この作品の写真素材はあんずいろapricot×color様よりお借りしています
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| 「風と君とを抱きしめて」 (4) ショッピングセンターの中央に位置する広場で、ストリートミュージシャンが歌っていた。 じっと彼らを見つめる沙智の隣に、大成がいた。 「あきらめなって。」 大成がつぶやくのを、沙智は聞こえないかのように、黙って立っている。 生歌が、体の中にまで良く響く。 大成には、沙智が歌に聴きほれているのか、それとも考え事をしているのか、それすら分からない。 「オレなら、身も心も、フリーなんだけどなあ…。」 歌が終わると、沙智は拍手して、そのまま立ち去ろうとした。 「なあ、さちー。」 後をついて回る大成を振り返ると、沙智は彼を睨み付けた。 「英を好きじゃ、いけないの?」 「いけないっていうか…、振り向いてもらえないよ?」 「どうでもいいよ。」 沙智はぷいと横を向いた。 「振り向いてもらえるかどうかなんて、問題じゃない。」 「沙智が兄貴と一緒にいられるのは、沙智が四季さんに似てるから。ただそれだけの理由だよ。それでいいの?」 沙智は胸を右手で押さえて、表情を固くした。 大成は沙智の手を取って、広場にいくつも設置されているベンチに無理やり腰掛けさせた。 「あのね、アイツはね、兄貴はね、四季さんのことしか頭に無いヤツなんだよ。」 沙智は唇をきゅっと結ぶと、大成の言葉が流れるままに、じっとベンチに座っていた。 「1年前、何人かの友達と一緒に兄貴は海へ行った。もちろん、四季さんも一緒にだ。四季さんは、すごい美人で、ほっとくと何人もの男が声をかけてくる。分かってるから、多分、兄貴もあんまり連れて行きたくはなかったみたいだった。」 大成は勝手に話を続けた。 「付き合って多分3年くらい経ってたけど、まだ若いし、結婚したくても不安定な起業家だったしね。竹内さん、つまり四季さんのご両親は兄貴と付き合うのをあまりよく思ってなかった。でも、兄貴は彼女をこっそり連れ出したんだ。海へ。四季さんがどうしても一緒に行きたいって言うから。そしたら、案の定、四季さんは男にナンパされまくり。必死でガードしてたけど、ついに、兄貴もキレたんだな。あの気の長い兄貴がキレたんだから、よっぽどだったんだろう。家に帰れって、そう言ったらしい。送っていくから、帰ってくれって。でも四季さんは、帰らないと言った。そして、翌朝早く、一人で浜辺に出たという目撃情報を最後に、四季さんの消息は途絶えた。」 沙智はやっと、大成の顔に向き直った。 「消息が途絶えたって…?」 「そのまま、言葉どおりさ。未だに連絡はないし、生きてるかどうかもわからない。」 大成はタバコを出して、火をつけた。 「毎月、17日には兄貴はわざわざ竹内の家に行って、四季さんの安否を確認してる。 そう、つい一昨日も。一昨日で、ちょうど一年経った。でも、なんの手がかりもないらしい。」 「生きてたら、きっと英に会いに来るはずだよね。」 「多分、死んでるんだろう。」 それでも、英は半永久的に、竹内の家に通い、四季の安否を問うのだろう。 それは、大成が言うまでもなく、沙智にも容易に想像がついた。 「だから、沙智には勝ち目はないよ、わかっただろ?」 沙智は目を閉じた。 「…わかった。」 タバコの煙が沁みたせいだろうか、沙智は、目がじわっと熱くなるのを感じた。 大成は、時計を見た。2時10分前、そろそろ英と待ち合わせの時間だった。 「兄貴、じきに来るから。オレは、いなかったことにしといてよ。」 沙智が何も言う前に、大成はタバコを灰皿でもみ消して、立ち上がった。 「これから、得意先回りなんで。またな。」 そういえば、珍しくスーツなんか着込んでいる。 アッシュグレーの髪でも、スーツを着ているというだけで、少し紳士的に見えるから不思議である。 兄と同じ系統の、端正で上品な顔立ちのおかげで、決してホストのようなイメージは付きまとわないようだ。 大成がその場を去ってから、数分、沙智はベンチに座ったまま、じっと宙を見据えていた。 「時間ギリギリだね、ごめん。サ店で待ち合わせだったのに…? こんなところでどうしたの?」 そう言って英が沙智の前に現れたときも、彼女の心はどこか遠くにあるようだった。 沙智は、英のにこやかな表情を前にして、やっと我に返ったように微笑んだ。 「ね、暑いから、図書館でデートしよう。」 「え? デート? 面接なんだけど…。」 そんな英の言葉など、沙智は聞いていないようで、立ち上がるとさっさと歩き出した。 ひんやりとした独特の空気。印刷物のにおいと、真新しい書棚のにおいがする。 夏休みもそろそろ終わりである。 平日の昼間は図書館の利用者もさほど多くは無かった。 ショッピングセンターの中に、市の図書館や公民館も入っていたので、 図書館と言っても、二人が待ち合わせた場所から、そう遠くない場所にあった。 沙智は入館すると、ある書棚を目指して突き進むと、迷わず一冊の本を取り出した。 英は、こんなところで仕事の話をするわけにもいかず、ただ、沙智についてゆくしかなかった。 「こんな本を出したいんだ。」 沙智は英に水色の表紙の本を突き出した。 「本を出したいってことは、やっぱりまだ出版してないんだな。」 英は笑って本を手に取った。 沙智はその本を英の向かい側から覗き込んだ。 「そりゃそうでしょ。自称詩人だけどね。詩だけで食べてくなんて、カナリ無理があるよ。