good morning




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「はっぴぃ☆らっきぃ☆」

(10)

ざぶんという、湯から上がる音が響いた。
菅野さんの声は聞こえない。ただ、急いで開き、閉じられたドアの音が残った。
嫌な予感がした。
 
私はどうしていいか分からず、とりあえず、しばらくお湯に浸かっていた。
東京の女の人が来たって……、それって……。
 
お風呂から上がり、誰もいない脱衣所で服を着ると、
私は恐る恐る、店の小さな裏口から菅野家へと通じる廊下を歩いた。
やけに静かだ。
元旦だというのに、あの大晦日の賑わいのかけらも窺われない。
 
お父さんがいるはずの広い居間の襖を開けてみた。
 
そこには、お父さんと、お母さん、おばさん、篤子さん、
そして菅野さんがなぜか正座していた。
菅野さんの隣には見知らぬ女性が座っていた。
襖の音に気付いたみんなが、一斉にこっちを見た。
なんていう目だろう。
冷たい、白けた目つき。
困ったようにすぐ目をそらすお母さん。
突き刺すような雰囲気……。
誰も、声すらかけてくれないなんて。
「あの…。」
私は小さな声でつぶやいてみた。
一番近くにいた篤子さんが、立ち上がって私の側にやって来た。
「お湯、どうやった?」
篤子さんはいつものクールな表情で聞いてくれた。
「すごく気持ちよかった…。どうもありがとうございました。」
「年末にお世話になったお礼やから。」
そういいながら、部屋の外へ出てきた。
「未散さん、ちょっとこっち来て。」
篤子さんは、私を台所に呼んだ。
 
その時、菅野さんの隣に座った女性の声が耳に入った。
「ケイちゃんとUSJに行こうかな〜とか思って来たんですけど〜。
 そろそろ、いいですか?」
 
 
換気扇を回すと、篤子さんはタバコに火をつけた。
「適当に座って。」
ダイニングの椅子に、私は一人、所在無く座った。
「未散さん、知ってる? あの人、恵兄のこと、『ケイちゃん』やってさ。」
「え? …あ、さっきの人?」
「そう。恵兄って、結構マジメな人間やと思っててんけど、フタマタかな……。」
首をかしげて、深いため息と共に、篤子さんは煙を吐いた。
 
あれが、本物のカノジョってことか……。
 
私はうつむいていた顔を、ゆっくりと上げると、正直に答えようと思った。
菅野さんと私は、空港で初めて会ったの。
菅野さんは、ちょうど危篤のお父さんに、お嫁さんの顔を一目見せてあげたくて、
私は、私で、菅野さんがカレシのフリをしてくれると都合が良くて…。
私は自分が帰省するたび、お見合いを勧められることに
嫌気が差していたから……。
 
しかし、一言も口に出す前に、大きな足音が聞こえてきて、
思わずそっちを見てしまった。
 
菅野さんが台所へ向かって歩いてきていた。
「だいたい、どうして急に大阪へ来るんだよ。
 来海(くるみ)は、友達と年越しパーティーするとか言ってたじゃん。」
菅野さんの口から、強い語気での東京弁が発せられていた。
「え〜、急にケイちゃんとUSJもいいかなって思ったの〜。
 あんなに大阪に来いって言ってたのに、来ちゃいけなかったみたいな
 口ぶりだねー。」
菅野さんの後から、来海と呼ばれた、カノジョさんがついてきていた。
「勝手なこと言うなよ。大阪なんか絶対行かねえっつったの、誰…」
台所で4人が顔を合わせた。
菅野さんは私と目が合うと、言葉を無くして、急に顔を横に向けた。
ニヤリと笑った篤子さんが、換気扇のそばの場所を、菅野さんに譲った。
菅野さんはタバコを出すと、火をつけた。
「あ、私もいい?」
来海さんも換気扇の下に割り込もうとした。
明らかにムッとした顔の菅野さんや篤子さんの様子に気付きもせずに、
彼女はダイニングの椅子を換気扇の下に持ってきて、
一人、座り込んでタバコを吸い出した。
 
菅野さんは近くにいても、タバコのにおいのする人ではなかった。
だから、タバコを吸うんだなんて、知らなかった。
別に吸ってるからどうこうとか言うのではないんだけれど、
なんだか、カノジョさんの前でだけ存在する菅野さんの姿を垣間見たようで、
少し、寂しい気がした。
 
 
そして、明らかに、3対1の構図。
来海さんがいる以上、私には居場所は無いのだ。
 
「私、そろそろ、帰ります。」
できるだけ明るい顔で言い、立ち上がった。
篤子さんが、
「ええやん、もっと居(お)り。」
と、なんだか怒ったように言い放つ。
多分、来海さんに負けるなよ、と言いたいんだろうな。
菅野さんが、私の顔を見て、何か言いたそうにしていた。
 
何か言ってください。
何か言ってください。
 
 
来海さんの高くて明るい声が響いた。
「さようならー。あんまりお話してないけど〜。」
笑顔で手を振る。
 
思わず、むかつく。
 
やっぱり、むかつく。
 
菅野さん、こんなアホっぽい、
何にも考えてなさそうな、
わがまま放題、遠慮無し女がいいんですか!
 
