good morning

この作品の写真素材はおしゃれ探偵様よりお借りしています


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「水の空へ」

(6)水の空へ

 それから私と陸は、彼の部屋にもどり、もう一度愛し合った。
 今度は、お互い顔を見つめあい、何度も「好き」を繰り返しながら、確かに愛し合った。

 こんなに、私の中で陸への愛情が膨らんでいたなんて。
 自分でも驚くぐらいに、感情が爆発していた。

 キスをすると止められず、求め合い、あふれる喜びに頭の先からつま先までがしびれていた。



 言葉には魔法の力がある。胸に秘めていても確かに愛情はあったはずなのに、一言好きだと口にしたとたん、私たちは自由になった。どこかで孤独の呪縛にあえいでいたのに、お互いの気持ちが通い合うと、空をゆきかう雲のように、自由にやわらかでいられる。

 そして言葉の力で、ますます相手を好きになってゆく。


 無口な陸。でも、伝えてくれてありがとう。私にはきっといつまでたっても、そんな勇気が湧いてこないで、陸を遠くから眺めているだけだったと思うから。



 近くで見る陸の顔は、素敵だった。
 眼鏡をかけていないあの顔で、私を見つめてくれる。夢に出てきた愛する人の顔のまま、少し若くて優しい顔つきで、私に好きだと告げてくれる。
 細い指で前髪を上げるしぐさが陸の癖で、それを見ると、ああ、この人と一緒に仕事していたんだなぁと思い出す。仕事しながら何度も見たしぐさ。それをベッドの中でも見せた。不思議な気持ちになる一瞬だった。
 不思議だけど、とても暖かな一瞬。


「陸……」
 思わず名前を呼ぶ。
 愛されている幸せから漏れる吐息と一緒に。

「……芹亜。芹亜……。今日から芹亜って呼んでいい?」
「……うん。」
 大きく呼吸を乱しながらも、特別な関係に近づいていく。
 今日からは、お互いがお互いを大切に思い合う関係でいられる。


 私たちは、狭いベッドのなかで、ひっついて目を閉じた。
 眠るわけではなく、ただ穏やかに二人の鼓動を聞いていたいだけだった。

「芹亜……。実は見せたいものがあるんだ。」
 ふと目を開いた陸が、そう言った。
「何?」
 私は陸の顔を間近で見つめた。
「ここには無いんだ。次の休みに、北海道のオレの実家に一緒に来てくれないかな。」
「え? 北海道まで行くの?」
「うん。きっと芹亜が探していたものが見つかるはずだから。」

 私にはよく分からなかった。
 でも、陸の確信を持った言葉には、逆らえなかった。

「それと、芹亜。今夜も泊まっていく?」
「うん。」
「明日も?」
「うん。」
「あさっても?」
「……いいの?」

 陸は優しい笑顔でうなずいた。
「狭くてごめん。」


 私にとって、陸と一緒にいられるスペースは、どんなところだってかまわない。
 仕事が離れてしまった今、生活を共にできるなんて嬉しすぎる。



 私は翌日家に帰ると、陸の家に泊まるための服などの荷物をまとめ始めた。
 すると、あっちゃんが、そっと私の部屋を覗きに来た。
「芹亜。どうしたの?」
「あ、あっちゃん。ごめん。私……。」
 あっちゃんに、説明しなくちゃ。
 好きな人がいるんだよ。
 すごく、優しくてかっこよくて素敵な人なんだよ。
 本当の恋だと思うんだ。

「芹亜、それは、昨日一緒に水族館へ行った、柏原さん?」
「あ。うん。そう。」
 あっちゃんは、私の答えを聞いて、黙り込んだ。

「柏原さんから、話を聞いたの?」
「話? 何の?」
 また、あっちゃんは黙った。

 私は荷物をまとめるのに、一生懸命で、あっちゃんの顔色なんかをじっくり見ていなかった。
 あっちゃんは、一言言った。
「芹亜は、きっと幸せになれる。そう、信じるわ。」
「どうしたの、あっちゃん。」

 あっちゃんの言葉は、私の手を止めた。
「芹亜……。柏原さんからきちんと話を聞いてね。芹亜が辛いことも二人で乗り切ることができると思うから。」
「あっちゃん……。」
 あっちゃんは、微笑んだ。
「私もう結婚するから、私のかわりに、芹亜と一緒にいてくれる人が見つかってよかった。芹亜は孤独じゃなくなるね。」


 あっちゃんは、それから何を問いかけても、柏原さんに聞きなさいの一点張りで、話をつなげてはくれなかった。
 でも、私をいつも心配して見守ってきてくれたあっちゃんが、会ってもいない柏原さんをそんなに信用するのは、なぜなんだろう。気持ちは嬉しいけど、ちょっと不思議だった。
 しばらく、家をあけることも了解してくれた。



