good morning

この作品の写真素材はあんずいろapricot×color様よりお借りしています


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「恋するオトメ」

(12)一緒に

 空はどうして、何事もなかったように、毎日平然と仕事してられるんだろう。
 私と瑠貴のことを知っているのに、それでも、私を好きだと言ってくれる。昔から変わらないマイペースなやつ。ちょっとずつその存在が、私の中で大きくなっている。
 そして、瑠貴とは連絡がとれないまま、彼の停学期間の1週間が過ぎて行った。

 その日の2年3組の授業は、嫌なことに私の授業から始まった。

 いつも静かな授業態度で、文句のつけようが無いんだけど、今朝ばかりはその静けさがひどく不気味に感じられた。
 停学が明けた瑠貴と湊あさひを見つめるクラスメイトたちの目が、鋭い。
 本当に私の授業を聞いているのかな。そんな気持ちにすらなってしまうほど、教室全体に異様な緊張感が流れていた。

 授業を開始して15分ほどたったときのことだった。
 廊下のほうで、バタバタという足音が聞こえたかと思うと、ガラッと教室の後方のドアが勢いよく開けられた。
「瑠貴、ちょっと出て来いよ」
 皆がいっせいにその声の主を見つめた。
 大きな体つきで赤いTシャツ姿の男子だった。よく見ると、1年の中堂瞬哉だった。
 彼も同じく、今日までの1週間、停学処分を受けていたため、瑠貴とはケンカしたとき以来会っていなかったことになる。
 瑠貴はすっと立ち上がって、教室を出て行こうとした。
「ちょっと、南丘くん、授業中よ。出て行っちゃだめでしょう」
 私はあわてて、瑠貴のそばに走り寄った。
「呼ばれてんだから、しょうがないじゃん。すぐ戻るよ」
「だめよ、待ちなさい」
 私はそばにいた生徒にむかって、
「急いで高村先生呼んで来て」
と、言って促した。

「あさひ、お前も来い」
 中堂は、教室の中に入ると、あさひの手をとって、外へ連れ出した。
「中堂くん、やめなさい!」
 私の言葉なんか全く聴く耳を持たないかのように、中堂は振り返りもしなかった。
 しかたなく、私は、瑠貴とあさひと中堂の後をついて行った。

 北校舎と南校舎の間の渡り廊下で、中堂は立ち止まり、瑠貴をにらみつけた。
「おまえ、あさひを妊娠させたって本当か」
「は?」
 私がそばにいるにもかかわらず、中堂は興奮した様子で瑠貴につかみかかった。
「は?じゃねえよ、心当たりはあるのかないのか」
「何言ってんのよ、瞬哉」
 あさひが中堂の肩に手をやった。
「あさひ、お前は誰の子を妊娠したんだ、言ってみろ」
 中堂は目を吊り上げてあさひを睨む。
 瑠貴は面倒くさそうな顔で言った。
「そういえば、今朝へんな噂聞いたなぁ。あれを真に受けてんのか、中堂」
 中堂はしきりにあさひの妊娠のことについて、しつこく瑠貴にからんでいた。

「あさひ、お前からなんとか言ってやれよ」
 瑠貴はあさひを横目で見ながら言った。
 私はドキドキしながら、あさひの様子を見守った。
 あさひは困った顔で、もじもじしていたが、私や中堂の視線を受けて、ついに口を開いた。
「瑠貴の子供じゃないわよ」
 瑠貴はチラっと私の顔を見た。
「だよな。そういう関係じゃないからな」

 私はとにかくほっとして、瑠貴とあさひをクラスに戻すことを忘れていた。
 そこへ、空が生徒たちと走ってやってきた。
「おい、何やってるんだ、授業中に!」
 瑠貴が空の姿を目にすると、ひどく嫌そうな顔をして、プイと横を向いた。
 横を向いたまま、瑠貴は吐き捨てるように言った。
「中堂があさひのことでオレに嫉妬してんだよ。バカみてー。ヘンな噂、真に受けてさ」
 それを聞いて中堂が顔を真っ赤にして怒った。
 瑠貴の胸ぐらを掴んで、
「誰が嫉妬だって? いい加減なこと言うな」
と低い声でうなった。
 瑠貴は中堂の手を払いのけると、言った
「今までオレに反発してきたのは、あさひのせいだろ? それくらいわかってんだ。でもそれは誤解だからな」
 瑠貴の言葉に、中堂は相変わらず赤い顔で、瑠貴を睨んでいた。

