この作品の写真素材はあんずいろapricot×color様よりお借りしています
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| 「風と君とを抱きしめて」 (10) 「沙智!!」 風に押し流される悲鳴のような声が、重なって沙智の耳に届いた。 「英?」 彼女は振り返り、そして砂浜を駆けて来る二つの影を見た。 沙智が立ち上がろうとすると、大きな波が彼女をすごい力で押し倒した。 沙智はそのまま、波の中に消えた。 沙智が目をあけると、そこには涙で顔を濡らした倫子の顔があった。 倫子に抱きしめられていた。 「沙智っ!!」 倫子は目を見開いて、沙智の身体を揺すった。 「倫ちゃん…。」 月明かりと、町の明かりで、倫子の必死の表情が沙智にもわかった。 沙智は、重い腕を上げて、倫子の顔に手を伸ばした。砂だらけの自分の手が見えた。 ざっざっざと足音がして、沙智の頭の方から誰かが走り寄ってきた。 「気がついたか?」 沙智はその声を聞いて、再び目を閉じてぼんやりと思った。 英…? ちがう、大成だ…。 沙智の身体にふわっとした暖かいものが掛けられた。 「大丈夫そうか?」 全く見知らぬ、年配の人の声がした。何人かの気配が感じられた。 「沙智、大丈夫?」 「うん。」 大成の声に沙智はゆっくりとうなずいた。 「大丈夫だろ。」 「波にのまれてすぐ助けたんだろう?」 「じゃあ、救急車、いらねーな。」 口々に話す、知らない声が沙智を囲んでいた。 沙智はまた目を開けた。見知らぬ男女数名が、一見、怒ったような目で沙智を見つめているのがわかった。 そして、そばに立つ、ずぶぬれの大成の姿も、沙智の目に映った。 「ま、救急車呼ぶと大事になるし。うちでゆっくり休んでいけば、よくなるだろ?」 怖い顔をして睨んでいる中年のパジャマ姿の男性が、そんなことを言った。 倫子と大成が何度も誰かに「すみません」を繰り返しているのが聞こえる。 沙智はぼんやりとそのやり取りを聞いていた。 彼女は大成に背負われた。彼のびしょ濡れのTシャツから、彼の体温が熱いくらいに伝わってきた。 また、眠くなって、沙智は目を閉じた。 沙智が目を覚ましたのは、真夜中らしかった。 真っ暗で小さな部屋に寝かされている。 隣には、倫子が眠っていた。 そっと、身体を起こして周りを見渡してみた。すると、倫子が目を覚ました。 「沙智、起きたの?」 「うん。」 倫子は目をしょぼつかせながら、布団の上に座った。 「大丈夫? しんどくない?」 「うん。」 「よかった。」 倫子は眠そうな顔で笑った。 「ここは?」 二人は再び、布団に横になると、小声で話し始めた。 倫子が沙智の疑問に一つ一つ答えてやった。 彼女たちは今、海辺の民家の厚意に甘えていること。沙智が助けられたいきさつ。 倫子と大成がここにいる理由。 「ねえ、沙智…。」 改めて静かに語りかける倫子に、沙智は何も言わずに顔だけを向けた。 「大成のこと、どう思う?」 沙智は突然の倫子の質問に、少し答えるのに戸惑った。 「…いい人だと思う。見かけよりずっと優しいし。」 倫子は今まで沙智を見ていた視線を、天井に移して言った。 「大成と付き合わない?」 「え?」 「大成、ああ見えて、けっこう一途よ。」 「私に言ってるの? 倫ちゃん…。」 「英さんもいい人だけど…、大成なら、…多分寂しい思いはさせないと思うわ。」 沙智は無言になった。 「大成、沙智のこといつも心配してるんだから。その気持ち、わかってあげてよ。」 沙智もまた、倫子から視線をそらすと天井を見つめた。 やはり、言葉が出てこなかった。 朝早く、浜辺を歩く大成がいた。 倫子は大成を見かけて、声を掛けずに近寄り、そのまま背中を叩いて無邪気に笑いかけた。 「倫子か。おはよう。」 「おはよう。私、先に電車で帰ってもいい?」 「え? 帰るの?」 「うん。親が心配してるし、仕事もあるし。」 倫子はもう既に帰り支度を済ませていて、昨夜濡らした服を着ていた。 「沙智を頼むわね。あの子、目を離すとまたどっか行っちゃうから。お願いね。」 「あ、ああ。」 大成は少し考えていたが、うなずいた。 「英さんから連絡は?」 「うん。…あったけど、沙智の居場所は、わからないって、ウソついてやった。沙智の方からアイツに連絡取るつもりなら、止めないけど。」 大成はぐっと手を握り締めていた。 「止めてやって。」 倫子が強い口調で言った。 大成は驚いて倫子の顔を見た。 「これ以上沙智が苦しむ姿は見たくない。大成が沙智をちゃんと支えてやってよ。」 真剣な表情の裏にある倫子の気持ちに、大成が気付いていないわけではなかった。 しかし、確かに英のことを思い続ける沙智は危うすぎる。 「…オレに何ができるんだろう。」 倫子の頭に手をやり、そっと胸に引き寄せて、大成は言った。 「正直、自信が無いよ。」 倫子は大成の胸を軽く叩くと、 「頑張りなさいよ。」 とつぶやいた。 「頑張って…いいのか? …倫子…。」 倫子は大成の胸に、その額を押し付けた後、ゆっくりと彼から離れた。 そして大成を見上げて、微笑んだ。 「沙智に振られたら、私が慰めてあげるわ。」 大成は、かすかな笑みを目元に浮かべただけで、何も言わなかった。 沙智は、海から帰ってきたばかりの大成を見つけた。 