good morning

この作品の写真素材はあんずいろapricot×color様よりお借りしています


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「LONG ROAD」

(3)

神戸に戻った私を、隼人はムスッとした顔で出迎えた。
「何の相談も無いんだね。」
「相談?」
私は隼人の拗ねている意味を、推し量りかねた。
「神戸を出るなら、一言あってもいいじゃないか。」
たしかに、何も言わずに出かけたけれど、携帯電話だってあるんだし、一々大人の行動に説明が必要なんだろうか。
「まあいいや。食事に行こう。」
まあいいや、で終わらされてしまった。不愉快な気分だ。
今夜だって、別に駅まで迎えに来てくれと言ったつもりは無い。
隼人が勝手に車で迎えに行くから、と言って一方的に電話を切ったのだ。
 
大好物のモツァレラチーズとトマト、ズッキーニを載せたステーキも、今日は色褪せて見える。
だいたい、こんな「気分直し」のための食事が、楽しい雰囲気になるはずが無い。
まあいいや、の後だけに、余計私も無口になる。
それなのに、隼人は無神経な質問を、ガンと突きつけてきた。
「ねえ、気になってたんだけどさ。この間の涼って人、箕川さんの何?」
私は赤ワインを飲みながら、一緒にため息も飲み込んだ。
「中学高校時代のカレシだけど。」
「ふうん。横浜時代の恋人かあ。で、今日は何しに横浜へ?」
男の嫉妬は見苦しい。
はっきり言ってやったほうがいいのかしら、と考えながら、私はトマトのかけらを口へ運んだ。
「友達に子供が生まれたから、見に行って来たのよ。それと父さんともしばらく会ってなかったし。」
とっさに口からでた嘘。
「そうか。」
彼の部屋からすぐの行きつけの店で、安心しているのだろうか。
一気に飲み干して、またワインをなみなみとグラスに注ぐ。普段よりも飲むペースが速いようだけど。
「それって、別に急ぐような用件じゃないよね?」
 
そうよね。
どうして私は嘘をつかなくちゃならないんだろう。
「涼のこと、知りたかったから、調べに行ったのよ。」
私が本当のことを言うと、急に隼人は黙り込んだ。
なぜだろう。
今までこんなふうに思ったことはなかったのに、無性にイライラする。
隼人の態度に。
 
 
それからの私は、なぜか横浜を離れた18歳の頃よりも、ずっと、
涼のことばかりを考えるようになっていた。
多分、この神戸のどこかに、涼がいる。
あの日の涼は神戸に遊びに来ている、という感じではなかった。
ボロボロの服を着ていた。
あれは仕事着なのか、それとも、おしゃれをするような余裕が無いのか。
どっちにしろ、この近辺で生活しているのだと、推測できた。
 
その夜、私はいつもどおり9時過ぎに塾を出た。
11月に入り、いつのまにか街路樹は冬の様子を見せ始めていた。
今夜は、隼人は仕事が残っているらしく、まだ塾で残業している。
私は彼を待つことなく、帰途についた。
駅まで5分、電車で一駅の距離だった。部屋に戻るまで20分もあれば十分だった。
駅へ向かうために、坂道を足早に下って行くと、目の前をさっと何かが横切った。
怖くなって立ちすくむと、道を横断した黒いものは、私を見て鳴き声を上げた。
黒い猫が、一匹、青い瞳を輝かせている。
 
私はその瞳に吸い寄せられるように、ゆっくりと猫に歩み寄った。
猫は細い赤の首輪をしていた。
「みゃー」と、まだ子猫のような、小さなかわいい声を出す。
「ごめんね、何もあげるものがないの。私もこれから家でご飯なのよ。」
家猫らしく、私が近寄っても逃げない。
しゃがんで、恐る恐るあごの下を撫でると、猫は気持ちよさそうに目を細めた。
猫は私に身体を擦り付けると、ゆっくり歩いて坂を上っていった。
その猫の姿を目で追うと、私の背後に男が立っていた。
びっくりして声も出ずに、しりもちをついた私に、男はしゃがんで目線を合わせた。
涼だった。
ずっと探していた人が、無言で私の前にいた。
猫が嬉しそうに涼の背中に飛び乗った。
 
涼が手を差し伸べてくれたおかげで、私は道路にへたり込んだ状態から起き上がることができた。
「ありがとう。」
相変わらず涼は無言だった。
「近くに住んでるの? …探してたんだけど…。」
涼はにやっと笑った。
「じゃあ、俺の部屋に来る?」
涼をずっと探していたというのに、どうしたんだろう。
「来いよ。俺のこと、探してたんだろ?」
胸の奥からこみ上げる不安と恐れをどうしても消せなった。
「ねえ、仕事なんかは、どうしてるの?」
「それよりさ…」
涼は、はぐらかそうとする私の意図を見破るかのように、私に顔を近づけた。
「なんで、神戸にいるのか、聞かないの?」
真っ黒の涼の瞳は、強張った顔をしている私を、くっきりと映し出していた。
「俺があれから、どうやって生きてきたか、聞きたくないの?」
短いかすかな呼吸を繰り返し、私は答えた。
「…行くわ。」
 