 陸は、そんなあっちゃんの態度を伝えても、何か話してくれる様子はなかった。
「陸に、私何か聞かなくちゃいけないのかな?」
 とうとう私がしびれをきらして、そう尋ねた。
 陸は静かに微笑んでいた。

「北海道へ行こうよ。そのときに全部話すから。」
 陸の生まれた街、北海道で、何が待っているんだろう。




 翌週の土曜日、朝、飛行機に乗り込み、昼近く北海道に着いた。
 空港からレンタカーで、陸の家族の住む街へと向かった。
「母さんが独りで住んでる。」
 そうなんだ。どんな人だろう。どんなところだろう。そして、私って、どういう風に紹介されるのかな。

 陸と一緒に住んでからというもの、あの水の底から泡となる夢は見なくなった。多分、気持ちが陸の方に集中的に向かっていて、そういう夢を見ることがなくなったんだろうな。
 このまま、陸と一緒にいれば、あの夢に悩まされることはなくなるんだ。
 陸を愛してる。
 数日でも愛情は深まるばかりで、日常が陸一色に染まっている感じだ。
 こんなにハマってしまっていいんだろうか。

 いいよね。
 だって、実家に連れて行ってくれるっていうんだもん。それって特別な意味でしょう?


 3月に入っても当然のように雪深く、その家に着いたときも、家の形は雪に埋もれてよくわからなかった。
 ちょうど吹雪いていたので、雪下ろしもしていなかった。
 寒かったのは、車を出た瞬間だけで、家の中に案内されると、とても暖かかった。
 私は緊張しながら、陸の後を歩く。廊下に、お母さんらしい人が出てきて、微笑んで声をかけてくれた。
「いらっしゃい。お待ちしてました。」
 私は恐縮してお辞儀する。お、お待たせしました。
 50近い人だと思うけれど、とても美人で、優しそうだった。
「陸十がお付き合いしてる人を連れてきてくれるなんて、初めてなのよ。」
 お母さんがにっこりして言う。
 歓迎されてる。すごく嬉しい。
 そして、付き合ってまだ1週間だということは、知っているんだろうか。
「陸十、紹介してちょうだいよ。」
 お母さんにそう促されて、陸は立ったままの私とお母さんに、まず座れば?と声をかけた。挨拶が先だわというお母さんに陸は自分から先にソファに座ってしまった。
「もう。」
 お母さんは笑って、私にどうぞとソファに座るように勧めてくれた。
 私は、指された1人がけのソファに、遠慮しながら座った。間を取り持ってよ、陸。恥ずかしいよ。
 沈黙が流れる前に、お母さんはキッチンに引っ込んだ。
「めちゃくちゃ久しぶりだぁ〜。」
 陸がそう言って笑った。
「そうなの?」
 私が尋ねると、
「うん、3年ぶりくらいに帰ってきた。」
と、答えた。
 すると、キッチンから、お茶を持って出てきたお母さんが、付け足した。
「大学時代も年に1度スキーしに帰ってきたくらいなのよ。」
「だって、旅費が高いんだからさー。そうそう帰省できないよ。」
「今日だって、一泊で帰るんでしょ? もっとお正月休みとかにゆっくり来れないの?」
「お正月に休みは無いよ。忙しいの、バーゲンなんだから。」
「ああ、お洋服とか扱ってると大変なのね。」
 私は、親子の会話に入れず、ただにこにことうなずいていた。

「ね、ところで、そろそろ紹介してくれてもいいんじゃないの? やっぱり会社で知り合った人なの?」
「うん。今年知り合ったばかりなんだけどね。」
「お名前は?」
 陸が、黙り込んだ。
 私が名乗るべきなのかな、そう思って私が口を開こうとしたとき、陸が私の前に手を出して、止めた。
「母さん、突然連れてきてゴメン。心の準備ナシでさ。」
「え? どういうこと?」
「彼女ね、名前は、瀬崎芹亜さん。24歳だよ。」


 お母さんは陸をじっとみていた。え?という顔で。
 その反応に、私はとまどった。
「陸十、瀬崎さんって……?」
 お母さんが消え入りそうな声で問いかけた。
「そうだよ、瀬崎芹亜さん。母さんは覚えてるだろう。」
 お母さんが、私を驚いて見つめた。そしてまた陸の方を見た。
「待って陸十、なんであなたが知ってるの?あなたには名前まで教えてなかったわ。」
「瀬崎さんのいとこの人から聞いたんだ。そのときの子だって。」
 そのときの子?
 陸、どういうこと?