「大成、昨日はありがとう!」 手を上げて、大声で叫ぶ。 大成は眩しそうに目を細めて、手を振り返した。 沙智は彼の元に走って駆け寄ると、元気そうな笑顔を見せた。 「倫子、仕事があるからって帰ったよ。」 「うん。わかった。大成は?」 「今日は日曜だし、仕事は休んでもOK。だいたい、沙智を放っておいて帰れるわけないでしょう。」 「大丈夫よ?」 「冗談じゃない。」 大成はブンブンと音がするほど、首を横に振った。 「これ以上何かあったら、倫子に何て言われるかわかんねー。」 沙智は顔を笑みで輝かせた。 「じゃあ、一緒に居てくれる?」 「いつでも、どこへでも。」 「あそこに行こう!」 沙智は斜め上の方向を指差した。 高い崖があった。断崖絶壁とはこのことだ。その上に行きたいと言うのだ。 「んー、沙智に、“リード”つけていい?」 「なにそれ。いくら私でも、あんなところからバンジーはしないよ。」 そして、何のこだわりも無いような口調で言った。 「私は四季さんじゃないもん。」 彼女はどんどん歩き出した。大成は後をついていくのに、必死だった。 途中でやっと沙智を捕まえて、手を繋いだ。 沙智はそんな大成を振り返ると、笑って言った。 「よっぽど、心配なんだね。逃げないから、安心してよ。」 「いや、心配性なんで、無理。」 大成は真面目な顔をして言った。 崖に着くと、沙智は嬉しそうに、真下の海面が見える突端に立った。 高所恐怖症の気のある大成には、かなり恐ろしい景色なのだが、沙智を一人で行かせるわけにもいかず、手を繋いだまま、崖の上に立っていた。 何も言わないでただ、風に吹かれて空と海を見ている沙智に、大成はついに問いかけた。 「兄貴のこと、そんなに好きなの? 死にたくなるくらい?」 「違うよ。」 沙智は振り返らずに、海に向かって話した。 「死のうなんて思ってなかった。海に浮かんだ紙ヒコーキを取ろうとしただけ。ここに来たのも、四季さんと話がしたかっただけだし。」 「四季さんと話す前に、ちゃんとアイツと話したの?」 沙智は大成を顔だけで振り返った。彼を見上げる瞳は、この日の晴れた空のように美しかった。 「もういいんだ。話なんかしなくても、よくわかったから。っていうか、わかるのが遅すぎかな。」 「無理すんなよ?」 「無理してないよ。ホントにわかったんだ。」 沙智は大成に身体ごと向き直ると、繋いだままの大成の手を引っ張って、元来た道を帰ろうとした。 その時だった。 沙智が足を止めた。 大成は彼女の視線の先にいる、英に気付いた。 「兄貴…」 英はゆっくりと二人に近寄ってきた。顔色は青く、寝ていないらしいと推測できた。 「沙智さん、無事だったんだ…。ありがとう、大成…。」 元気の無いかすれた声で、英は言った。 「心当たりを色々探してみたんだけど、まさかこことは思わなくて…。教えてくれればいいのに…。」 「教えたって、あんたはここに来れないって思ったんだけど。違う? ここは、四季さんが亡くなった場所だからな…。」 英は目を閉じると、横に首を振った。 大成は強い口調で続けた。 「お墓の方が大事なんだろ? 沙智より、四季さんの方が大事なんだろ? もう沙智はわかってるんだ。気を持たせるのはやめろよ。」 「大成、沙智さんと話がしたいんだ…」 沙智は石の様に固まったまま、英を見つめていた。 かすかに、沙智の手が震えているのが、大成に伝わった。 「沙智、どうすんの?」 大成は手を引っ張った。 沙智はうつむき、大成と手を繋いだまま歩き出した。英の前を無言で通り過ぎていった。 「沙智さん!」 英は去って行く沙智を追いかけられずに、その場で立ち尽くしていた。 「聞いて、沙智さん。僕は、四季が亡くなったって聞いて、心のどこかでほっとした…。もう、彼女に縛られなくて済む…。」 沙智は足を止めなかった。 「でも、そんな自分が許せなくて…。どうしてもお墓にだけは行って彼女と話がしたかった…。僕のそばから消えた彼女に、ちゃんとさよならが言いたかった…。」 「うそだよ…。」 沙智は立ち止まり、初めて口を開いた。 「英は、四季さんにずっとそばにいて欲しいはずだよ。…今も、好きなんだよ。…離れないで欲しいって…。」 沙智の声はだんだん小さくなって、聞き取れなくなった。 「違う…。彼女には会いたかった。でも、好きなのとは違う…。僕は四季とのこの4年より、君との一週間の方が幸せだったから…。」 英は一歩、沙智に近づいた。 しかし、大成がそれを許さなかった。 「言ってる意味がよくわかんねーよ。沙智が大事なんだったら、沙智を追い込むようなこと、すんなよ。沙智はここで自殺しようと…」 大成の言葉が終わらないうちに、沙智は走り出した。大成は繋いだ手に引かれて、慌ててついて行った。 「沙智さん!!」 英のかすれた声が痛々しく響いた。 沙智と大成は、後ろを振り返らずに走り続けた。 その日の翌日、沙智はまた姿を消した。今度はアパートの中身ごと、綺麗に消えていた。 英の会社に、沙智の手紙が届いた。 <母のいる田舎へ帰ります。さよなら。いままでありがとう。 この手紙は、紙ヒコーキにでもして、ビルの上から飛ばしてください。 沙智> |
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