good morning

この作品の写真素材はおしゃれ探偵様よりお借りしています


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「水の空へ」

(3)夢の中へ

 社から駅への直通バスが出ている。
 私と陸は、10人足らずを乗せて走る最終バスに飛び乗り、駅へと向かった。もちろん、車内はガラガラで、何処に座ってもいいのだが、私は陸のすぐ後ろに座った。隣に座るのは少し勇気が必要だったから。

 バスが走り出して、しばらくしてから、陸が私を振り返って言った。
「オレね、今日誕生日なんだ。」
「え?そうなの?」
 私は驚いたように言ってみせたが、2月の末のこの日が陸の誕生日だったことは、前に調べて分かっていた。
「あ、そういえば、陸、何人かからプレゼントみたいなの、もらってたね。」
 ちょっとそんなことを言って、陸の反応を見てみる。
 陸は困ったようにうつむいていた。彼が鞄と一緒に持っていた大きな紙袋の中身は、もちろん、女性からもらったプレゼントたちである。

 私は誕生日だということは知っていたが、何もできずにいた。迷惑に思われたらどうしようとか思ったし。
 簡単に言えば、根性無しだった。
 好きなのに、何のアクションも起こせないんだから。
 でも、今日はこれから二人っきりで飲み会だ。えっと、二人っきりだから、飲み会っていうのはおかしいか。まぁいいや。職場以外で陸のそばに座ることができるんだ。



 駅の近くをうろうろしたあげく、良い店を見つけられずに、居酒屋に入った。どうも陸は気に入らなかったみたいだけれど、私は陸と二人でいられるなら、「自販機の前で缶ビールを立ち飲みだ」と言われても喜んで従う。
「こんなところで、ごめんね。」
 陸がすまなそうに謝った。
 なんで謝るの? 誕生日で特別な日なのは、陸の方なのに。私はついてきているだけ。そんなに気を遣ってもらえるなんて、嬉しすぎる。
「気にしないでいいよ。私居酒屋大好き。」
「そう?」
「うんうん。」
 陸と一緒なら、どこだっていいんだってば。早く、座ろう!

 チューハイのグラスと生ビールのジョッキを合わせて、カチンと鳴らす。カウンター席で隣同士に座った。
「お疲れさま。」
「誕生日おめでとう。」
 陸は照れながらジョッキを傾けた。

 さて、何を話しするんだろう。無口な陸とでは、まがもつだろうか。
 ところが、この日の陸は結構饒舌(じょうぜつ)だった。お酒を飲むと舌も滑らかになるのだろうか。仕事の話ばかりだったけれど、私は相槌をうってばかりいた。
 誕生日という大事な時間を私なんかと過ごしていていいのだろうか。私はそのことばかりが気になった。彼女と一緒に過ごすんじゃないのかな。彼女はもしかしていないのかな。
 いや、もっと、もしかすると、私と一緒に過ごしたかったのかな〜、わははっはっは。なんて自分で想像してみてはにやけていた。
 でも、まさかそんなはずはない。


「来週から4課かぁ。」
 ふと陸が漏らした。
「1課の柏原君は今日で最後だね。」
 私も言った。1課から陸がいなくなっても、私はずっと1課のままで4課に異動するということは絶対にない。それは決まっている。営業担当の異動はあっても、SLの異動はないからだ。もう二度と一緒に仕事ができない。
 すると、陸が寂しそうな顔をした。
「せいせいする?」
 まさか、そんな。
 少し顔が赤い陸は、何杯目かの焼酎のロックを飲んでいた。
「オレがいなくなったら、仕事やりやすくなるよね。」
「え?」
 私は何杯飲んでもあまり酔わないタチだった。そして、陸の言葉の意味を冷静に考えると切なくなった。
「気にしてたの?あんなの気にしなくていいのに。」
 私の言葉に、陸は首を振った。
「ごめんね。一度ちゃんと謝ろうと思ってたんだ。」
 陸は今まで一度も触れなかった、私への嫌がらせについて、やっと口を開いたのだった。
「いいよ。陸と仕事ができて、楽しかった……。」
 私は本心から言葉を漏らした。
 できればずっと、一緒に仕事を続けたいな。
 そこまで言えればよかったけれど、言えずに頭の中でだけ言葉をくりかえした。

