この作品の写真素材はあんずいろapricot×color様よりお借りしています
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| 「五度目の正直」 (8)ひとつのベッドで 詩鶴さんは、僕に抱きしめられても、抵抗はしなかった。 ただ、苦しそうに僕の名を呼んだ。 僕は我に返って、腕の力を緩めた。 「ご、ごめん」 僕は慌てて両手を後ろに回した。 僕は彼女を残して、寝室を出ると、ドアを閉めた。 バタンと音がして、僕は彼女を閉じ込めた。 僕の視界から消した。 居間は明るく、テレビの音で気が紛れた。そのまま、リモコンで明りを消すと、ソファの上に転がった。僕はさなぎになったように、小さく丸まり、そのまま朝を迎えた。 僕は心臓が止まりそうになって目が覚めた。凍えるかと思うほど寒かった。体ががくがく振るえ、歯もガチガチ鳴った。 そうだ、昨夜風呂上りでエアコンの温度をかなり下げた。そのまま、酒を飲んで寝てしまった。 少しずつ冷えてゆく体に気付かず、こんなに冷たくなって飛び起きるまで、眠りから覚めることがなかった。 ソファの上で横になっただけで、ブランケット一枚すらも掛けていなかった。 つけっぱなしのテレビが、さわやかな映像と、変にテンションの高いアナウンサーの声を垂れ流していた。 頭が重い。喉が痛い。そして、この寒気をなんとかしなければ。 僕はエアコンを切って、身に纏うものを探しに隣の寝室に入った。 そこで僕は、入り口で固まってしまった。 僕のベッドに、小さな膨らみがあった。彼女が寝ている。 詩鶴さん。 寝顔が安らかで、無防備で、素朴で、きれいだった。 そうだ、昨日から、彼女は僕の部屋に同居することになったんだった。それで、僕はソファで寝てたんだっけ。 とりあえず、僕はクローゼットにしまいこんだ、冬用の毛布を取り出して、居間に戻った。 それは朝の5時だった。 僕は柔らかい手で揺すられて、目を覚ました。 「三川さん、起きたほうがいいんじゃ……?」 目の前に、心配そうな詩鶴さんの顔があった。朦朧とした思考で、よく現状が把握できないまま、僕は無意識に時計を見ていた。 8時だった。 冬場の自動車を、エンジンも温めずに急発進させたようだ、というと職場の同僚は苦笑した。 実際、僕は調子が悪く、遅刻しそうになって走って会社に来たものの、もう、動けないというのが本音だった。 とにかく体がだるくて、頭痛が酷くて、食欲が無いどころか、嘔吐と下痢を繰り返していて、デスクに突っ伏していた。 「体調悪いなら、帰っていいよって、部長が」 仲の良い同期の女の子が、僕の肩をそっと叩いて、真顔で早退を勧めてきた。部長はあきれ返って、直接僕には言ったりしないんだろう。 なんだか、自分が情けなくて、そして部長の態度に腹も立って、僕は立ち上がった。 地下の資料整理に行って来る、と、その同期の子に言って僕は冷房の効く部屋を出た。 暑いし、空気は悪いし、誰もやりたがらない仕事だ。今の僕にはそういう誰もいないところでゆっくり仕事するのが一番気が楽だ。汗をかいたら、少しは体が楽になるかもしれない。 しかし、僕はまた誰かに体を掴まれて、起こされた。 部長だった。 地下の埃っぽい資料室に、部長が苦い顔をして僕のそばにたっていた。すぐにバタバタと二、三人の足音が聞こえてきた。 部長は僕には何も言わず、ずっと僕を見下ろしている。 僕は部長の顔を見ているつもりが、瞼が重くてちゃんと見ていられない。呼吸が苦しくて、胸を上下させて荒く息を吐き出した。手が上がらなかった。体が動かなかった。何か言おうとしたが、声も出なかった。 「タクシー呼んでやれ」 部長が言う。 「救急車の方がよくないですか?」 「大丈夫だろ……とりあえず、家で安静だな」 「わかりました」 誰かと誰かの声がするが、僕にはもう、そのことを観察する力は残っていなかった。 ただ僕は、資料室の真ん中で倒れていて、暑さで体中汗びっしょりになって、動けなかったのだ。 僕は同僚2人に付き添われ、自分の部屋までタクシーで帰ることになった。 「三川って一人暮らしだったよな?」 「ああ」 僕はそのとき、詩鶴さんのことをすっかり忘れていた。というよりも、記憶回路も思考回路も見事に故障していた。 「保健室から借りてきた体温計で、体温を測ったの、覚えてるか?」 「そうか」 「覚えてないか。……41度5分だ。