good morning

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「LONG ROAD」

(4)

結局、私は帰れずに、夜遅くまで涼と話をした。
学生時代の話は、尽きることがなかった。
いつのまにか、コートを着たままで、涼の肩に頭を寄せ、眠っていた。
心地よい眠りだった。
数年来、私の心には、満たされなかったものがあったのだと、初めて気付いた。
 
私にとって、何よりも大切な思い出である、あの頃の涼と、今の涼は一体どこが違うのだろう。
話が深まるにつれ、私は思い出の中に没頭し、現実と混同していた。
 
きっと違わないんだ。
涼はやっぱり涼なんだ。
そんなふうにしか、思えなかった。
 
 
目を覚ますと、涼がチーに牛乳を与えていた。
私は、横たわり、布団をかけられていた。
起き上がった私に気付いた涼は、なぜか、小さな声で謝った。
「ごめんな。」
私は意味がわからず首を傾げた。
「引き止めた…。」
涼はそうつぶやいた。
 
私は、涼のそばに這っていった。
そして、涼に抱きついていた。
「涼…」
私は寝起きで頭が回らなかったのだろう。
「涼、一緒にいようよ、ずっと…。」
何も考えずに、本心を打ち明けた。
一晩で、私は、6年前と同じ気持ちに戻っていた。
 
すると涼は笑顔でため息をついた。
「しっかりしろよ。お前らしくないぞ。」
 
私らしいってなんだろう。
現実を見ていないことを、たしなめられているのだろうか。
それとも、涼には、私なんて必要ないんだろうか。
一緒にいられたら。
どんなに楽しいだろう。
どんなに幸せだろう。
6年前は叶えられなかった夢が、今なら叶う。
それは、勘違いだと言うのだろうか。
 
「もし、さ…。」
涼がぼんやりとした瞳で、私を見た。
「俺に何かあったときは、チーの面倒見てくれる?」
「え?」
私が驚いて聞き返すと、涼は相変わらずのつかみ所の無い表情で答えた。
「いつもそれだけが、不安なんだ。」
それが、まだ25にもならない人間のいう言葉だろうか。
私は涼こそしっかりしなさいよと言いたかった。
「過保護に育てすぎたみたいだ。多分、こいつ、野良には戻れないと思う。」
チーを抱きしめて、さも愛しそうに頭を撫でている。
そんなときにだけ、涼は、柔らかな笑顔を浮かべる。
そうか。
涼は、ずっと一緒に生きてきたチーが一番大事なんだ。
私の片想いなんだ。
 
私はチーの頭を撫でた。
「いいよ。面倒見るわ。」
ようやく、私を見る涼の顔が、穏やかになった。
「直、やっぱり、お前と会えてよかった。…話ができてよかったよ。」
「ひどいな…。そんなにチーが大事なのね。」
私は軽い嫉妬を感じながらも、苦笑していた。
「違うよ。」
チーが涼の腕の中からするりと抜け出したと同時に、私は彼に抱きしめられた。
そのまま、涼は何も言わなかった。
私は鼓動の高鳴りを隠すように言った。
「さえたちがね、心配してるの。」
涼の顔は見えない。私は涼の胸に顔をうずめている。
「辛いことがあったら頼ってほしいって、そう言ってたわ。私も同じ。私で支えられることがあるなら、何でも言って。涼の力になりたいから…。」
やはり、涼は何も言わなかった。
「ねえ、涼…?」
私は少し顔を上げて涼の表情を見ようとした。
私には、涼が、とても寂しそうな顔をしているように見えた。
「涼、また、ここに来ていい?」
「ん?」
涼は我に返ったように、腕を緩めて私を見た。
「チーに会いに来ていい?」
「…ああ。鍵を渡すよ。」
 
鍵をもらって、私は自分の部屋に帰った。
その時、涼が何を考えていたか、私には全くわからずにいた。
 
 
次の日、私の仕事は休みだった。
隼人も同じ日を休みにしているので、いつも何かしら予定は入っていた。
この日は買い物に行くことになっていた。
でも、私の気持ちは、完全に隼人から離れていた。
少し前から冷めてはいたのだけれど、何というきっかけもなく、ずるずると続いていた。
そのことを、なんとなく自分でごまかしながら、今日まできたのだが、
もう限界だと思った。
たとえ想いが通じていなくても、涼という人が、私の中で大きな存在であることは否めない。
一緒にいたいと思える人は、今は、彼しかいないのだ。
 
待ち合わせた喫茶店で、突然別れを切り出されて、隼人は呆然としていた。
「あいつのせいかよ。」
そんな風に言う口元さえ、見るのが嫌だった。
私は隼人の部屋の鍵を置いて、喫茶店を出た。
本当に、感情というのは勝手なものだなと、自分でも自分が嫌になった。
私が抱えているこの気持ちは、どこへ持って行っても、誰も喜ばない。
誰にも受け入れてもらえない。
それでも、このままの状態で持ち続けることが苦痛で仕方が無い。
そんな私のワガママな感情。
 
