good morning




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「はっぴぃ☆らっきぃ☆」

(7)

誰もいない大きな風呂場に、灯りが点った。察するところ、夕方5時くらいだろうか。
「ほんまに? 未散ちゃんにやってもろてええのん?」
脱衣所をせわしく掃除していた菅野さんのお母さんが、私の顔を見て嬉しそうに笑った。
50歳くらいだろうか。きれいなお母さんだった。
ちょっと昔のぶりっ子のような手の仕草が気になるが、
風呂場に響き渡る大きな声も、おばさんとは比べ物にならにくらいかわいらしい。
ただ、さすがに一人で風呂屋を切り盛りしてきただけあって……。
 
「おねがいしようかなあ〜。私ちょっと疲れちゃってねえ〜。」
 
遠慮することもなく、人を使うあたり、おばちゃんと同じ血筋って感じで、
かなり、したたかそうだ。
 
私は風呂場のタイルをデッキブラシのようなものでゴシゴシこすった。
やり始めるとなかなか止まらないのが私で、なんだか汚れが気になって、
夢中でこすり始めた。
空はもう真っ暗で、風呂場の中の照明が、私の汗を光らせた。
妙に世界が白っぽい。
いや、だんだん黒っぽくなって、幕が下りたような感じがする。
あれ?
 
目の前に天井がある。
 
真っ暗だ。
 
 
 
私が目を覚ましたのは、また、菅野さんの声でだった。
「遠藤さん、…未散ちゃんっ、未散ちゃん!!!」
両肩をつかまれて痛くて窮屈だった。
なんども頭を振られて、やっと、目の前に菅野さんがいることに気付いた。
「か、んのさん……。」
「は、気が付いたっ! 大丈夫?」
寒い。すごく寒い。
ブルブルと震えると、菅野さんは自分が着ていたパーカーを大急ぎで脱いで私に着せてくれた。
見回したが風呂場には菅野さん以外誰もいなかった。
「どうして、ここに?」
「家に帰ったら、未散ちゃんはこっちやって親が言うから、飛んできた!
 そしたら、風呂場の真ん中で倒れてるから…。どうしたん? こき使われたんか……?」
「ん?」
私はなぜ自分が倒れているのか思い出せなかった。
「ちゃんとメシ、食ったか?」
ああ。そういえば。
「食べてないわ〜。」
私は思わず力なく笑い出した。
「朝から何も食べてないわ〜。緊張して忘れてた〜。」
「うそやろ〜。ほんまかっ!!」
驚いて目を大きく見開いている菅野さんのひざに頭を乗せたまま、私はおかしくて笑い続けた。
「笑ってる場合とちゃうやろ…」
そう言う菅野さんだが、目はとても優しかった。
 
「ごめんな。…なんて言うて謝ったらええか……。」
「あやまらんでええよ。」
私はようやく菅野さんのひざから頭を上げ、パーカーの暖かさを感じながら、タイルの上に座った。
「うちが好きでしたことやし。頭脳労働より肉体労働の方が好きやしね。」
えへへと笑ったが、自分でもなんとなく情けない。
「出てくか。」
「え?」
立ち上がって、脱衣カゴに目をやった菅野さんは、
「はよ着替えーや。
 ビチョビチョのジャージなんかいつまでも着てたら風邪引くで。」
と言った。
 
私は来たときの服に着替えた。その間、菅野さんは風呂屋から出て行ったきり、いなくなった。
着替え終わった私は、恐る恐る風呂屋の暖簾の外に顔を出した。
シャッターが殆ど降りていて、一部だけ1メートルほど上がっていた。
その出口から外へ出てみると、車が待っていた。
菅野さんの車だ。
運転席から菅野さんが出てきて、私が立っているそばのシャッターをガガッと降ろした。
「行こう。」
「どこへ?」
「どこでもええよ。オレは自分の家、めっちゃ苦手やねん。
 もうオレの雑用も終わったことやし、今日のお詫びにどこへでも連れて行くよ。」
「でも、私の用事かなり残ってそうなんやけど…」
「ええねん、そんなん、全部言うこときかんでも。あいつら嫁が来たとか騒いで、
 浮かれすぎとんねん。調子に乗りすぎや。」
菅野さんが助手席のドアを開けてくれた。
私のコートがそこにはあった。
「本気で行くんやね。挨拶せんでええのかなあ。」
「ええの、ええの。」
 
運転しながら、菅野さんはポツリと言った。
「かわいいな。その服。」
「私?」
「うん。ごめん、せっかくかわいい服着てきてくれたのに。」
こちらを見ずにつぶやく菅野さんの横顔に、私はなんだかすごく身近なものを感じた。
お互い疲れているせいか、一つ隔たりが取れて、近くなった気がしたのだ。
 
