good morning

この作品の写真素材はおしゃれ探偵様よりお借りしています


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「水の空へ」

(4)求め合うとき

 駅から近いという、陸が一人暮らしする部屋へ、私は足を運んだ。
 陸も私も随分に酔っていたし、時間も時間で、多分その先は見えていた。
 私はあっちゃんに、今晩は友達の家に泊まるとこっそり電話していた。


 狭い小さなアパートで、もちろん等身大のマリア像が置かれているわけがなかった。
 それどころか、キリスト教徒らしさを感じさせるものは何一つなかった。私が勝手に陸はキリスト教徒だと勘違いしたのだろうか。もしかしたら夢の話は作り話なのかな、などと考えていると、陸が急に説明しだした。
「この窓に、いつもマリア様が浮かんでるんだ。」
 夢の中の話だ。
 一つしかない小さな窓から、光が射しこみ、なんだろうと見つめていると、そこにマリア様の姿が現れると言う。
「気が付くと、そのマリア様の足元、オレの目の前に、セリが跪(ひざまず)いて、お祈りをしているんだ。」

 私はちょうどその辺りにしゃがんでみた。そして、後ろの陸を振り返る。
 陸は神妙な顔で頷いていた。
「陸は、クリスチャンなの?」
「いや。違うよ。」
「さっき、ロザリオ持ってた。」
「ああ、あれは……。」
 陸は思い出したようにポケットから、ロザリオを出して見せた。
「母さんがくれたんだ。いつも持ってろってうるさくて。」
 陸はロザリオをそっとテーブルに置いた。
「家ではオヤジだけがクリスチャンだったな。小さい頃死んだんだけどね。……でもオヤジが死んでからは、母さんもこういうものを大事にし始めて。オレにも持たせてさ。きっとオレが迷ったときに神様のお導きがあるから、とかで……。」
 陸はセリを見て、尋ねた。
「セリはクリスチャン?」
「ちがうよ。どうして陸がそんな夢見たのかわかんない。私がマリア様にお祈りをささげるなんて……。」

 私の中で、白亜のマリア像が湖底で眠るようにしている姿を思い出していた。
「マリア様の夢なら、私も見るけど……。やっぱり、意味がわからない。」
 そう答えた。

「不思議だな……。」
 陸がつぶやいた。



 私が立ち上がると、陸が私のそばに立っていた。
「セリ。」
 そう名前を呼ばれただけで、何かを感じた。
 振り返るのが怖くなった。
 でも、怖いと思う以上に陸のことが好きだった私は、ゆっくりと陸のほうを顔だけで顧みた。

 陸が背後から寄り添ってきた。
 心臓が重い音を響かせて、私の頬を赤く染めていった。
 陸が私の体を振り向かせ、二人は面と向かい合い、そして不器用に抱きしめあった。
 唇を重ねて、陸が私を抱きしめる腕に少しずつ力を込めていった。
 私の中で快感が体中を駆け巡った。
 好きな人に抱きしめられることが切なくて、息ができなかった。

 これって、酔った勢いっていうやつなんだろうな。
 ぼうっとした頭で考えた。
 今頃アルコールが回ってきたのかな。
 少し、苦しいけど、とても暖かい。
 窮屈な幸せがそこにあった。

 陸が手を伸ばし、壁のスイッチを切り、電灯が消えた。
 倒れるように、狭いベッドに横たわった。
 激しくなるキスのさなか、私は華奢だと思っていた陸の体が結構厚いことを確認していた。
 頭はだんだん冷静になる。
 身体は求め合っているのに、私はいつかこの時が終わることを恐れていた。




 朝になり、私は陸よりも先に目を覚ました。
 陸の長い腕が、まだ私の身体を抱きしめていた。狭いベッドの上では身動き一つできなくて、寝たのか寝なかったのかよくわからない。
 少しだけ陸の腕をはずして、ベッドから起き上がり、急いで脱ぎ散らかした下着とセーターを拾って身に着けた。

