good morning

この作品の写真素材はあんずいろapricot×color様よりお借りしています


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「風と君とを抱きしめて」

(6)

永いキスが二人の身体を染め上げていた。
一瞬で、どこまでも深い穴に落ちて行く。そんな快感に痺れている。
ふっと吐息を漏らして、沙智が言った。
「英…。」
「なに?」
「…四季さんのこと…。」
英は、沙智から少し離れると、彼女の視線を受け止めた。
「気になる? …ごめん…。」
沙智は英の両の目をしっかりと見据えて言った。
「いいよ。ただ、ちゃんと教えて欲しい。」
「…教えるの…?」
沙智は黙って小さく頷いた。
「今ある思い出を全部、見せて…。」
沙智がそんなふうに言うと、英は腫れた顔で微笑んだ。
その顔が少し、情けなく見えるのはしょうがないのだろうか。
沙智にはとてもいとおしく思えた。
 
英の部屋は、さほど広くなく、あまり生活臭もしない部屋だった。
彼が見せてくれたものは、思い出と言っても大したものではなかった。
3年付き合って、残っている写真はたった3枚だった。しかも付き合った当初に撮ったものらしい。
英21歳、四季22歳。大学生らしく、サークルの集団で撮った写真が、1枚。
四季だけの写真が1枚、そして二人並んで遠めに撮った写真が1枚。
「写真が嫌いな人でね。カメラを構えると、逃げられた。」
英がソファに座ってローテーブルでノートパソコンを起動させながら、言った。
沙智はそのソファのそばで、じゅうたんに座り込み、3枚の写真を見つめていた。
「私に似てる?」
「と、思うけど…。」
写真では表情が乏しいために、よく分からない。
短めのストレートの髪、服はどれも黒ばかり着ている。ばっちりメイクをしてまるで女優のようだ。
どこが似ているんだろう。沙智は自分との接点を必死で探していた。
「後ね、僕のデジカメで彼女が撮った写真が残ってる。パソコンに取り込んでるんだけど。」
沙智は英の隣に座って、パソコンの画面を見つめた。
「撮られるのは嫌いだったけど、撮るのは好きらしくてね。風景とか、人間とか、バシャバシャ撮ってた。半分以上捨てた。CDにでも焼いておけばよかったんだろうけど…。」
空や、海や、街や、木々や、公園や、そして、英のどアップや、背中や、目や、指や、遠くの浜で座っている姿や…。
どれも、いい具合にわざと中心がずらしてあって、撮った人の個性が感じられた。
「ほかには?」
「クローゼットに服が何着か。ピアスとか…。ここに住んでいたわけじゃないから、そんなもんくらいしか残ってないな…」
沙智は思わずクローゼットを見た。
英はクローゼットを開き、服を見せてくれた。やはり、モノトーンだった。黒いノースリーブのシャツにグレーのパンツ。
沙智はその服を自分にあててみた。
「似合う?」
英は目を細めて、小さくうなずいた。
 
「じゃあ、思い出の殆どは、英の中にあるんだね。」
沙智の言葉に、英はチラと彼女を見てから、パタンとノートを閉じた。
「どんな人?」
英は訊かれて、天井を見上げた。
「裕福な家庭のお嬢さんで、ワガママで。きれいだったから、メチャクチャモテて。いつも僕は誰かに盗られないか、ヒヤヒヤしてた。」
「ふうん…。」
「時々は優しかったりね。時々は可愛かったけど、いつもは大体、男みたいにサバサバしてて、自信家だったな。」
「そうか…。」
英はとなりの沙智の複雑そうな顔に、視線を戻して、横顔を指でなぞった。
沙智は英を見ることなく、彼の手をそっと自分の手で包んだ。
「彼女はね、ちょうど1年前に海でいなくなったんだよ。その日の朝、僕は彼女に起こされたんだ。一緒に行こうって。でないと、一人で行っちゃうからねって。僕は、その時、彼女の勝手さに怒っていて、彼女には付いて行かなかった。勝手にしろよって、一人で行かせた。そしたら、…戻ってこなかった…。」
「うん…そっか…。」
沙智は頬に置かれた英の手を、ぎゅっと握り締めた。でも、英の顔は見ることができなかった。
「あのときに引き止めておけば、四季は…。」
「大丈夫だよ。きっと戻ってくるよ。」
沙智は根拠のない、ただの慰めを、必死で伝えた。
すると、英は笑って言った。
「戻ってきたら…? どうしたらいいんだろう…。もう、何て言っていいかわかんないよ。」
その自嘲気味の声に、沙智は思わず英を見つめた。
彼は沙智の視線を受け止めて、微笑んだ。
彼女の頭を引き寄せて、柔らかな髪に指をからませた。
複雑な表情のまま、沙智は英に頭を寄せ、つぶやいた。
「だって、戻ってきて欲しいでしょう?」
ほんの少しの沈黙の後、彼は、「いや。」と短く答えた。
「生きていればそれでいい。」
沙智は、英の中の四季の姿が、どんどん色濃くなるような気がした。
沙智が知ってしまったことで、四季はその存在を肯定され、前よりも大きな存在になってしまったような、そんな不安感を抱いた。
彼女は心の中で、ある決意をした。
 