ちょうどその時、私の携帯が着信音を奏でた。
「はい?」
相手は美郷おねえちゃんだった。
「うん? …うん。……うん。」
美郷お姉ちゃんは、何時に帰ってくるのか尋ねていた。
しかし、せっかく二人きりになれたのに〜、これからが私の至福の時やんかああ。
「どうしたん? 家から?」
菅野さんが聞いた。
私は頷いて見せた。
「あ、オレに謝らして。」
菅野さんは車を車道の脇へ止めた。そして、私に、携帯を渡すように、手を出した。
私は菅野さんに携帯を渡した。
「あ、菅野ですが。」
菅野さんが私の携帯でお姉ちゃんと話している。
「僕のせいで遅くなって、すみません。いまからお送りします。
 ……え、今晩ですか? いえ、全然構いませんけど……。あ、でも…」
菅野さんは急いで、携帯を私に返してきた。
「今晩、一緒に食事でもって誘われた。」
「そう…。疲れてるんやろうし、断っていいよ?」
私は二人きりの時間もこれでおしまいかと、ため息を付いた。
「いや、そんなんとちゃう。オレは……行きたいけど、ええかな?」
「ええかなって…」
私は携帯を無意識に切っていた。
 
 
ええにきまってるやんかっ!!!!!
 
そのまま飲ませて、
うちで一泊よ、一泊!!!
きゃあ〜〜〜っ!!
 
なあ〜んてねえ。
盛り上がってんのは、私も同じなんやけどなあ。
……やっぱり、
こんなこと、するんやなかったわ。
そう、こんなこと。
恋人のフリなんて…結局空しいだけだったりする……。
こんなに一緒にいても、これはウソの世界なんやもんねえ。
 
 
「未散ちゃん。着いたよ。」
菅野さんの声がして、ハッとした。
私は眠っていたらしい。
はっ、恥ずかしい〜〜〜。
「ご、ごめんなさい。寝てたんやぁ……」
「ええよ。疲れてるんやって。」
この、やさしい、すごくやさしい、菅野さんの笑顔も、
ウソの中の一部なんやわ……。
菅野さんが、そっと私の乱れた髪を直す様に撫でた。
額に触れた暖かい重みも、
ウソなんやね。
 
 
車を店の入り口の前に停め、私たちは家の玄関のドアを開けた。
「ただい…ま…」
私が玄関を見ると、見たことのある汚いスニーカーが無造作に脱いであった。
「あ、お帰り。菅野さん、いらっしゃい。」
美郷お姉ちゃんと穂波ちゃんが出迎えてくれた。
「お兄ちゃんっ!」
穂波ちゃんの喜びようは、見事だった。
靴も脱いでいない菅野さんに抱きついて、もうダッコしてもらっていた。
オデコをごっつんこさせて、ふざけあっている菅野さんと穂波ちゃん。
なんて平和な光景だろう。自然と顔がにやけてしまう。
だって、菅野さんの笑顔、まるで子供みたいにかわいいんやもん。
 
奥のコタツのある部屋まで上がると、そこには、案の定、椙矢が主の如く座っていた。
「椙矢、あんたなんで居てるん?」
私は思わずムッとしてつぶやいた。
椙矢は私の言葉よりも、私の後ろの菅野さんを見つめていた。
菅野さんから離れない穂波ちゃんを見て、なんだか一瞬顔色が変わったように見えた。
「お、菅野さんですか。いらっしゃい。どーも、どーも。お先にお邪魔してます。」
「どうも。菅野です。」
菅野さんが頭を下げた。
「オレ、近所の酒屋の息子で、未散の幼なじみ、新谷です。よろしく。」
「はぁ、よろしくお願いします。」
とても隣人とは思えない圧倒的な存在感で、椙矢は菅野さんを威嚇している。
なんで、なんでそう、張り合うような態度になるかなあ…。
 
菅野さんが、お母さんとお祖母ちゃんに穂波ちゃんづれで挨拶している時、私は椙矢の側に寄って言った。
「大晦日くらい、家でおじさんとおばさんと一緒に紅白でも見てたらええのに。」
「それがな。あの二人プチ旅行に出かけやってん。息子らほっといて。」
「あんたのお兄ちゃんは?」
「カノジョんち。」
はぁっとため息をついた私に、美郷お姉ちゃんがおなべの具を運んで来て、言った。
「うちが呼んだんよ。椙矢一人やったらさみしいやろうと思て。」
「あっそう。」
「すいませんねえ、おジャマムシで。」
本当にっ!!!
 
おなべを囲んで、嬉しそうに張り切る美郷お姉ちゃんと、ムッとする私。
ちょっと緊張している菅野さんを、ほほえましく見守るお祖母ちゃんとお母さん。
そして、父親気取りなのか、無愛想に、偉そうに、座り込んだまま動かない椙矢。
相変わらず菅野さんから離れない、穂波ちゃん。
 
 
「穂波、よかったねえ、お兄ちゃんまた来てくれて。」
美郷お姉ちゃんが無邪気に親子で喜んでいる。
「うん。穂波のパパになってもらうの。」
穂波ちゃんの声に、ギョッとする一同。
困った笑いを浮かべる菅野さんに、美郷お姉ちゃんは近寄って、
こう言った。
「子供が取り持つ縁ですね。」
あはははっとお姉ちゃんは笑ったが、笑い事では済まされない。
 
その不穏当な発言を即刻取り消すべしっ!!!
私と、そして椙矢の目の色が変わった。
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