 まだ春になる前の寒い朝だった。息が白い。
 そっと、陸の顔を覗いてみた。眼鏡をかけていない陸は、まるで子どもようなの寝顔をしていた。私は、震える体を両腕で押さえながら手洗いへ向かった。

 手洗いから出てくると、トランクス一枚の陸が起き上がって何かを探していた。
「おはよう。」
 私の声に、陸は何も答えなかった。まだ引き出しの奥のほうを探していた。
「あ、あった。」
 陸は新品の歯ブラシを手に持って、私に差し出した。
「確か一本買い置きがあったと思って……。」
「ありがとう。」
 そして、落ち着く間もなくバスタオルを手渡された。
「シャワー浴びるだろ。いま、用意するから。」
 寒そうに身を屈めながら、陸がバスルームに向かう。

 そんな陸の後姿を見ていると、なぜか、昨日の夜よりももっともっと愛情を感じる。不恰好な陸だけど、私のために何かしてくれている。


 熱いシャワーを浴びながら、思った。
 本当に好きだ。
 陸。
 もっと一緒にいたいって思う。

 でも、陸の気持ちを聞くのが怖い。
 私なんか、一夜限りのつもりだよね。
 でも、好きになってほしいな。100回お願いしたら、好きになってくれないかな。


 シャワーを終えて、バスルームからタオルを巻いて出てくると、陸がもう服を着て、椅子に座っていた。テーブルの上には昨日のロザリオと、コンビニの大きな袋があった。
「何食うかわかんなかったから、適当に買って来た。」
 ありがとう。優しいな。私は少し感動していた。こういうやりとりは随分久しぶりで、結構嬉しかった。
 陸はまだ眼鏡をかけていなかった。
 陸の顔が好きで、チラチラと見てしまう。あの夢に出てきた写真の男性とそっくりの顔。大きな目がとてもかわいい。
 写真の男性は陸とそっくりなのに、どこか精悍な感じがあった。それに対して陸の表情には柔らかさがある。そこが少し違うと今じっくり見ていて思う。

 陸は私の視線を感じて、すぐに眼鏡をかけた。恥ずかしいから顔を見るなよと言いたいんだろうな。下ばかり見ている。

 陸が座っている椅子の前に、そのテーブルとは別ものの椅子が置かれてあった。なにもかも、一人暮らしのスタイルで、彼女がいるような気配はない。私のために置かれた、普段は使わない椅子を見て、それが嫌でもわかった。

 私は服を着る前に、コンビニの袋の中身を覗いた。
「私、シナモンロールと、トマトサラダと、カフェオレね。」
「わかった。」
 私が服を着ている間に、陸は朝食の用意をしてくれた。といっても並べるだけなのだけれど。
「カフェオレだけは予想できた。」
 陸の声がした。
 そういえば、仕事中も陸の前で、私はいつもカフェオレを飲んでいた。
 なんだかおかしい。二ヶ月以上も一緒に仕事をしていて、それでも私の情報って、カフェオレ好きくらいしかないんだろうな。それだけ、距離があったんだよね。
 いま、どうしてこんなことになっているのか、それを考えると辛くなるから、無理に考えないようにした。


 私が服を着て椅子に座ると、陸は読んでいた新聞を置いて、椅子にきちんと座りなおした。
「待っててくれたの?」
「うん。」
 いつも通り無口な陸は、それだけ言って、コーンのたっぷり入ったサラダを口に運んでいた。

 二人でとる朝食。
 こんなに近くいられるのに、話題がまるで続かない。
「よく眠れた?」
「寝たよ。」
 陸はそう答えただけで、もくもくと食べている。
 なんだか、100回お願いするキッカケすらなさそうだなぁ。
 私は食事が終わるとどうしたらいいんだろうと、一人で不安に陥っていた。帰って、とか言われるのかな。辛いな。


