この作品の写真素材はあんずいろapricot×color様よりお借りしています
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| 「風と君とを抱きしめて」 (7) その日の朝、倫子は開店時から店に居た。朝は忙しい。テキパキこなさねば、時間の無い客からクレームがくる。 しかし、10時前になると、それも一段落つき、事務所で15分の午前休憩を取ることができた。 「高橋さん、お友達が来てますよ。」 新人の子が倫子を呼んだ。倫子はお友達、といわれて、こんな時間に来れる子は一人しかいないはずだと思いながら立ち上がった。 でも、沙智なら、やめさせられた手前、ここに来るのはちょっと気まずいはずなのだが。 倫子は新人の子の指差す方を見た。カウンターに座っているのは、確かに沙智だった。 しかし、さすがに店長にも気付かれないはずである。いつもの沙智とは雰囲気が違った。 「どうしたの?」 「あ、倫ちゃん。」 その声で店長が、沙智を見て、やっと彼女だと気付いたようだった。 倫子は制服の上にカーディガンを羽織って、休憩中であることをアピールしながら、沙智のとなりに座った。 「その髪、その服、その化粧…。」 倫子は沙智を上から下まで何度も見返した。 沙智は普段は絶対に持たないような黒の小さなトートバッグから、写真を一枚出した。 「これ、四季さんなんだ。」 倫子はその写真を見て、唖然とした。 今の沙智と瓜二つである。 沙智は、どうやら家で、無理やりストレートパーマをかけたようで、かわいかった栗色のカールした髪はしっとりと垂れ下がっていた。 普段は明るい色の服ばかり着ている、しかもラフな服装が多かった沙智が、今日は黒で決めている。 そして極めつけは化粧だった。 二十歳でも殆ど化粧をしなかった沙智が、今日はうっすらとだがシャドウやラインまでいれて、まるで女優という表情だった。 ほどよく立ち上がった長い睫毛が美しかった。 「四季さんの真似?」 「うん…。」 きれい過ぎる顔で、沙智は少しうなだれた。 倫子は素の沙智が可愛くて好きだったが、こういう顔もまた色っぽくて見とれてしまい、ため息が出そうだった。 「どうして?」 「英の中にね、四季さんがいるんだ。いつまでも…。」 倫子はちょっと言葉に困った。 「しょうがない…んじゃないの? 沙智にはかわいそうだけど…。」 「うん。わかってる。…英には四季さんが戻ってくることが一番いいことなんだ。四季さんは、戻ってくるかな…? どう思う?」 「さあ…、行方不明なんでしょう? もう、戻ってこないと思うよ。」 「でも、戻ってくるかもしれない。私は、いつ、御払い箱になるか、わかんない。」 「それは…。」 倫子は何と言って慰めて良いやら、途方に暮れた。 沙智が英からの愛情に自信を持つには、まだ日が浅すぎる。 それなのに、彼女の英への想いは、時間とは関係なく大きい。多分、大きすぎて、バランスが取れないのだろう。 「このまま、英の前に出て、四季さんに成りすましてみようかな…。」 「え? バレるよ…、絶対…。」 「…だね。」 沙智の顔は、本当に元気が無かった。それがなぜかとても、綺麗だった。 「私は四季さんには、なれない…。」 「そうだよ。無駄だよ、そういうことしても。英さんがしっかり沙智を見てくれるのを、待ってるしかないと思う。」 沙智はこくんと小さく頷いた。 レジに向かって立ち上がった沙智は、倫子に有難うと言った。 「大丈夫? 沙智…。私、仕事、早退しようか?」 「ううん。私これから、行くところがあるんだー…。」 振り返って微笑む沙智に、倫子は思わず、見とれていた。 「どこに行くの?」 「四季さんの家。」 「え?!」 倫子は沙智の後を追いかけた。 「ちょっと待って、沙智。四季さんの家に行ってどうするの?」 「四季さんが本当に行方不明なのか、確かめてくる。大丈夫。この格好で行ってみて、近所の人の反応を見る程度だから…。」 「え…でも…。」 「だって、四季さんの家族って、英との仲を認めてないから…。英には黙ってるけど、実はどこかにいるのかも知れないでしょ…? それに、この姿でなら、本物の四季さんを知っている人と出会えるかも知れないし…」 「沙智、四季さんを探す気なの…?」 倫子は沙智の決意の奥にある、感情の深さを知って、人事ながら胸が痛くなった。 話をしている最中にも、店内の男性客の視線が、沙智に集中するのが倫子にもわかった。 