good morning

この作品の写真素材はあんずいろapricot×color様よりお借りしています


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「風と君とを抱きしめて」

(3)

背の高いフェンスが立体駐車場の周りに張り巡らされている。
沙智はそのフェンスを裸足でよじ登っていた。
駐車場の周囲は、道路と空き地と路地と自動車整備工場で、沙智の姿は空き地側から良く見えた。
空き地もまたフェンスで囲まれている。
その傍で、小学生くらいの男の子が二人、じっと沙智の様子を見守っていた。
途中で駐車場のフェンスには大きな穴があり、その穴にしっかりと足をかけた沙智は、
笑って子供たちのほうを振り返った。
子供たちはただ、呆然と沙智の行動を見つめている。
「なんか、心配してるでしょ、あんたたち。」
沙智は穴のある場所で休憩を取るかのように、上に登るのをやめた。
駐車場と空き地の間の狭い路地を、たまに人が通り過ぎ、驚いた顔をして時折沙智の方を見上げていた。
たまたま通りかかった大成(たいせい)という若い男性もまた、沙智の行動にギョッとして立ち止まったクチだった。
「ちょっと、あの人、何やってんの?」
長身で日焼けした肌に鮮やかなイラストのTシャツを着た大成は、小学生たちに問いかけた。
「アレ、取ってくれるって。」
男の子が沙智のフェンスの上の方にはまり込んだ、柔らかいビニール製のボールを指差した。
「あー、なるほど…って。バカじゃないの?」
彼は思わずつぶやいた。
彼の見つめる相手は、スカートにエプロンに裸足といういでたち。
「あぶねー女。」
そんな言葉とは裏腹に、大成は沙智の行動が気になった。
沙智は、背伸びをして、ギリギリのところで、ようやく水色のボールをぎゅっと掴んだ。
固くはまりこんだビニールのボールを、彼女はなんとか金網の間から引っ張り出すことに成功した。
ボールをポンと放り投げる。
背の高い大成が、それを受け取って、小学生に渡してやった。
小学生二人は、ボールを受け取ると路地を通ってどこかへ消えていった。別の遊び場を探しに出かけたのだろう。
彼は、沙智を見ていた。しかし、沙智は一向に降りてくる気配がない。
「おい。」
とうとう、大成は沙智に声をかけた。
「もしかして、降りられないの?」
「降りられるよ。」
沙智は心外だとでもいう風にため息をついた。
「気持ちいいんだ。すっごくいい風が…」
大成は、彼女の顔を見て、ふと何か懐かしいものと似ている気がした。
しかし、何だったのか思い出せない。
「ばか、どうでもいいから、早く降りて来い。あぶねーよ。だいたいそのカッコ、下からパンツが丸見えだぞ。」
「あっそう。そういえば、制服だった。」
沙智は今初めて気がついたとでも言うように、笑ってスカートをヒラヒラさせてみせる。
「お前ねぇ…。」
呆れて腕組みをしている彼の前に、大声で叫びながら女性が走ってきた。
「沙智、沙智ったら!」
フェンスによじ登っている沙智と、まさに同じ制服の女性。倫子(りんこ)だった。
「あ、倫ちゃん。」
「倫ちゃん、じゃないわよ、またこんなところでサボってる! 店長が怒ってるわよ!」
「やばいな。あの温和な店長でも怒るんだ。」
沙智はペロと舌を出して、あっという間にフェンスから降りてきた。
「ねえねえ。」
大成が倫子に話しかけた。
「この人、いっつもこんなところでサボってるワケ?」
「いつもというか、そういうんじゃないけど…。まあ、似たようなところで…。」
倫子はだんだんと顔を赤らめて、その大成の視線から逃げるようにうつむいた。
「へえ。」
大成という男性は、倫子が今まで逢った中で、最も端正な顔立ちの男性だった。
茶色の瞳と、整った眉、通った鼻筋、均整の取れた唇。
痩せた頬はざらついて荒れてはいたが、それも嫌な感じはない。
日焼けして痩せている人間にはありがちな肌質である。
まっすぐに見つめられると、誰でも目を逸らすのではないかと倫子は思った。
倫子がもじもじしている隙に、沙智はさっさと靴をはき、店のほうへ走り出していた。
「あ、ちょっと待ちなさいよ、沙智!」
そう言って行こうとする倫子の腕を、大成が急に掴んだ。
驚いて振り返る倫子に、大成は言った。
「彼女、沙智って言うの? きれいな子だな。…どっかで逢ったような…?」
つぶやく大成の言葉で、倫子の中に、少し暗い雲が横切った。
沙智のことを射止めようとする男が、ここにもいたかと、うんざりする。
「その制服からすると、そこの、でっかい喫茶店に勤めてる?」
「え、まあ…。」
「今から行こうかな。」
大成は、倫子の目を見て、にこっと笑った。
「どうぞ。ご勝手に。」
倫子はその目を見ないようにして答えた。
「倫ちゃん、絶対オレのところにオーダー取りに来てよ。いい?」
「お約束できません。」
倫子は大成の手を振り切ると、走って沙智の後を追いかけた。
「じゃ、今から行くから〜。」
倫子の背後から、大成の声が聞こえたが、彼女は振り返らずに無言で走っていた。
 