その日の夕方、公衆電話から私の携帯電話に着信があった。
誰からなのかわからない電話に出てみると、涼の声が聞こえてきた。
『明日さ、俺の部屋に来てくれる?』
落ち着いた声で、涼が言った。
「…うん。…何時でもいいの? 仕事が終わってからでいい?」
公衆電話? 涼は仕事で使うから携帯電話を持っていたはずなのに、なぜだろう。
疑問が頭をかすめたが、すぐに消えていった。
『ああ。それでいいよ。』
「一緒にご飯食べようよ。あ、チーがいるから家で食べる? じゃあ、何か作ってあげるよ。」
『明日の夜、来てくれたら、一緒に買い物に行こう。』
私は、嬉しさで、続く言葉をすぐに見つけられなかった。
こんなつまらないことなのに、胸が痛んだ。それほど、幸せを感じた。
涼は静かに言った。
『じゃあ、明日、9時頃に。待ってるから。』
この気持ちの持って行き場所があるのかなと、私は少し、期待してしまった。
ドキドキして、夜がとても長く感じた。
 
 
翌日、仕事場で隼人と顔をあわせる気まずさが無いわけではなかった。
しかし、仕事の後に涼に会えることの方が、今の私には大きな問題だった。
 
坂道を走るようにして涼の部屋へ急ぐ。
冷たい風も苦にならない。
部屋に着くと、扉の前で髪の乱れを整えて、一呼吸置いて、呼び鈴を押した。
部屋の中で軽いピンポーンという音が鳴る。
チーの泣き声がかすかに聞こえた。
しかし、涼の返事は無く、しばらく扉の前で待たされた。
時計を見ると8時50分だった。
早く着き過ぎたのかもしれない。留守なんだ。
そう思っていたが、鍵を使っていいものか少し迷った。
扉の向こうではチーが鳴いて、開けてくれとせがんでいる。
「なんだよ、開けて入ってればいいのに。」
今にもそんなことを言いながら、涼が帰ってくるのではないかと思い、扉の前でしゃがみこんだ。
 
走って温まった体も、少し冷えてきた。時計は9時を過ぎていた。
私はコートのポケットから鍵を取り出し、立ち上がった。
ガチャリと音がして、扉が開く。
暗く、誰もいない部屋。チーが足元にまとわり着く。
私はチーを抱き上げて、中に入った。
手探りで電気をつけると、片付けられた6畳間の真ん中という、否が応でも目に付く場所に、紙が一枚落ちていた。
私はその紙を拾い上げ、昔、ノートで見た、懐かしい涼の文字を目にした。
<直へ。
 これを読んでるということは、
 俺の部屋に約束どおり来てくれたってことだよな。
 ごめんな。
 チーを連れて、今すぐ帰ってほしい。
 多分、もう会えない。
 さようなら。
 チーをよろしく。>
 
意味がわからずに、何度も読み返した。
その後私は携帯を取り出して、涼の番号を呼び出した。
電源が切られているというアナウンスが聞こえる。
しかし、私はふと目にしたシンクに、涼の携帯電話を見つけた。
水を張ったお鍋に漬けられていた。
 
私はチーを見て、呆然と立ち尽くしていた。
チーのえさはかなり多めに盛られていたらしく、まだ皿に残っている。
どういう意味?
胸にすーっと冷たいものが降りてゆく感じがした。
 
一晩中涼の部屋で待っていたが、涼は戻っては来なかった。
朝、私は怖くなって、急に部屋を飛び出した。
チーと涼の手紙を抱きしめて、自分の部屋でじっとしていた。
 
 
その日の夕方だった。
冴子から連絡があった。新聞記事に、涼の名前があると。
『同姓同名の他人よね?』
彼女は、何も答えない私に、電話口で嗚咽を漏らした。
 
私もその記事を読んだ。
31歳の女性宅で、涼が、暴力団のまだ21歳という男に、
刺されて亡くなったという記事だった。
テレビのニュースでも流れていた。
前の日にもその記事を見ていたが、その時は被害者は身元不明で、
私には、涼だとはわからなかった。
 
 
思えば、あの公衆電話の時、
涼は別れた彼女の所へ行く途中だったのだろう。
亡くなったのは、その日の深夜だった。
相手がチンピラだと知っていて、何らかの覚悟をしていたのかもしれない。
 
警察は、その場にいた彼女から、多分被害者の名前だけは聞き出したものの、
身元の確認ができなかったらしい。
涼は、身元がわかるものを何も持っていなかったということだ。
だから、亡くなった翌日に、私が彼の部屋で待っていても、
警察は押しかけてこなかったのだ。
おかげで、6年前のように、私が警察と関わりを持つことはなかった。
 
きっと実家の住所を彼女から聞き出し、ご両親に連絡を取ったのではないだろうか。
それしか確認の方法がないと思う…。
 
携帯電話を壊したのは、なぜ?
あの水の中の携帯を私に見せて、何かを伝えたかったの?
もう、戻ってくる可能性が無いことを…?
それも、もう、わからない。
 
ただ、言えることは、
涼は、別れてもなお、彼女を心から愛していたということ。
たとえどんな結末になろうとも、取り戻したかったんだね。
 
そして、万一の時ことを考えて、私とチーを気遣ってくれた。
 
 
私と再び出会っていなければ、涼は死なずにいたかも知れない。
チーのことを預けられる、私にさえ、会っていなければ。
そんなどうしようもない後悔を抱えて、私はチーを見つめていた。
涼にとって私は、チーの面倒を見てくれるというだけの存在だったの?
会いたかったって、やっぱり、そういう意味なの?
悔しくて、涙が出る。
こんな失恋の仕方なんて、ひどすぎるよ。
 
もう少しだけ、一緒にいたかったよ。
道はまだ、続いていたんだよ?
この先続く長い道には、きっとまだ、違う未来へ繋がる道もあったはず。
そうは思わない?
涼…。
 
答えなさいよ、涼!

<END>

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