<<home <<Text <<1 <<2 <<3 <<4 <<5 <<6 <<7 <<8 >>10 >>11 >>12 >>13 >>14 >>15 >>16
| 「はっぴぃ☆らっきぃ☆」 (9) 菅野さんは人ごみの中、手を合わせて何をお願いしていたんだろう。 私は彼のその横顔を見ながら、そっと思った。 私にもカレシができますように。 その人が幸せでありますように。 初詣の人波は容赦なく私たちにぶつかってきた。 疲れているせいか、履き慣れない草履のせいか、足元がふらつく。 灯りは道沿いに点っているが、人が多すぎて足元まで照らされない。 石畳に躓(つまづ)いた私を、すぐに菅野さんは支えてくれた。 「大丈夫?」 「うん。平気。」 私たちの会話はすぐに途切れた。私がうまく繋げられないせいだ。 菅野さんは、ときおりため息を吐いているようだった。 「あの、さ…」 困ったように、戸惑うように、菅野さんは低い声で言った。 「なんか、上手く言われへんけど、せっかくこうして出会えたし、 それもきっと、何か意味があるような気がするんや…」 私は少しだけ顔をあげ、菅野さんを見た。 不思議な表情をしていた。 ものすごく慎重な顔で、でも無理して微笑もうとしていた。 わき道に入ると、この辺りの氏神様への初詣客の数が減った。 いや、誰もいなくなった。 ウチの家へはあと5分も歩けば着く。 菅野さんは歩調を緩めて、言葉を続けた。 「オレ、4日から仕事やから、2日の日には東京へ帰る。」 2日…と私はぼうっとした頭で考えた。 明けて今日は元旦だから、2日といえば、明日だ。 「東京に帰ってからも、連絡してええかな……。」 菅野さんの言葉に、私は反応できずにいた。 二人とも、いつの間にか立ち止まっていた。 「明日で終わりの方がいい?」 菅野さんの顔は真剣だった。 「オレは……」 白い息がひとつ、ふたつ、菅野さんの口から漏れた。 「オレは、……」 何? 胸が苦しくなるのに、 菅野さんの顔から、視線を逸らすことができなかった。 何? 急に私たちの間に音楽が鳴り始めた。 深夜の静かな住宅地で、その優しいはずの歌はサイレンよりも私たちを驚かせた。 菅野さんは急いでコートのポケットに手を突っ込んだ。 「はい。」 菅野さんがオレンジ色の携帯電話を耳に当てて横を向いた。 思えば、数日前、空港でこの携帯電話を拾った時も、 彼は同じように私に背中を向けて目の前で話していた。 「え? なんで? オレだけでええんちゃうん?」 菅野さんは眉をしかめ、明らかに不満の顔色を示した。 「……せやから、急にそんなこと言い出すなって。何考えてんねん……」 菅野さんはチラと私を見た。 私は電話の内容が、大体想像できた。 笑いをかみ殺し、困っている菅野さんの様子を見つめた。 すると、菅野さんも私につられて、表情を緩ませた。 「……分かった、聞いとくから。はよ、寝ろよ。しらんぞ、また倒れても。」 菅野さんは電話を切った。 「お父さん?」 私が聞くと、菅野さんは一気に疲れた顔で頷いた。 「さっさと寝ろっちゅうねん。病人のくせに、何が正月やねん。」 「私、呼ばれてるんでしょ?」 菅野さんはすまなそうな顔をしてうつむいた。 「いや、気にせんといて。今日はゆっくりしてや。 さんざん、あいつらに、こき使われてんからな。」 家族をあいつら呼ばわりする、ちょっと大人気ない姿も、 結構好きかも、と私は思った。 社会人として常識的な振る舞いをする姿と、高校生のように親に反抗する姿。 どっちも、菅野さんなんだなあ、とか思っていた。 「行く。…行きたい。…行っていい?」 私が聞くと、菅野さんは目を丸くしていた。 「あっ…あんな家、行きたい???」 菅野さんはよほど自分の家が苦手らしい。 まあ、私だって、一人でお伺いするのは……ちょっと無理かも。 だけど菅野さんと一緒なら……。 嘘でもお嫁さん扱いだし……。 ところで、 さっきの続きは? 菅野さんはウチの家に着くと、お母さんに勧められて、 我が家に泊まってゆくことになった。 「菅野さん、お風呂は?」 当たり前のように我が家で風呂に入って、お酒を飲み続けている椙矢が、 父親のように菅野さんに尋ねる。 「あ、いいっす。帰ってから家で入ります。」 「じゃあ、未散、入って来い。お前クサイぞ。」 「ええ! なんやって、椙矢!!!」 「こら、幼なじみに乱暴すんな。菅野さんが見てんぞ。」 くっ! 殴ってやりたい。 拳を握り締め、ぐっとこらえて私はお風呂へ走っていった。 