沙智が店の奥の事務所で店長に絞られている間も、倫子は仕事を休んでいるわけにはいかなかった。
ホールに立つ。客は次々とやってくるのだ。
次々とやってくるのだが、なぜか、さっきの馴れ馴れしい男性は来ない。
冷やかしだったのかな。
倫子はそんな風に思いながら、客のテーブルでオーダーを聞いていた。
そんなとき、ようやく店長に解放された沙智がホールに戻ってきた。
「いや、参った参った。」
小さくつぶやく沙智に、倫子は肩でため息をついてみせた。
「ほんと、こっちも参るわよ。」
沙智と倫子はホールの隅に立ち、話し始めた。
「あのさあ、倫ちゃん。」
「なによ。」
「私、好きな人ができた。」
「あっそう。」
倫子は無愛想に相槌を打った。
「あっそうって、それだけ?」
「決まってるでしょう? 沙智、今までに何人好きな人が出来たと報告してきた?」
沙智は、少し考えていた。
「もうそのセリフは聞き飽きたわ。ろくでもない変わった男ばっかでさあ。…もうちょっと、男を見る目を養わないと、今に困るわよ?」
「うん…。でもさ、今度の人は、私のことわかってくれそうな気がして…。」
「沙智のことを理解できるのは、世界広しといえども私だけよ。あんたは私と結婚するほか、ないのよ。」
そう淡々と言い放つ倫子に向かって、沙智はポケットの中から一枚の名刺を取り出した。
「この人なんだけどね。」
<Show me your ability.>
そんなコピーの後、株式会社フィールド、代表取締役、野上 英。そしてオフィスの住所や電話番号が載っていた。
「これ…。」
倫子はぎゅっと名刺を持つ手に力を込めた。
「どうしたの?」
「ここ、私の友達の間で、有名だよ。」
「有名? 何が?」
倫子は沙智の顔をまじまじと見て、言った。
「社長が若くて、カッコイイ。それでここの派遣社員になるコが後を絶たないって。」
沙智はそんな倫子の言葉に、何か文句を言いたげであったが、それは新たな客が来たおかげで、口にすることができなかった。
新たな客。
それは、沙智と倫子には困った客だった。
「来たよ、倫ちゃん。」
例の馴れ馴れしい美形男だった。
 
沙智と倫子は顔を見合わせて、仕方なく倫子がオーダーを取りに行った。
「二人で来てくれればいいのに。」
「冗談言わないでください。」
倫子はできるだけ大成の顔を見ないように、事務的に応対した。
「ご注文は?」
大成の答えがかえって来ない。倫子は、仕方なく大成を見た。
大成は、倫子のエプロンのポケットからはみ出していた名刺をすっと抜いて、見ているのだった。
「あ、それは…。」
沙智に見せてもらっていた英の名刺だった。大成が不思議そうにその名刺を見つめている。
「返してください。」
「この会社で面接したのか?」
「ちがいます。関係ないですから、返してください…。」
「じゃ、なんで持ってるの?」
大成はしつこく聞いてくる。
倫子の様子がおかしいと気付いた沙智は、そっと様子を見に来た。
「どうしたの、倫ちゃん…。」
「名刺、返してくれないのよ…。」
コソコソと沙智に言う倫子の様子を見て、大成はついに名刺を倫子へ返した。
「仕事に困ってるわけ?」
大成は沙智と倫子の顔を見て言った。そして、自分も財布を出して、名刺を取り出した。
倫子がその名刺を受け取り、見ようとしたちょうどその時、男性客が大成の席に割って入ってきた。
「遅くなったな、悪い。」
大成の前の席に座ろうとする男性は、沙智の顔に気付いてあっと声を上げた。
沙智も呆然としていた。
「野上 英…。」
「ええ?」
倫子は驚いて英の顔を見ていた。そして手の中の名刺2枚と見比べる。
一枚は英の名刺。そしてもう一枚は、英の前に座る大成のもの。
でも、全く同じ社名。
同じ、名字。
野上 大成。
取締役…。
「このヒト、オレの兄貴。」
「大成、知ってるのか、沙智さんを…?」
「もちろん…。」
大成はニヤリと笑った。
「知ってるってほどじゃないと思うけど…。」
沙智が反抗するようにつぶやくと、
「なんでよ。パンツ、見せてくれたじゃん。」
と大成は恐ろしいことを言って笑った。
英が思わず沙智を見た。
沙智は真っ赤になって、倫子の陰に隠れた。
倫子は、バンとテーブルを叩くと、大成を睨み付けた。
「誤解を招くようなことは言わないでください。」
「えー?」
大成は相変わらずの笑顔だ。
そんなつまらないことを言いながらでも、
大成の顔を見ると、倫子は、その綺麗さに見惚れてしまう。
この兄弟、雰囲気は違うが、なんて綺麗なんだろう。
さすがに、噂になるだけある。
中々注文をしない二人の男性を、倫子は恨めしげに見つめた。
その時だった。大成が大声を出した。
「そうか。わかったぞ。」
沙智も倫子も英も、一斉に大成の顔を見つめた。
「四季さんだ。四季さんに似てるんだ。」
大成は沙智を指差していた。
「兄貴の行方不明の恋人の、四季さんにそっくりだ…。」
英は大成から視線を落とし、それきり沙智の方は向かなかった。
沙智は少し体を振るわせ、倫子の体にもたれかかっていた。
その時の倫子には、沙智の軽い体を支えるだけの力が、まだ自分には無いような気がして、
結局、何も言えずにいた。

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