 空が瑠貴と中堂の間に入って、引き離そうとしたときだった。
 瑠貴が空に向かって、言った。
「本当に幸せにできるんだろーな」
 空は瑠貴を見たまま、動きを止めた。
 瑠貴の言葉は、中堂に向けられたように周りには聞こえたかもしれない。
 けれど、私には、その言葉が針のように胸に刺さった。

 瑠貴の瞳は、私を見ることはなかった。
 私と空の結婚の噂を、瑠貴は耳にしていたんだろう。
 瑠貴、それがあなたの答え?
 噂を私に確かめようとはしてくれないの?

 あさひが、ぽつりと言った。
「瑠貴、アメリカへ行くんでしょ? あたしも連れて行ってよ」
 すると、瑠貴は言った。
「おなかの子、どうせ、中堂の子なんだろ? ちゃんと二人で話し合って決めろよ。どうしてもアメリカに行きたいなら、お前の勝手だから、止めないけどな」

 そこへ、中堂のクラスの担任がやってきて、中堂の手を引っ張って教室へ連れて帰った。
「あさひ、本当のこと言ってくれよ!」
 中堂はあさひにそう言い残して、渡り廊下から校舎のほうへ消えていった。

「中堂の子なのか?!」
 空が唖然とした顔つきであさひに聞いた。
「さぁ。」
 あさひは少し寂しそうにうつむいた。
「あたしは、瑠貴が好きなの。瞬哉とはそういうつもりで付き合ったんじゃないんだから」
 空も私も言葉をなくして、しばらくその場で立ち尽くしていた。
「でも、おまえ、そういうつもりだろうと、どうだろうと、現実問題、おまえが抱えてる問題はな……?」
 空は困ったようにそっとあさひの顔を見つめて諭そうとした。
 すると、あさひは、バッと空に抱き付いて、泣き出した。
 体を屈めたままの姿勢で、あさひに抱きつかている空は、少し身体を強張らせていたが、ぎこちなく、あさひの背中をとんとんとたたいた。

 瑠貴はぼんやりと遠くの校舎の窓でも見るように、二人から目をそむけ外を向いていた。

 私はそこにいる瑠貴と空と、両方をいとおしいと思った。
 こんな感情、許されるんだろうか。
 瑠貴とは別れた方がいいんだと思い始めていた。若い瑠貴には恋愛以上に大切なものがきっとあるに違いない。
 そして、瑠貴自身も私のことを空に託そうとしているみたいだ。

 空はいつも余裕の笑顔で私のピンチを救ってくれる。でも、このまえ、生活指導部の部屋でで「3年くらい我慢できるよ。平気だよ」ってつぶやいた空の顔は、切なくなるほど真剣な瞳だった。

 私、瑠貴も、空も好きだ。



 私はそこにいる生徒たちを促して、教室へ戻るように言った。
 そして、瑠貴とあさひと空を残して、私も教室に戻った。



 それから少しして、前期模擬試験の日が来た。
 瑠貴は全日欠席した。6月末で学園を退学するらしい。もう、残りひと月なかった。
 試験が終わってからも、あまり学校へは出てこなくなった。
 そして、私とのメールはぷっつりと途絶えていた。

 毎日、空と顔をあわせていて、私はいままでと明らかに違う感情に振り動かされているのに気づく。
 空と言葉を交わす時を、視線が合う瞬間を、待っている私がいる。
 瑠貴のことも、時折忘れてしまうくらい、学園での空との仕事に楽しさを覚えていた。
 でも、あんまり空が仕事に夢中な様子だから、もしかしたら、私を口説いた言葉は私の錯覚だったんじゃないかとさえ思うこともある。
 本気の告白をされてから、ひと月は経とうというのに、それ以降私を誘うような素振りは全くなかった。
 その態度が、なんだかじらされているみたいで、毎晩眠れないのだった。
 瑠貴のことを思い出すと胸が痛み、空のことを思い出すと、ドキドキする。そんな風に、私の感情は変わっていったのだ。



 金曜の夜のことだった。
 私は、空を捕まえて、飲みに誘った。
 空はお酒に弱いのを知っているから、少し彼の本音を聞きだしてやろうと思ったのだった。
「歩から誘ってくるなんて、めずらしー。どうしたの?」
 きょとんとしてそんな風に訊く空は、もしかして私の気持ちも見透かしてるのかもしれない。そんな気がした。空は結構、計算ができるヤツだから。