「迷惑かけて、ごめん。」
「気にしてないって言ってるのに。」
「それから、オレ……言わなきゃ……」
 小さな声で早口にそうつぶやいた陸は、グラスを持つ手を震わせ、テーブルの上に、それを倒してしまった。
 氷とグラスがぶつかり合う音と、倒れて液体が迸(ほとばし)る様子に、私たちは一瞬ひるんでしまった。いそいでおしぼりやハンカチでテーブルを拭いた。
 陸はポケットからハンカチを取り出して、カウンター席から零れ落ちて私のスカートを濡らす液体を止めようとした。そのとき、ポケットから一緒に、たくさんの丸い石が繋がったものが出てきた。
 陸は急いでそれをテーブルに置いて、こぼしたものの後処理をしていた。私はそのアクセサリーのようなものに目が行って、拭く手が動かなくなった。

 陸のポケットから出てきたのは、多分、キリスト教信徒が祈りをささげる時に使うロザリオだった。数珠状に連なった石のアクセサリーのような部分の先に、十字架がついている。
 私はキリスト教徒ではないので詳しいことはよく分からないけれど、彼がアクセサリーとして使ってはいないことがなんとなくわかった。
 陸はすぐにまた、ロザリオをポケットにしまった。




 私の中で急に時間が止まった気がした。

 夢の中に、舞い戻ったのだ。





 一面、青い色に包まれた場所。立ち上るように揺れる草たち。
 私は白く輝くそらを見上げながら、無音の世界をよぎる水の流れを感じていた。

 湖底にひそむ魚たちが、様子をみるように私に近づく。
 大丈夫よ。
 もう、私は死んでいるの。あなたたちを脅す術は持っていないから。

 緑色の藻に覆われた、白亜のマリア像が私を見つめる。
 私のお気に入りの赤いワンピースがひらひらと揺らめく。
 私はあぶくとなるの。

 とても気持ちがいいの。
 マリア様が優しく私を水のそらへ導いてくれるから。





「……セリ……セリ……」
 私はカタンという音で我に帰った。
 目の前に、注文したコロッケが置かれた音だった。
「セリ?」
 何度目かの呼びかけに、私はやっと陸の方を向いた。
「陸……。」
「どうしたの? 急にぼうっとして。」
「あ、やだな、私また……。」
 いらっしゃいませ、という店員の大きな声が私たちのすぐ脇で聞こえた。
 陸は不思議そうに私の顔を見ていたが、また新しい焼酎を注文した。


 この夢はなんなの?
 どうして、現実にまで入り込もうとするの。

 陸に話してもいいかな。
 こんな話を聞いてくれるかな。
 あっちゃんにさえ、話していない、こんな夢の話を……。



 私は、陸の目を見つめたまま、言葉が出てこずに固まっていた。喉がかわいて、手に握っていたチューハイをごくりと飲み干した。
「陸……。」
「なに?」
「私、ヘンだね。あははは。」
 陸は困ったような顔をして、私の自嘲気味な笑いをしばらく見ていた。
 私は心配かけまいと元気を出そうとして、気合を入れた。
「チューハイ、ライム、おかわり!」
「え、大丈夫?」
 心配そうに陸が私の顔を覗き込んだ。
「大丈夫よ。お酒はメチャクチャ強いんだから。水みたいなもんよ。」

 すると、陸が急に私の手を握った。
 びっくりした私はまたも身体を硬直させた。
 陸は私の目を見て、言った。
「震えてるけど。ほんとに平気?」
「う、う、うん……」
「そんなに飲まないでさ……。聞いて欲しい話があるんだけど……。」
 そこへ、ライムのチューハイが私たちの前にやってきた。
「はい、どうぞ。」
「あ、どうも。」
 私は陸の手を振り解くようにして、チューハイを受け取った。陸の手が暖かだったから、恥ずかしくてつい、お酒を受け取るのを口実に手を離したのだ。

 私は陸の注意も聞かず、チューハイをごくごくと飲み、ケロリとした顔で陸に向き直った。
 なんだか、飲まずには、まともに話すらできない気がした。

「話って?」
 私が、陸に問うと、彼は私の視線から逃げるように、下を向いた。
「実は……。」
 陸は話し辛そうに声を落とした。

「セリのことを何度も夢に見るんだ。」
 私は話を最後まで聞こうと、押し黙っていた。
 陸が私の夢を見るって、一体どういう……。

「意味がわからないんだ。」
 陸は困ったように笑った。
「ただの夢だって思うべきなのかな……。それとも何か違う意味が……。」

 私は何も言えずに陸の顔を見つめるだけだった。

「こいつ、何言ってんのって顔だな。ごめん。」
 いや、そうじゃないんだけど。
「いつも、夢の中に出てきて、一生懸命にお祈りしてるんだ。」
「お祈り?」
「そう。」

「セリがオレの部屋のマリア様にむかって、お祈りしてるんだ。」

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