く、くうううううう。
いくら、普段ぼけえっとしている私でも、このまま帰るのは、
めちゃめちゃむかつく。
っていうか、
もう、悔しさでいっぱいなんですけど。
 
 
「菅野さん。いろいろ、お世話になりましたっ。」
私は悔しさとか、恋しさとか、意地とか、いろんな感情が入り混じり、
震える唇で、そう言った。
声も震えた。
台所を出て行く私は、菅野さんが追いかけてきてくれることだけを
期待していた。
 
「あ、待って……。」
菅野さんの声が背中に伝わった。
 
期待通りの展開。
でも、素直に振り向けないのは、なんでだろう。
 
 
私は、もう一度お父さんがいる居間へと入り、ご挨拶をした。
「未散ちゃん? 帰るの?」
「はい。……多分、もうお会いすることは無いと思います。」
「え? そうなん?」
おばさんがひときわ大きな驚きの声を上げた。
「恵太にちゃんと弁明させるから。もうちょっと、待ってぇな。」
私は笑顔で首を横に振った。
いそいで、バッグとコートを受け取ると、私は玄関へと向かった。
 
すると、玄関にはもう、菅野さんがいた。
「オレに、ちゃんと家まで送らせて。…未散ちゃんと、もう少しだけ、話したいんや。」
 
菅野さん……。
真剣な目をして訴えかけて……、
それって、何かまだ意味があるんですか?
私、あほやから、すぐ期待しちゃいますよ?
 
しかし、すぐにそんな緊張したムードはぶち破られた。
「ケイちゃ〜ん。」
おもむろに、私の後方で例の高い声が聞こえた。
「どこ行くの? 私も行く〜。」
 
プチッ。
あの猫なで声、たまらなく嫌い。
 
「来海は待っててくれ。彼女を家まで送るだけだから。」
「彼女って、だぁれ? この、迷子のお嬢ちゃま?」
 
プチ、プチッ。
誰がお嬢ちゃま?
 
「京都の人でしょ? なんかすぐ分かる〜。
 だって平和ボケしてるみたいに、のんびりしゃべるんだよね〜。」
 
 
 
 
プチ、プチ、プチッ。
 
 
 
 
 
 
私は菅野さんのそばに向かうと、精一杯背伸びをして顔を近づけた。
 
私の唇が菅野さんの耳元へと近づいた。
私は言った。
 
「かーんのさんの、あほーぅ。」
 
 
そっと背伸びをやめ、菅野さんの顔を窺うと、
菅野さんは見る間に真っ赤になり、
「ごっ、ごめん……あっ、えっと、でも、あのね……」
と、しどろもどろになっていた。
 
そんな菅野さんのリアクションを見ていたのだろう。
私の後ろの雰囲気が、やや危機感を含んだ、張り詰めた空気に変わった。
「ケイちゃん。ねー、ケイちゃん。そのお嬢ちゃん、どういう知り合い?」
「え??」
菅野さんは、真っ赤になったまま、質問の意味ワカリマセーンと言わんばかりに、
きょとんとして、来海さんの問いに答えなかった。
 
「帰ります。」
私はブーツを履いて、玄関を出た。
呆然と立ち尽くす、菅野さんを置いて。
 
私が帰るということで、篤子さんや、お母さん、おばさんまでが
玄関に集まってきた。
「未散ちゃん、またおいでなぁ?」
おばさんが、困ったようにつぶやいた。
 
玄関の扉を開け、外に出ると、
菅野さんの門前に、見慣れたライトバンが止まっていた。
 
ライトバンには「新谷酒店」の文字。
 
 
 
降りてきたのは美郷お姉ちゃんだった。
「お姉ちゃん!!」
美郷お姉ちゃんは、穂波ちゃんを抱いたまま、私に手を振った。
「椙矢がUSJ行こうって言い出してなぁ、ちょうど市内のA区近くを通ったら、
煙突が見えたから、ここかなあって言ってたんよー!!」
「ズバリ合(お)うとったな。」
椙矢も運転席から出てきた。
 
玄関の外に、菅野さんをはじめ菅野家一同が顔を出した。
そこへ、美郷お姉ちゃんたちがやってきたので、両家初対面。
美郷お姉ちゃんが丁寧に皆にお辞儀をしている中で、
唐突に
「だぁれ〜?」
と、声を上げる来海さん。
説明する人は誰もいない。
 
 
美郷お姉ちゃんが抱いてきた穂波ちゃんが、はしゃいでいた。
 
「パパ。一緒にUSJ行こうよ〜!」
 
 
当然ながら、しーんとする菅野家。穂波ちゃんが指しているのは、あきらかに
菅野さん、菅野恵太さんだからである。
 
「恵太、あんた、まさか……。」
おばさんやお母さんが固まってしまった。
 
「ケイちゃんっ、ちょっと、コレはどういうこと!!!」
もちろん、来海さんも唖然、呆然である。
 
 
 
 
 
私は密かにニヤリとした。
 
 
負けないもんね。
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