このまま外を独りで歩かせたら、朝とはいえ、ちょっと面倒くさいことになりそうな予感はした。 「待って! しょうがないな…。やっぱり私も行くわ!」 店長が渋い顔をしているのが、倫子にも見て取れたが、そんなことはどうだっていい。 フラフラした、かなり弱っている沙智を、このまま放っておくほうが、きっと後悔するだろう。 沙智は店を出た。 店長の顔を見て、すみませんとだけ言って、倫子は急いで事務所に戻り、タイムカードを押した。 さっと着替えをして多分5分とかからなかったと思うのだが、店の前に出てみると、沙智の姿は無かった。 「沙智! 待っててって言ったのに!!」 倫子は困ってため息をつきながら、額に手をやって考えた。 そういえば、名刺があった。沙智は英の名刺をもっているが、倫子は大成の名刺を持っている。 彼の名刺には携帯電話の番号も載っていた。 沙智は名刺を財布から取り出すと、番号を見ながら、携帯電話でかけてみた。 『はい、野上大成です。』 いつものように明るい声だ。 「高橋です。高橋倫子です。」 『おお。倫子か。どうしたの? ウチに来る気になった?』 「じつは…」 沙智は四季の家に向かうために、電車を待っていた。 もうすでに数人の若い男に声をかけられたが、どうやら四季への手がかりになりそうな相手ではなかった。 要するに、単なるナンパだった。 この分では四季さんは、そして英は、さぞ不愉快な思いをしていただろうと、改めて同情する沙智だった。 通勤ラッシュの時間帯を外した電車は空いていた。 沙智は座らずに、座席の前に立った。荷物棚に近い窓を少しだけ上向きに開けることができた。 冷房車両の窓を開けるという沙智の行動を、その車両にいた乗客は、不審そうに凝視していた。 しかし、そうすることで、ほんの少しだが、風が入ってくる。 それだけで、沙智は落ち着けるのだ。 倫子が大成に連絡をしてから、20分ほどの時間がたっていた。 彼女はなんとか沙智に追いつこうとして、駅まで行ったものの、沙智に会うことはできなかった。 駅構内は広くて、どの線に乗ったか、さっぱり見当もつかない。 倫子は電車で沙智を追うことを諦めた。 駅の周囲にあるバスやタクシーの乗り場で、倫子は大成を待っていた。 するとようやく大成が、社用車にしているグレーメタリックのウィンダムでやってきた。 「お待たせ。乗って。」 「ありがとう。」 一般車両が停車できない場所であるがために、倫子は慌ててその上品なセダンに乗り込んだ。 発進して、倫子は大きく息を吐いた。 「なーに考えてるのかな、沙智は…。」 そうつぶやいたのは大成である。 「そんな風に言わないであげてよ。沙智だって、必死なんだから。」 大成はチラと倫子を見て、言った。 「倫子はほんと、優しいね。沙智と一緒にいたら迷惑かけられっぱなしでしょ。」 「そんなこと…ない…とも言い切れないけど…。妹みたいだから、放っとけないのよ。」 「そーか、幸せモンだな。沙智は。」 大成は大げさにため息をついてから、こう続けた。 「兄貴は、…四季さんにベタ惚れだったからさ…。沙智に興味を持つのはわかるんだけどね。でもそれは、どう考えたって、四季さんの面影に惹かれてるだけじゃん…。なんで、それがわかんねーのかな。」 「沙智は、わかってるわよ…。」 大成はちょっと意外そうに、チラと倫子の顔を横目で見た。 「でも、アイツは気づいて無い。…自分が沙智のことを好きだと思い込んでる。」 少し憤りを交えた口調で大成は言った。 「…思い込んでる…?」 それは倫子にはあまりにも悲しい言葉に聞こえた。 「そうだよ。四季さんが居なくなってから今まで、女性からのアプローチは全部拒否してるみたいだ。それが、沙智には急に愛情が湧くなんて考えられん。大体、アイツの行動で、傷つくのは沙智なんだぞ。ってゆうか、もう十分傷付いてるじゃん…!」 大成は完全に怒りを抑えきれずに荒々しく言った。 まだ痣となって残っている大成の傷の意味が、倫子にもようやくわかった気がした。 「大成は、英さんのこと嫌い?」 「嫌いって言うか…。アイツは軟弱なくせに頑固だから…。」 ちょうど赤信号だった。倫子は大成の顔の傷を指で押さえた。 「痛て…。なんだよ。」 「じゃあ、殴りあうほど、沙智が好き?」 「あ?」 大成は急にムスッとした顔でハンドルを握り締めて、赤信号を睨み付けた。 「四季さんと沙智は、別の人間なんだ…。