれていることだけで、僕はうれしかった。だから、そんなことはもうどうだってよかった。
『あのね、ちゃんと稠一と別れたかったの』
「うん」
『実家に戻って、しばらく家に隠れていないと、稠一がまた私を追いかけてくるかもって思った』
「うん」
『三川さんのマンションにあのまま居たかったけど、あの時は無理だったの』
「そか」
『三川さんに迷惑かけたくなかったから……』
 必死になって説明する詩鶴さんだったが、僕はとっくの昔に彼女を許していたし、今の言葉全部嘘であったとしても、丸まま信じただろう。信じることの方が幸せだから。
「いいんだよ。いっぱい、いっぱい迷惑かけても。っていうか、全然迷惑じゃないから」
『ほんと……?』
「うん。わかったんだよ。君が出てったんじゃなくて、僕が君を出て行かせてしまったんだなあって。もっと僕が君の気持ちをわかってあげてたら、確かめようとしてたら、君は出て行かなくてもよかった」
 謝らなきゃならないのは、僕なんだよ。

『三川さん』
「ん、なに?」
『じゃあ、迷惑かけてもいいですか』
 急に詩鶴さんが泣きそうな声で言った。
「いいよ。いくらでも!」
 僕はあえて元気良く答えた。
 詩鶴さんが電話の向こうで、少しだけ笑ってくれたような気がした。
『迎えに来てください』
「え?」
『駅にいるの。三川さんのマンションのそば』
 僕はゲームセンターから少し離れたところにある駅に、彼女がいるのだと聞いて、驚いて立ち止まった。そして次の瞬間、飲んでまだ間もないというのに、ダッシュで駅まで走った。
 息がくるしい、胃がムカついて逆流しそうになりながらも、僕は足を止めなかった。

 僕が駅のいくつもある改札口の前を走りながら彼女の姿を探していると、僕のマンションに近い出口に詩鶴さんは立っていた。
 もう10月も近いというのに、僕があげた夏物のワンピースを着て立っている。
「詩鶴さん!」
 僕は駆け寄り、カバンを放り投げ、ためらいもなく彼女を抱きしめた。
 そして、すぐに僕は薄いジャケットを脱いで、むき出しの彼女の肩を覆った。ちっとも太っちゃいない。ワンピースは大きいままだ。
「三川さん」
 彼女は僕の顔を見て、そして自分の足元を指差した。
 詩鶴さんの足元には大きな旅行カバンが一つ。
「これは……?」
 どこか遠出でもするのか、と僕は驚いて詩鶴さんの顔を見た。
 詩鶴さんはそのカバンを重そうに両手で持ち上げて、
「もし、三川さんが許してくれたら、本格的に居候しようかなって思って……」
と言って笑った。

 僕は何度彼女のこの笑顔で恋に落ちるんだろう。
 何度彼女の言葉で幸せをかみ締めるんだろう。


 僕は旅行カバンをと自分のカバンを右手に持って、左手で詩鶴さんの手をとり、歩いた。
 マンションに向かって一歩ずつ。



 部屋に戻り、僕は詩鶴さんの隣で眠りに落ちた。
 明日はまた来る。それがとてつもなく嬉しかった。
 目覚めると彼女はそばにいる。

 僕らはお互いの意志によって一緒にいる。
 恋はきっと、必然的なものに違いない。
 でもその必然の周りに散りばめられた偶然。
 僕らは5つのピースをつなぎ合わせて、少しずつ近づいたんだ。

 だから、これからは、全神経を使って恋をしよう。
 伝えあおう。
 笑いあおう。
 見つめあおう。
 
 決してそれを怠ってはいけないんだ。




 END

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