「四季さんから年賀状とか手紙とか、暑中見舞いとかもらったことないの?」
突然の沙智の言葉に、英はその意図を推し量りかねた。
「どうして? あると思うけど…。」
「見せて。」
全ての思い出を見せると約束した手前、彼は彼女の要求に応えないわけにはいかなかった。
彼は立ち上がって、本棚の引き出しを探っていた。そして3枚の年賀状を出してきた。
沙智は、その年賀状を、パラパラと見て、言った。
「きれいな字だね。」
「ああ。」
そして、すぐにその年賀状を写真と一緒に重ねて置いた。
「これは、私が預かります。」
「え?」
「だめ? 捨てたりしないから。」
「うん。いいけど。」
「それとあの服、できたら貸してほしいんだけど。」
「え?」
「四季さんの服。明日仕事場に着ていく、まともな服が無いんだ。サイズちょうどよさそうだし…。」
英は、立ち上がった沙智を呆然と見守っていた。
「ん、いいけど…。あげるよ。…着るの?」
「ほんと? じゃ、全部もらっていい?」
「あ、うん。いいよ。」
沙智はさっさとクローゼットから服を取り出して、英が差し出した紙袋に詰めた。
「今日は帰るね。明日から仕事だし、初日から遅れられないしね。」
「うん。」
まだ8時半だった。
 
しかし、仕事のことを言われると、英は何も言えなかった。
「じゃあー、送ってくか。」
「めんどくさいなら、いいよ?」
「いや、そういう意味じゃないんだけどね。」
ちょっと視線を移ろわせて寂しそうな顔をする英に、沙智は思わず笑みを漏らした。
「帰って欲しくないとか?」
「ん?」
何か言いたげな微妙な英の反応を、見て見ぬフリをして、彼女は玄関へと歩いていった。
「どーしても帰るんだ。」
まだソファに座ったまま、英が沙智に向かい大きな声でつぶやく。
「だから、帰って欲しくないの? 社長。」
「社長って言うなよ。」
「明日の仕事があるんですが、社長。帰っちゃいけませんか?」
苦い顔をして、英は沙智を睨む。
「社員なら、社長の命令をきく?」
「セクハラで訴えようかな。」
英は大きなため息のような苦笑を漏らし、しょうがなく玄関に向かった。
玄関で腰を下ろし、靴を履きながら、沙智はつぶやくように言った。
「どうしても帰って欲しくないなら、素直にそう言えばいいのに。」
英はそんな彼女の小さな背中を、思わず後ろから抱きしめると、
「素直に言えば、居てくれるの?」
と尋ねた。
沙智は英の息をうなじに感じて、くすぐったそうに肩をすくめた。
「寂しがり? 甘えん坊? それともただのスケベ?」
「全部正解。」
「なんだか、イメージが崩れるなぁ。」
そんなことを言う沙智に、英は思わず背中から離れて笑っていた。
そして、沙智の隣に座って、彼自身も靴を履き始めた。
「好きだから。」
ぼそっと英はつぶやいた。
「え? 今、なんていったの?」
沙智は飛びつくようにして、英の方を向いた。
そんな彼女に、英は軽く唇をなぞるようなキスをした。
「好きだから。」
はっきりと答える。
 
