この作品の写真素材はあんずいろapricot×color様よりお借りしています
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| 「風と君とを抱きしめて」 (8) 大成がその事を話したとき、英はなぜか口の端で笑っていた。 彼の表情を見た大成は、もうそれ以上、説明する勇気がなかった。 沙智は、英に伝えることは自分にはできないと言って、彼のそばへ行くことを拒んだ。 倫子はそんな沙智と一緒に、彼女の自宅へと帰っていった。 最悪の役回りは、大成一人に押し付けられてしまった。 「ふうん…。」 沈黙の後に出てきた英の言葉は、それだけだった。 大成は下手に言葉をかけることが、どれほど危険か、わかっていた。 何も言わずに、鞄を開け、スケジュール帳を開いていた。 そのまま、英は沈黙していた。 彼はじっと何も無いデスクを見つめている。多分その瞳には何も映ってはいないのだろう。 会話の無い時間がしばらく続いた。 大成の、帳面をめくる音や、サラサラと何かを書く音が、やたら大きな音として事務所に響く。 急に、英が咳き込んだ。 辛そうに長引く咳にも、大成は何もしてやれなかった。英の顔すら、見れない。 「疲れた…。」 やっと咳が止まった英は、そう漏らした。 「もう、帰るよ。お前はまだ帰らないのか?」 「うん…。もうちょっとだけ…。」 「じゃあ、後よろしく。」 英は、さっと立って、大成の前を横切っていった。 何事もなかったかのように、英が事務所を出て行くと、大成はようやく、大きなため息をついて、顔を両手で覆った。 彼もまた、非常に疲れていた。 英は会社を出て、夜の街を歩きながら、ふと沙智と歩いたあの川岸が目に付いた。 水面に揺れる明かりと、暗い河底。 英の足は、その川岸へと向かい、河と夜空と生ぬるい空気の間でじっとしていた。 手すりのような柵が河に沿って続いていた。その柵にもたれかかったまま、彼は動かなかった。 骨になってたのかよ、と英は心の中でつぶやいた。 そして、それを、教えてもらえなかった悔しさ。憎さ。 竹内四季の両親の中にある、彼への憎しみも、彼が想像していた以上の根深さだったというわけだ。 「四季…、もう帰って来ないんだな…。」 あのとき、沙智が即興で作った詩を思い出す。 <なぜ、私から逃げて行く…。> なぜなんだ。 英は二つ折りの携帯電話を開き、竹内四季の自宅の番号を探し出した。 呼び出しているが、誰も出ない。 四季が行方不明になって以来、自宅へ電話をしても、一度も出てもらったことが無い。 こんな平日の夜に不在とは考えにくい。 きっと、彼らは、英の電話には出ないつもりなのだろう。 英は電話を切った。無駄だとわかった。 腕時計を確認すると、8時を指していた。 英は川原から土手を駆け上がり、車道に出てタクシーを拾った。 車なら、空いていればここから1時間もかからないはずだった。 英は大きな石の塊のような悔しさを胸に抱えて、竹内の家を目指した。 どうしても教えてもらわねばならないことがある。 竹内の家の前でタクシーを待たせると、英はインターホンを鳴らした。 『はい。』 いつものように、低い声がした。 「野上です。野上英です。」 『こんな時間に何の用だ。』 「夜分にご無礼だと、承知の上で来ました。」 英はインターホンをいつ切られてしまうか、それが怖くて早口になった。 「四季さんに、お線香を上げさせてもらえませんか。」 『馬鹿を言うな。お前を家に上げるつもりはない。この先、ずっとな。』 「わかりました。それなら…」 英はぐっと両手を握り締めていた。 「お墓のある場所だけでも教えてください。」 『だめだ。』 「どうしてですか。」 『お前になど、教える義務は無い。』 「彼女に会いたいんです!」 『やかましい。帰れ!』 インターホンは切れた。英はもう一度、インターホンを鳴らした。 二度鳴らしても、三度鳴らしても、誰も出ない。 竹内の家族の怒りからして、多分何度鳴らしたとしても、出るつもりはないのだろう。 英は門を掴んで頭を打ち付けた。ガシャンという音が響き渡った。 「ちくしょう…」 思わずそんな言葉が彼の口から漏れた。 英が自宅に戻ったのは、夜中を過ぎていた。 あの後、タクシーで帰ってきたが、河の淵で黙々と缶ビールをあおっていた。 たまに携帯電話が着信音を奏でたが、見ることもしなかった。 もう何度缶ビールを買い足したか、彼の記憶には無かった。 むかつくばかりで、最低の気分だ。 咳もひどくなるだけだった。 彼のマンションの階でエレベーターを降りた英は、ややふらつきながら、やっと自分の部屋へ戻ってきた。 その時になって、ようやく、部屋の前に何か黒いものがうずくまっていることに気付いた。 英の足音で、その黒いものは顔を上げた。 「四季…」 英は、そこに立ち上がった四季を見つけて、抱きついた。 「四季…、会いたかった…。」 「英…」 四季が英を優しく抱きしめてくれた。彼はフラリと体重をかけ、四季をドアに押さえつけてしまった。 