 バーのカウンターに座って、カクテルを飲んでいると、なんだかすごくいい気分になってきた。
 私のとなりで、空は、生徒がどうのこうの、学園の制度がどうのこうのと仕事の話ばかりしていたので、つい、私の方がクイクイと飲みすぎてしまったようだった。
 そうだ、忘れてた。私だってお酒は強くないんだった。
「歩、聞いてる?」
「聞いてるわよ」
 その実、全く話は上の空だった。
 そういえば、初めて瑠貴と会った日も、こうしてバーでお酒を飲み続けた。楽しくて楽しくてたまらなくて、結局最後のほうは意識も飛んでいて……。



「歩?」
 ん?

 私の耳元で空の声がする。
「大丈夫?」
 瞼が重い。
 体が動かない。

 ようやく、うっすらと瞼が開くと、ぐるぐる視界が回りだした。
 だめ、眠りそう。
「歩、飲みすぎだよ」
 え、そんなに飲んでないわよ。だって、ちゃんとわかってるって。ここはバーの上のホテルでしょ。ベッドに横たわってるのだってわかってる。
 あなたは、高村空。

 ここはホテル……。



 んん?

 私ははっとして目をあけた。
 私の視界には間接照明で淡く染まったアイボリーの天井が迫っていた。
 ベッドに真横に横たわっている私は、靴を履いたまま、ベッドから足を下ろしている状態。
 そっと手を動かしたら、暖かいものに触れた。その方を見ると、ベッドに腰掛ける空の姿が目に入ってきて、私は彼の手を掴んでいる。
「意識ある?」
 空はなんだか余裕のある笑顔で私に訊いた。
「あ、あるわよ」
「よかった」
 空は自分の手に触れていた私の手をそっと返すと、じっと私を見つめた。

「帰るのは無理そうだから部屋をとったんだけど……、ほら、ちゃんとベッドに縦に寝て、ふとんかぶって寝ないと風邪ひくぞ」
 空は立ち上がって、私に手を差し伸べた。
 私は、空の手をとって、ゆらゆら揺れる足を踏みしめて、やっと立ち上がった。

 立ち上がると、近くに空の顔があって、まっすぐ私を見る黒い瞳に、なんだか目を合わせられなくなってうつむいた。
 そして、私は自分から、空のスーツの背中に手を回して身体を預けていた。
「歩? 立てないの?」
 ちがうよ。
 違う。

 ぎゅって抱きしめられたい。

「歩?」
 名前を呼ばれるたびに胸がきゅんとなる。
 ああ、わたしこんなに空が好きなんだぁ。

「しっかりして。ほら。終電がなくなるから、僕もう行かないと……」
 空は私を自分の体から無理やり引き離して、ベッドのふとんをめくって、そこへ私を寝かせようとした。
 私は力が抜けて、空のするがまま、おとなしくベッドに横たわった。
 ふとんをかけてくれた空は、また優しい笑顔で、言った。
「じゃあ、明日、携帯で起こしてあげるよ」
 私はベッドの中から手を出して、空の手を掴んだ。
「待って」

「行かないでよ」


 空は私に引き寄せられて、私のもとに倒れこんだ。空が息を呑んで私を見つめているのがわかる。
「歩、僕は……」

 どうして?
 わたしって、だらしない女かな?
 空に、そばにいてほしいと思うんだよ。
「空、私のこと、好きじゃなくなった?」
 空は黙り込んだ。
「空……」
 私は空の頬に手を伸ばした。
 空はゆっくりと私の顔の前に覆いかぶさるようにベッドに体を乗せてきた。
「……」
 鼻と鼻がぶつかりそうな距離で、空がつぶやいた。
「好きだよ」
「わた……」
 急に静けさを蹴破るような携帯の着信音が鳴り響いた。

 私の携帯。

 空が起き上がり、ベッドサイドに置いた私の鞄を、こちらに渡してくれた。
 私は凍りついたように、その鞄を受け取ったまま携帯を出すことができなかった。
「どうしたの? 歩」
 空の顔を見つめながら、ようやく、携帯を取り出した。
 鳴り続ける携帯。
 すぐに出られない私。


 もう最近は聞かなかくなった、この着信メロディ。
 着信は、瑠貴だった。

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