「もう少し一緒にいたい。」
 
 
英は一人のベッドで目覚め、軽い後悔に襲われていた。
結局昨夜、沙智は彼の引止め工作には屈せず、あのままアパートへ帰って行った。
車に彼女を乗せ、送っている時点で、かなり彼自身は気まずさを感じた。
沙智はなんとも思っていないかもしれないが、英にとっては後味の悪いこと、この上なかった。
かなり頭に血が上っていて、後先考えない行動をとってしまったことに対する嫌悪感。
そう、短期間で彼女に接近しすぎていた。
「好きだ」と言った、多分これが、最短記録である。
 
この、辛い気分は一体なんなんだろう、と英はベッドの中、横を向く。
沙智は、この部屋から四季のものを殆ど持ち出した。
それほど、彼の中の四季の存在を消してしまいたかったのだろうか。
そう考えては、沙智に対する申し訳ない気持ちが、彼の中にこみ上げてきた。
英は、この時、沙智が何をしようとしていたのかを、全く考えもしなかった。
 
 
10時半、英が会社に顔を出すと、いつものように事務員が先に来ていた。
「おはようございます。」
彼が声をかけると、事務員の40歳すぎくらいの女性は、軽く会釈して挨拶を返した。
「あの、英さん。」
事務員はおずおずと来たばかりの英に近寄る。
「どうしたんです?」
「実は先ほどmiroの店長からお電話がありまして。」
英は嫌な予感がした。miroとは、沙智が働くことになった子供服の店の名前だ。
「10時になったのに、まだ松井さんが来られてないと…。」
「あ、そう。わかった。ここに連絡してくれる?」
英は手帳に書いた、沙智の持っている携帯電話の番号を事務員に見せた。
「松井さんに携帯を渡してあるから。呼び出して、僕に代わって。」
「はい。」
すばやく対応する事務員。その間に、彼はmiroに電話し、店長に謝罪した。
その電話が終わるや否や、英の仕事用の携帯がなり始めた。
着信音で、大成からの呼び出しだとわかった。
「なんだ?」
『兄貴、沙智がさ…。』
「沙智?」
『ああ、沙智が、竹内さんの家に行ったらしい…。』
英は、一瞬聞き間違いかと耳を疑った。
「え? どういう意味だ? もっとちゃんと説明してくれ!」
彼は大きな声で、早口で訊いた。
『ちゃんと説明って、これ以上どうやって説明するんだよ。オレだって今、倫子に聞いてびっくりして兄貴に電話してるんだから…。』
ごくりと唾を飲み込んで、英は一つ息を漏らした。
「わかった。また詳しいことが分かったら連絡頼む。」
『オレ、竹内さんの家の近くまで倫子と一緒に行ってみるから。兄貴は会社の方頼むよ。』
「ああ。」
英は自分が飛んで行きたいのを、ぐっと堪えた。
竹内の家にとって、彼は一人娘を行方不明にさせた張本人であり、彼が行くことでいつも不愉快な時間を与えてしまっている。
今日、英が顔を出すことで、事が大きくなり、沙智が余計な仕打ちをうけるかもしれない。
ここは、大成と倫子の二人に任せる方が良いと考えた。
事務員が顔を上げて言った。
「つながりません。電源が入っていないみたいです。圏外かもしれませんが…。」
「そうか…。多分、電源入れてないんだろう。」
「困った人ですね。」
「ああ。」
英は笑うことすらできなかった。
どうして四季の家になんて行こうと思ったのだろう。いや、だいたい、どうして四季の自宅の場所を知っているのだ。
英ははっと気付いた。年賀状だ。住所が載っている。
それで持って帰ったのだ。
それで昨夜は、絶対にアパートに戻ろうとしたのだ。
コンビニの書籍コーナーで地図を立ち読みしている沙智の姿が、彼の目に浮かんだ。
「何考えてるのかしら。」
事務員が、まさに英の気持ちを代弁してくれた。

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