さっさと入って、さっさと出てこないと、 美郷お姉ちゃんが菅野さんにどんなアプローチをするか分かったもんじゃない。 多分、椙矢が妨害してくれるとは思うけど。 私がお風呂から出てきたとき、意外なことに美郷お姉ちゃんはもう既に寝ていた。 そして、椙矢と菅野さんがこたつで一緒にお酒を飲んでいた。 お母さんが私に近寄ってきて、こう言った。 「2階のあんたの部屋には、美郷と穂波が寝てるから。菅野さんはこっちの部屋で。」 こたつのある居間の隣の、私がドラえもんを見ていた部屋に 菅野さんの布団は敷かれるらしい。 「私は?」 お母さんは続けた。 「で、椙矢くんは、菅野さんと一緒に寝てもらうわ。」 「椙矢なんか泊まらせんと帰らしたら?!」 あははと笑うお母さん。こっちは結構本気で言ってるんやけどなあ…。 お祖母ちゃんはいつもどおり仏間で、私はこのこたつのある居間で、お母さんと一緒に寝るらしい。 なんか、ちょっとだけ期待した私って、あほかな……。 椙矢と菅野さんはお酒を持って、隣の部屋に行った。 何の話をしてるんだろう。 時々、一度も聞いたことが無かった、菅野さんの爆笑が聞こえてきた。 同い年とは思えないけど、やっぱり同い年らしい。 二人は意気投合して飲んでいた。 翌朝、私が起きて、隣の部屋を覗くと、菅野さんはもう既に起きていた。 「おはよう。」 「おはよ。」 菅野さんは、きちんと着替えを済ましていたが、目が赤かった。 「もしかして寝てない?」 「いや、寝たよ。でも…」 菅野さんは顔を両手で覆ってから、笑って言った。 「椙矢くん、寝言激しいな…」 「あー。」 私たちは慣れっこだったので、すっかり忘れていた。 「ごめんね、あれは側にいたら、寝られへんよね。」 「めっちゃびっくりした。」 そう言う、菅野さんの子供っぽい笑顔が印象的だった。 「オレ、10時までに帰らなあかんから、そろそろ……。」 朝食を食べ終えて、菅野さんが言った。 9時前だったが、椙矢だけは当然ながらまだ寝ていた。 ちょうど穂波ちゃんもまだ眠っていたので、 穂波ちゃんが寝ている間に出て行くのが良いだろうと、お母さんも言った。 私たち家族はみんなで菅野さんを見送りに門を出た。 美郷お姉ちゃんは、もう帰るのかとかなり残念そうにしていた。 私、ついて行きたいんやけど、あかんのかな…。 菅野さんは、私たちに丁寧に挨拶をして、一人で車に乗り込んだ。 私は、車のエンジンがかかる音を聞くと、いてもたってもいられず、 つい、運転席の窓に近寄った。 菅野さんがウィンドウを開け、眩しげに私を見上げた。 「お酒かなり飲んだでしょ? 運転大丈夫?」 「ああ、オレ酒は強いほうやから、平気平気。」 「気をつけて……ください……」 「ありがとう、もう家に入って。」 「うん……」 でも私はその場を動けなかった。 菅野さんは眉をちょっと上げてから、笑顔を漏らした。 「……ウチ、来る?」 「うん、行くっ。」 なんだか、頬がかああっと熱くなった。 菅野さんの車の中で、私の頭の中は、 初詣帰りの彼の言葉の続きをどうやったら聞き出せるのか、そればかりが巡っていた。 それなのに、菅野さんは、 「椙矢くん、マジで面白い。」 と椙矢の話題に終始していた。 椙矢のばか。 菅野さんの家に着くと、今朝は打って変わって優しい表情のご家族が、 私たちを出迎えてくれた。 「おめでとう、未散さん。今年もどうぞよろしくね。」 赤と黒の毒々しいドレススーツを着たおばさんや、相変わらずジャージ姿の篤子さんや、 髪を内巻きにしてかわいらしく微笑むお母さんが、玄関で勢ぞろいしていた。 ちょっと怖い風景でもあった。 「さ、さ、一番でどうぞ。」 一番? 何が? すると、菅野さんが 「ええの?」 と驚いた様子で、でも、嬉しそうに私の顔を見た。 「どう?」 菅野さんの声が天井から聞こえてきた。 「すっごい、感動!」 私は眩しい白い煙に目を細めながら、手を伸ばした。 大浴場の男湯と女湯に、菅野さんと私が、たった二人だけで独占していた。 営業は午後から。 その前に、昨日私が倒れるまで磨いた浴場の、熱い湯に今、浸かっている。 これって、かなり気持ちイイ。 頑張った甲斐があったなああああ。ラッキーだああああ。 でも、幸福の瞬間は、本当に短い。 浴場にドタドタと誰かの足音が響いてきて、男湯の方のガラス戸が開けられた音がした。 「恵兄!」 篤子さんの声だ。 「なんや?」 「大変!!」 「なんやねん?」 篤子さんの声が戸惑うように、間を空けた。 「お、女の人が来てる。恵兄出せって、……東京から!」 |
|---|