「芹亜はなんにも知らないんだ。教えられずに育ってる。」
 陸の言葉に、お母さんは彼を見て呆然としていたが、ゆっくりと私のほうを見てそれから、なんとも言えない複雑な笑みを浮かべた。
「芹亜さん。……いらっしゃい。また会えて嬉しいわ。本当に嬉しいわ。」
「え?」
 また会えて?
 私は陸の方を見て、教えて、と説明を求めた。

 陸は、話してくれた。

「20年以上前、夏だった。うちの近くに湖があって、そこである家族が溺れて亡くなった。瀬崎さんという親子だった。たまたま釣りをしていたオレの父親は、そこで人がボートから湖へ落ちるのを見て、急いで湖に泳ぎだし、一番最初に女の子を助けたんだ。その子はもう湖の底まで沈んでいて、危ない状態だった。でも奇跡的に助かった。オレの父親は、残りの親子も助けようとして、湖に出て行ったんだけど、あまり泳ぎが達者じゃなくて、結局溺れて亡くなったんだ。」

 私は言葉が出てこなかった。


「後から聞いた話だと、家族は入水自殺を図ったらしく、この湖を選んだのも、本州の人だったから、見つかるまいということだったらしい。ひっそり死にたかったんだと思う。でも、オレの父親はおせっかいしちゃったんだよな。その結果、女の子は家族を無くして1人だけで生きていくことになって……。」


 お母さんが、口を開いた。
「芹亜さん、あなた、一度うちに来ているのよ。もう覚えてないでしょうけど。生死の間を彷徨っていたあなたが、無事息を吹き返して元気になって、警察の調べで身元がわかってから、お婆様と一緒にここへ訪ねて来られたわ。主人にお礼を言ってくださって。そのとき、陸十とも一緒に遊んだのよ。」




 私は、陸にリビングに連れて行ってもらった。リビングには陸のお父さんの写真が飾られてあり、そこで私は陸と一緒に遊んだという。
 陸のお父さんの写真を見て、私は驚いた。
 夢で出てきた写真の男の人だった。陸にそっくりの、陸よりも少し日に焼けて精悍な顔つきの人。
 陸のお父さんは、写真だけを残していて、特に死んだ人という印象がない。仏壇なんかが無いとそう思ってしまう。私の家族の写真がいつも仏壇に飾られていたから、余計そう思う。

 小さい頃に見たこの写真を、私は記憶の奥底に眠らせていたに違いない。それなのに、自分の家族の死が交通事故だったと信じていたなんて、おかしい。自分が死にかけていたことも忘れ、命の恩人がいることも知らず、ずっと生きてきた。



 私はリビングで、思わず座り込み、土下座をして陸と彼のお母さんに頭を下げていた。
「芹亜、何してるんだよ。」
 陸に腕をひっぱられて、顔をあげた。
 知らぬ間に涙が出ていて、止めようが無かった。

「ごめんなさい。」
 私はつぶやくように言った。
「謝ることじゃないんだって。父さんはおせっかい焼きだったんだ。バカな人だけど、いいところがあるだろ? オレは、子どものころから父さんが子どもを助けて、湖で溺れて死んだって聞いてただけだけど、梓さんがオレの父さんの名前を覚えていて、その助けた子どもっていうのは芹亜だって教えてくれたんだ。」




「ただ、芹亜は生涯孤独になってしまった。家族と一緒に死ねなかったのは、もしかしたら辛い人生だったんじゃないかって。その答えを、どうか父さんに教えてやってくれよ。なんだったら、怒鳴ってくれてもいいんだ。芹亜の気持ちを教えて欲しい。」


 私はその美しい男性の写真に向かって、涙を流しながら言った。
「命を助けてくださって、どうもありがとうございました。私はずっと幸せでした。今もとても幸せです。陸に出会えて、本当に幸せです……。」

 後ろで、陸のお母さんが泣いているのが分かった。
 私も涙が止まらなかった。


「オレたちは、きっと父さんに見守られて生きてきたんだな。」
 陸がそうつぶやいた。



 夢は私の小さな記憶の断片だった。
 忘れてはいけないと、心が刻み付けていたカケラだった。
 前世でもなく、未来でもなく、それは、今を生きる私の命の叫びだったようだ。


 陸、あなたと昔一緒に遊んだなんて、おかしいね。
 忘れててごめんね。

 もう二度と、あの夢は見ないような気がする。
 だって、陸と一緒にいられて、きっと陸のお父さんも安心してるだろうから。

 水のそらへ、私は救われていた。


 ありがとう。

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(2005.12.28〜2006.1.24)

最後まで読んで下さってどうもありがとうございました。

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