ちゃんと病院行けよ」 「保健室で休んでれば、治ったのにな」 「今何時だと思ってんだ。10時だぞ。俺たちしか、会社に残ってなかったんだからな。あのまま、誰にも知られなかったら、明日の朝まで放置されてたぞ、わかってんのか?」 いや、全然わからない。 夜の10時なのか。浦島太郎みたいだ。時間の感覚が無い。 僕はマンションの前まで来て、ようやく自分の部屋に詩鶴さんがいることを思い出した。 「暗証番号は?」 2人の同僚が、僕の体を支えながら、マンションに入るためのキーを押そうとしていた。僕は、彼らに預けていた体を、なんとか自力で維持して、数字を6個押した。 エントランスのドアが開いた。 「ありがとう。ここまででいいよ」 「冗談じゃない、部屋まで行く」 「いや」 僕は笑おうとしたのだが、口が強張ってあまり表情が動かなかった。 「友達がいるから、大丈夫」 それだけ言うと、一人でエレベーターに乗り込んだ。 僕の言葉に、同僚たちは「友達?」と不思議そうな顔をしたが、なんとなく察したのだろう。それ以上は何も言わず、タクシーに戻っていった。 僕は部屋までふらふらした足取りでたどり着くと、自分で暗証番号を押してドアを開けた。 ただいま、と小さい声で言うと、彼女は走って玄関までやってきた。明るい笑顔で、お帰りなさいと言う。 僕は、あんなに苦しかったのに、その笑顔をみると少し体調がよくなったような気がした。 彼女は嬉しそうに話し出す。 部屋のキーがわからなくて出かけられなかったから、お昼にピザを取ろうと思ったけど、ここの電話番号も住所もわからなくてー。 でも、お米とシーチキンの缶詰があったから、おにぎり作ったの。 帰ってきてくれてうれしい。ね、甘いものが食べたいな。コンビニ行かない? 僕はうんうんと頷いて、笑った。 やっと笑えた。 「キー、教えるの忘れててごめん」 そう言って、僕は彼女の前に立っているつもりが、よろけて体重をかけてしまい、彼女をソファに押し倒してしまった。 「み、三川さん?」 あ、と思った。僕は彼女の体の上に乗ってる。彼女のひんやりした体温が心地いい。 彼女の顔を間近に見ながら、それでも鈍い思考のせいで、そのまま、彼女の体を抱きしめた。ちがう、こんなことしちゃ、嫌われる。僕は僕の中の誰かがそう言っているのに、無視して彼女に全体重をかけて、また眠りに落ちそうになった。 「すごい熱」 詩鶴さんは、僕の頬を両手で触り、首を触り、額を触り、真剣な顔で僕の目を見つめた。 「ベッドに行こうよ」 彼女は重い僕をなんとか立ち上がらせようと、抵抗したが、無駄だった。 「ここでいいよ。詩鶴さんは、向こうで寝てて」 「そんなの、だめ」 詩鶴さんは僕の下からなんとか抜け出して、立ち上がり、上から僕の手を引っ張って、僕をベッドへ運ぼうとあがいていた。 無理だよ。 僕はなんだか可笑しくて、力の入らない体のまま、にやにや笑っていた。 君は子供のように無力で、けなげだった。僕なんかのために、一生懸命にならなくてもいいのに。 それでも彼女は引っ張るのをやめなかった。 僕は肩が抜けそうになって、痛くなって、なんとか膝を付き、身体を浮かせた。 僕は彼女の導くまま、自分のベッドに入った。 彼女は一安心したように、僕を見つめ、 「お水もってくるね」 と言って、キッチンから水の入ったグラスをもってきた。 「ありがと」 「ね、頭冷やすやつないの? なかったら買ってくるから、部屋のキー教えて」 僕は、わざわざいいよ、と言いながら、ただキーは口頭で伝えた。 そのまま、僕はまた意識を失った。 目覚めたのは、どれくらい寝た後だったんだろう。 青白い光がカーテンを通して入ってきていた。朝だ。 僕は寝返りを打って、気がついた。 このセミダブルのベッドは、こんなにも狭いのか。詩鶴さんの背中を見て思う。 ひとつのベッドで遠慮気味に寝ている君が、僕はいとおしくて、そっと手を伸ばし、その髪を撫でていた。 おかげで詩鶴さんは、目が覚めたようだった。 でも、僕の方を向かなかった。 僕は、君に守られているみたいだ。 こうして、そばにいてくれるのは、きっと僕のことが心配だったからなんだろうな。 何度か、汗を拭いてくれたのを、憶えてるよ。 彼女は、僕の方を向かなかった。 僕は、手を引っ込め、また反対を向いた。 ベッドが少し音を立て、揺れた。 9 に続く |
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