絵が書けたらなあ。…写真でもいいんだけど…。」 英は言葉が綴られたページに、青い海の写真が広がるのを見て、顔色を変えていた。 黙ってページをめくる英は、その全てのページに海が広がっているのを知り、呼吸を止めて本を閉じた。 「あとね、これも好きなんだよ。」 沙智は無邪気に2冊目の本を渡した。 英は字など見ていなかった。表紙に映る深い緑の海原と、岸壁、恋人たちのいる砂浜、それだけでもう十分だった。 「海が好きなの?」 彼が表紙を開くことはなかった。 「海はキライ?」 沙智は、逆に尋ねた。 英は黙っていた。 「私はね、海でも山でも街でも、どこでもいいんだ。そこにある、風が好き。」 「そうか。」 「図書館にだって、風は吹いてるんだよ。」 「え?」 英は沙智の明るい笑顔をじっと見つめた。 「英が歩いたら、風は起こるでしょ?」 澄んだ二つの瞳には、英の顔がしっかりと映っていた。 それを見ながら、英は胃の痛みを感じていた。 そんな目で見ないで欲しい。 扉の向こうにいるはずの君が、堂々と僕の部屋に入り込んでくる。 君は、四季じゃない。 でも僕は、扉を開けたんだろうか。 「四季さんて、どんな人?」 英は突然その名を耳にして、驚いて本を落とした。 沙智と英はしゃがんで、2冊の本を拾った。 しゃがんだまま、沙智がつぶやいた。 「ごめんね。」 「いや…。」 ふと英は、その書棚の通りを、風が吹いたような気がして顔を上げた。 誰も歩いてはいないのに。 「英…。好きだよ。」 沙智の言葉が、まるで木の葉のように、英のそばに舞い降りた。 書棚の陰で、彼女は、そのまま英に唇を寄せた。 英は動けないまま、それを自分の唇のそばに感じた。 数ミリの空間が、届かない距離のようで、渡れない河の向こうのようだった。 吐息がかかるほど近くに、何も言わない唇がある。しかし、触れてはならないと、誰かが叫んでいる。 それは、英の心を激しく揺さぶった。 英は顔を背け、立ち上がった。 「どこで仕事の話をしようか。」 英は何もなかったように、本を書棚に戻すと、沙智の顔を見ないで言った。 沙智はゆっくりと立ち上がり、英の横顔を見ていた。 「どこでもいい?」 「仕事の話ができるところなら。」 それだけ言うと、英は図書館を出た。 「できれば、屋上がいいな。」 英の後をついて歩く沙智が言った。 「屋上?」 「うん。」 沙智はショッピングセンターの屋上にある、ゲームランドの端の手すりに来て微笑んだ。 「嬉しそうだね。」 「うん。」 そう言って笑う沙智の柔らかそうな髪を、強い風が掻き上げる。 そこからは、ショッピングセンターとその下の道路、周辺の建物が見渡せる。 「仕事、どんなのが好き?」 英が訊いた。別にメモをとるわけでもなく、ただの日常会話のようだった。 「私ね、英…。」 沙智は手すりに顔を寄せて、にこにこ微笑んでいた。 「英の会社には、登録しないほうがいいと思うんだ。だって、サボリだし。迷惑かける。」 「でも、あの店、クビになったんじゃないの?」 「うん。まあ…。自業自得だし。」 「じゃあ、食べていけないでしょ。でも、まあ、まだ若いから、親のスネをかじるか?」 「ううん。」 沙智はふっと空を見上げた。 「お父さん、小さい頃亡くなってね、お母さんは、3年前、田舎で再婚したんだけど、私はこの街が好きだったから、大学もここがいいって言って残ったんだ。」 「そう…。」 「でも、大学、勝手にやめちゃった。」 沙智はまた、小さな舌をペロっと出して悪戯っ子のように笑った。 「だから、お母さん怒っちゃって。仕送り無しなんだあ。どっちみち、知らないおじさんが稼いだお金で、生活する気はなかったけどね。」 英は驚いて、沙智の表情を読み取ろうとした。 「ここに、一人で住んでるの?」 「まあ、そういうこと。」 英はそのことの難しさを知っているがゆえに、眉をひそめた。 「月2万円のアパート借りて、保証人には倫ちゃんのお父さんになってもらったんだ。倫ちゃんにはすっごい感謝してる。二つしか違わないけどしっかりしてるし、いいお姉さん。」 「…だね。」 英はため息をついた。 「それじゃあ、サボってないで、しっかり働かないとダメなんだから、ちゃんと仕事に就きなさい。」 「うん…。でも、いいんだ。なんとか生きていけるよ。」 「ダメだって。みんなが心配するよ。」 沙智は英の言葉に不思議そうに尋ねた。 「誰が?」 「誰がって…」 英は胸が痛んだ。 倫ちゃんが心配してるだろう。僕だって心配だよ。 そんな言葉でしか、彼女を慰められない。 「大丈夫だよ。私って、なんとか生き延びてくタイプだと思う。」 沙智はくすくす笑った。 そして、そのままの可愛い笑顔で、彼女は言った。 「同情しなくていいよ。」 英の心の扉がバタンと音を立てて閉められた気がした。 そんな言葉で、外から鍵をかけるのか。 また、英はキリキリと胃が痛むのを感じた。 僕が内側から鍵を開けて出てくるのを、君はじっと待っているつもりなんだろうか。 「同情って言うけど…。」 「ただの知り合いなんだし。同情でしょ?」 四季に似た人。 優しい、そして寂しい顔で、もう笑わないでくれ。 英は、思わず手を伸ばした。 手すりにつかまったままの沙智を、英は黙って引き寄せた。 「英…?」 英は沙智の小さな身体を、風から庇うように抱くと、つぶやいた。 「同情じゃない…。」 多分。 君をもう、黙って見てはいられないから。 |
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