涼の部屋は、そのまま駅とは反対方向へ、5分ほど歩いた場所にあった。
6畳間に流し台がついた小さな部屋だった。
がらんとした、何も無い部屋。
流し台の横に、小さな冷蔵庫があった。
あと、あるものと言えば、夏の名残の扇風機と、雑誌や猫の器が畳の上に転がり、
座布団が1枚、枕のようにくるりと折られて置いてあるだけだった。
部屋の隅は埃だらけで、ペットボトルや食器の類も、そこに追いやられていた。
「あがれよ。」
観察する私の視線を、全く気にも留めない風に、涼は言った。
靴を脱いで上がったが、私は立ち尽くしていた。涼は座布団を私にポイと差し出した。
私が出された座布団の上に恐る恐る正座すると、
擦り寄ってきた黒猫が私のひざの上で丸くなり、みゃーと鳴いた。
 
涼はジャンパーを脱いで、部屋の隅に置くと、
やかんからお茶らしきものをコップに注いで飲み干した。
そのまま振り返り、私にいるかと尋ねたので、私は首を横に振った。
「その猫、覚えてる?」
涼に聞かれ、私はうなずいた。
「ちゃんと育ててくれたんだね。」
「名前はチー。ちっちゃかったからっていう単純な由来。」
「うん。…ちっちゃかった。」
あのとき、牛乳を必死で飲んでいた子猫の姿を、私は思い出していた。
涼はシンクのそばに立ったまま、私に近づこうとはしなかった。
「神戸に来たのは2年前。ここに引っ越したのは最近。」
「そう。…どうしてこっちに来たの?」
私は迷いながら、尋ねた。
「付き合ってた女が神戸に住んでみたいって言ったから。」
涼はサラッと言った。
「それだけで…?」
「ああ。」
涼はそのままゆっくり座り込むと、流し台にもたれた。
「それくらい、俺には、おっきな人だったから。」
そう言う涼はうつむいていた。
チーが、私のひざから静かに降りて歩いて行き、涼の顔のそばで鳴いた。
涼が顔を上げ、チーに微笑んだ。
私は見てはいけないものを見たような気がした。
あまりにも、優しい顔だったから。
 
「可愛がってくれたよ。チーのこと。」
シンクの下の開き戸から、袋入りのキャットフードを取り出した涼は、
転がっていた器に手を伸ばし、カラカラと入れ始めた。
喜んで食べるチーを見ながら、涼は続けた。
「19になったばかりのとき、横浜で、バーテンやってて、そんときに世話になった人でさ。
 7つ年上で、俺の親の面倒まで見てくれてた。
 …そーだ、俺のオヤジ、倒れたんだよ。卒中ってやつ?
 軽かったらしくて、すぐ元気になったけどね。母さんはしばらく心労で寝込んでた。」
私は身動きできずに聞いていた。
「母さんが良くなったから、その人と二人で横浜を出たんだ。俺も出たかったし、その人も親戚がいる神戸に憧れてたみたいだし。」
涼は少し黙った。
私は涼が話し出すのを待っていた。
「その人は…どこにいるかと言うと…、俺より年下の男ができたらしくって…」
涼はそう言いながら、人事のように笑っていた。
「要するに振られたんで…、引っ越してきた。3ヶ月前かな。」
私は小さく頷いた。
「そっちは、どうしてんの?」
言われて、私は視線を上げて、涼を見た。
「うん…短大出て、塾の講師してて…大した生活してないけど、それなりに。」
涼はふっと笑った。
「今日はなんだか、しおらしいな。前に会ったときは飛び掛ってくるかと思ったぞ。」
私の無知がゆえの行動を、きっと涼は苦々しく思ったに違いない。
涼はまた笑った。
「そうか、俺のことが怖いんだな…。」
確かに最初は怖かった。
でも、今は、なんだろう。
そんな悲しそうな顔で笑う人ではなかった。
顔を見るたびに、ぎゅっと胸が苦しくなる。
6年の歳月で、本当に涼は変わってしまったのだろうか。
 
「もう、帰る?」
涼が言った。
 
涼の目からは感情を読み取れなかった。
彼は立てひざに顔を伏せて、つぶやいた。
「神戸にいれば、いつかお前に会えると思ってた…。」
今、そんなことを言い出すなんて。
 
「ほんとは、…会いたかった。」
 
ずるいと思う。

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