「ごめん、痛くないか?」 「うん。」 「四季…、僕は…」 英は頭を抱えながら、目を閉じて、眠るように言った。 「ずっと待ってた…。四季…、帰ってきてくれたんだな…」 「英…。」 なぜか四季は一筋の涙をこぼした。 「泣くなよ…。やっと会えたのに…。」 ひどく枯れた声で、英がつぶやいた。 「大丈夫だよ、英…。もう、どこにも行かないから…。」 「ありがとう…。」 「部屋に入ろう、英…」 「うん…」 英はよろよろと四季から離れると、ポケットに手を突っ込んでキーを探し、ドアを開けた。 ドアを開けると、すぐ玄関で横になろうとする英を、彼女はなんとか部屋の奥まで運んだ。 もちろん、四季ではない。 沙智だった。 英は、気付かない。 沙智が英をベッドまで運んだとき、もう彼は眠っていた。 スーツを脱がせてやり、ネクタイをほどき、シャツと下着だけの姿にして、薄い布団をそっとかけてやった。 沙智は英の顔を見ていた。 泣いたのだろうか。それとも酔いのせいだろうか、瞼が腫れている。 心配で部屋の前まで来て待っていたが、やはり英の受けたショックは大きかったようだ。 酒のせいで、軽いいびきをかいて眠る英を前に、沙智はただ、ベッドから離れずに座り込んで見つめていた。 永遠に、いつまでも、見つめていたかった。 翌朝、英ははっと目を覚ました。 身体を起こそうとしたが、起きられない。頭がかなり重い。身体もだるい。 「四季…?」 夢の続きを見ていたのだろうか。英は四季の名を何度か呼んでみた。 そして、ゆっくりと現実に気付き始めた。 四季はいない。もう二度と会えない。死んでしまったのだ。 ある意味、かなり前から覚悟していたはずのことなのに、 目の前にこうして突きつけられると、胸が苦しくていたたまれないのはなぜだろうか。 電話が鳴ったので、英は仕方なく、頭を抱えながらベッドを離れた。 「はい。野上…」 『すげえ声だな、寝起きか?』 いつもうるさいくらいに元気な大成の声が、今日は割合トーンを落としていた。 「ん…ああ…」 『どうすんの? 仕事休む?』 リビングの時計を見た。11時だった。 「行くよ。寝坊した。」 『無理しなくてもいいけど? オレ一人でも何とかなりそうだし。』 「いや、行く。昼には事務所に行くから…。」 『そうか? どうせ昨夜、飲んだんだろう? 大丈夫か?』 大成にしては珍しく、優しい言葉だ。 「ああ。どうやって帰ってきたか、覚えてない…」 英は周囲を見回した。脱いだ服はちゃんとハンガーにかかっている。 電話を切った後、無性に喉が渇いて、冷蔵庫からペットボトルの水を取り出した。 2リットルのペットボトルだったが、そのまま一気に半分ほど飲んだ。 ふと、昨夜、誰かいたような気がして、吊られたスーツを見つめていた。 英が事務所に行くとちょうど事務員が昼の休憩に出ようとしていたところだった。 中には大成が一人でいた。 「弁当買ってきてるよ。」 大成はそれだけ言って、自分もデスクで弁当を食べていた。 「ああ。悪いな…。」 英は食欲は無かった。来客用のソファに腰掛けると、両手で顔を覆って、深いため息をついた。 「今朝、miroへ行ってきたんだけど。」 「え? なに?」 何も聞いていなかったようで、英がぽかんとした顔で問い直した。 「今朝、miroへ行ったんだよ。」 「うん。…ああ、miroか。」 「ちゃんとマジメに働いてたよ、沙智。」 「沙智…? ああ、そうか。よかった。」 大成は、まだ頭が回転していなさそうな英に、ゆっくり言ってやった。 「店長が褒めてたよ。よく気がついてしっかりしてますねってさ。接客も上手いって。」 「へえ…。そうか…。」 生返事だった。 「あのさあ。」 大成が箸を止めて、じっと英を見て言った。 「仕事しばらく休んだら? そんなんで、仕事できんの?」 英は何も言わなかった。 「こっちは何とかなるからさ。ゆっくりしてくれば? 最近過労気味だったしな。」 「うん…。」 英は立ち上がった。 「悪いけど、そうさせてもらうよ…。」 フラっと事務所を出てゆく英の後姿を、大成は少し怒りのこもった視線で見送った。 『何の用だ。』 相変わらずの冷たい声で、インターホンは告げる。 「お墓の場所を聞きに来ました。」 英は小型カメラを空ろな目で見つめた。 『何度来ても無駄だ。』 「教えてくださるまで、何度でも伺います。」 毎月17日には、必ず昼間でもこの四季の父親が家にいるのだが、 今日も昼だというのに、父親が家にいるようだ。 英が来るのを見越して、待っていたのだろうか。 四季が生きていた頃は、彼女の母親は英に優しかったが、この一年、母親は全く英の前に顔も声も出さない。 昨日は昼間と言うことで、大成は母親と会ったと言っていた。 英は、母親と話がしたかった。 彼女なら、墓の場所も教えてくれそうな気がしたからだ。 しかし、今日も無理そうである。 何度でも来てやる。 英は思った。 絶対に諦めない。 |
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