オレなら、沙智だけを見る…。そう思っただけだ。」 倫子はなぜか喉の奥の方がきーんと痛む気がした。 「でもまあ、沙智はオレなんか見てくれないだろうけど。」 「そ、大成のことなんか、眼中に無いわよ。」 倫子はあえて、憎まれ口を叩いてみた。そうでもしなければ、黙り込んでしまいそうだったのだ。 大成はそんな言葉に、反論することは無かった。 「なんで、兄貴なのかな。」 そうつぶやいていた。 倫子はそんな寂しげな大成の横顔を見ていた。 「なんで、沙智なの?」 電車を降りてからバスに乗り、30分くらいしただろうか。沙智は四季の家の最寄のバス停で下車した。 高級住宅街という所らしい。どの家もみな立派だった。 沙智は、手入れされた美しい花々が咲いている静かな通りを歩きながら、あちこちの表札や住所を見ていた。 不意に、沙智の後ろでドサッという物音が聞こえた。 何気なく、その物音のするほうを振り返ると、そこには50歳前くらいの女性が、買い物袋を落として呆然と立っていた。 どこか気分が悪いのかと沙智が不思議そうにその人を見ると、その人は沙智を見つめたまま、口に手を当てている。 その目はなんともいえない、すがるような、恐れるような目だった。 そんな目で見られたのは初めてだった。 沙智は困ってうつむいてしまった。 「し…四季…。」 その女性はかすれた声でそう小さくつぶやいた。 もしかすると…。 沙智は自分のすぐ目の前の白い家の表札が、竹内であることに今気がついた。 「あ、あの…。何か…?」 沙智は、出くわしてはならない人に会ってしまった。こうなるとシラを切るしかない。 その、多分四季の家族であろう人は、まだ表情を固くしたまま、答えた。 「ごめんなさい、お嬢さん…。なんでもないんです…ただ、あまりにも、亡くなった娘にそっくりだったので…。」 「え? 亡くなった?」 「ええ。去年の夏、海で亡くなりました…。」 いなくなったの聞き間違いか、と沙智は耳を疑い、もう一度訊き直した。 「亡くなったんですか?」 「そうです。溺死です…。多分、岩場から足を滑らせたんでしょう。…ひどい姿で戻ってきて…。」 そこまで言うと、その人は目を真っ赤にして手で顔を覆った。 沙智は驚いてそれ以上言葉が出なかった。 ちょうどそこへグレーのセダンがやってきて、とまるや否や、助手席から倫子が飛び降りてきた。 「沙智!」 「あ、倫ちゃん…。」 沙智は急いで、倫子のそばに駆け寄った。そしてそのグレーの車に、沙智はギョッとした。 昨日、沙智が乗せてもらった車だった。つまりドライバーは、英…? いや、運転席から降りてきて、驚いた顔で沙智を見つめるのは、大成だった。 「四季さん…? え? 沙智?」 大成でも、その姿は判別がつかないほどのようだった。 とりあえず、英でなかったことに、沙智はほっとしていた。 しかし、事態は良くない方向に向かっていた。 「あら、野上さんの弟さんね?」 四季の母は、大成の顔を知っていたのだ。大成も、その人を見て、思わずヤバイという顔をした。 「じゃあ、この四季にそっくりな方は野上さんのお知り合い? ここに来たのも偶然じゃないのね?」 沙智を含めた3人は何も言えなかった。 「わかったわ。今なら主人もいないことだし、どうぞ、上がってちょうだい。」 四季の母は道路に落とした荷物をゆっくりと拾い上げると、自宅の門を開け、中に入って行った。 沙智と倫子と大成は顔を見合わせた。しかし、一番先に沙智が門をくぐって、家の中に入って行った。 倫子と大成も後に続いた。 通された応接間にも、線香の香りが漂っていた。 開け放された襖の向こうの部屋には、大きな仏壇が見えた。 麦茶を3つ出しながら、四季の母は言った。 「野上さんだけじゃない。四季の友達みんなに黙っていたけれど、四季はね、去年の8月31日、あの海で、遺体で発見されたのよ。」 もう昼近いというのに、大成からは英に何の連絡も無い。 彼は落ち着いて仕事することが出来ないで居た。 車は大成が乗って行ってしまっているし、彼には仕事も残っていた。 「あいつ…。自分こそ、人の気持ちを考えられる人間になれよ…。」 夏も終わりだというのに、まだ日差しが強い窓の外を見ながら、英はつぶやいていた。 彼らが持って帰ってくる事実を想像もせずに。 |
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