 ついに、私は最後のトマトを口に入れてしまった。
 こういう成り行き上の関係から、彼女にしてほしいと思うのは、ずるいことかな。
 初めて会ったときから好きだったなんて告白するのは、ずるいことかな。

「駅まで送っていくよ。」
 私が食べ終えたのを見た陸が、そう言った。
「うん。いいのかな、甘えちゃって……。」
 陸は何も答えなかった。先に玄関に行き、くつを履いていた。私はいそいで鞄を持って、忘れ物がないか見渡した。
 本当はもっと甘えたいんだけど、やっぱりお願いするスキはなさそうだった。

 陸の後から部屋を出て、鍵をかける陸の姿を見ていた。
 狭いアパートの階段も、陸は慣れた様子でさっさと降りていったが、私はやや遅れて必死で足元を見ながらこわごわ降りた。
 そんな私を、陸は下から黙って見ていた。きっと鈍いヤツだと思っていたんだろうな。恥ずかしい。
 アパートからは、すぐ駅だ。
 まだ朝の10時だ。
 陸、私まだ帰りたくないんだけど……。

 駅が見えて、陸が立ち止まった。
 ここから先は一人で帰れるだろうと言いたいんだね、きっと。私は結局何もいえない自分が情けなくなりながら、陸より一歩先を歩き出した。
「そういえば……。」
 陸が突然、話し始めた。
「なに?」
 私は期待をせずにいられなかった。
「今朝、オレ、初めてオヤジの夢見たんだ。びっくりしたよ。」
「え?」
 陸の言葉は期待はずれで、私はヘナヘナとなりそうだった。
「そうなんだ。どんな夢だったの?」
「写真でしか覚えてないのに、今朝のオヤジは動いてたな。」
「そう……。」
 私たちはその後、別れて帰っていった。


 駅で電車を待つ間も、私はなんだかぼうっとしていた。
 男の人って、いや、陸って、酔って一夜を共にするっていうの、多いのかな。私はもちろん初めてだったけど。愛のないエッチも初めてだったし。いや、私は愛にあふれてたけど……。
 そんなことを考えていると、携帯が鳴った。陸からだった。
 私たちは一緒に仕事をしているから、相手の携帯番号はしっかりわかっていた。連絡に使うからだ。
「どうしたの?」
 私は、陸からの電話に出た。
『あのさ。』
「なに?」


『気になることがあったんだけど。いいそびれて。』
「気になることって?」

 陸は低く甘い声で、ゆっくりと言った。
『今朝、寝言で、助けてって言ってた。へんな夢見た?』
「助けて?」


 私は今朝見た夢を覚えていない。熟睡できたかどうかもわかっていなかったから。
「覚えてないよ。大した夢じゃないと思うよ。」
『そう……。でも、苦しそうだった。喉に手を当てて、顔を赤くして、息ができないみたいに……。』




 電車がホームに入ってきた。
 冷たい風が、顔に吹きかかる。
 ブレーキの音が響き渡り、電話の音が途切れた。





「私、ちょっと変わった夢を見ることがあるんだ。」

 私は、いつも水の中にいる夢を見る。
 魚のように、自由で安らぎを覚えている。
 でも、それは死と似ているような、気がしていた。

『その夢、誰かに話した?』


 水の中で、マリア様に会う夢。
 水の中で、あなたとそっくりな人の写真を見つめる夢。


 水の中で。


 水の中で……。


 そこには白くて大きな空がある。
 私は幾億のあぶくとなって、消えてゆく。

 人魚の伝説のように、
 愛する人のために、私は死んだの?

 私の前世にまつわることなの?
 それとも、未来に起こることなの?



「陸、よかったら、話を聞いてくれる?」


 陸はいいよと言った。
 私は携帯電話を持ったまま、ホームで電車を見送った。





 この夢から、解放されるときが来たのだろうか。

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