この作品の写真素材はあんずいろapricot×color様よりお借りしています
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| 「恋するオトメ」 (14)愛してる 瑠貴の茶色の瞳に、深い影が落ちるのが見えた。 「会いたくなかった」 私ははっきりとそう告げた。 言葉とは裏腹に、心のもやもやがいっそう強くなる。 ベッドに体を乗せていた瑠貴は、じっと私の目を見つめていた。 50センチの距離を保ったまま、瑠貴はそれ以上私に近づいてこなかった。 「高村のほうがいいの……?」 つぶやくように訊く瑠貴の言葉は、最後まで聞き取れなかった。まるで、ため息のようだった。 空の方がいい? 私は心臓の動きが速くなるのを感じた。 空の顔を思い出すと、瑠貴の目を見ていられなくなって、うつむいた。 私の頭の中で空が言う。 「僕は歩にちゃんと自分で選んでほしいんだ。僕と瑠貴が歩を取り合うんじゃなく、ね。」 真剣な眼差しで、私のあやふやな弱い心を突き放そうとする。 空が好きなの? 空といると、知らない間に張り巡らされた優しさで、私はいつも心地よくいられる。 空が微笑んでくれると、心のそこから安心できる。 いつも生徒のことを真剣に考えている姿は、同僚としてとても尊敬できる。 好きだと言ってくれると、うれしい……。 ふと気づくと、瑠貴がその手をのばして、私の前に差し出していた。 布団の中に隠した私の右手が、自然に布団からすべり出た。 そっと、瑠貴の手をとった。 「瑠貴……」 なぜだかわからないけれど、私は瑠貴の細い指先に自分の指をしっかりと絡めていた。 「歩……。俺たち、別れないよな?」 声が出なかった。 瑠貴の大きな手の中に、私の手はすっぽりと隠れてしまう。 それと同じように、瑠貴の前にいると、私のちっぽけな思考なんか彼の放つ愛情に簡単に飲み込まれてしまう。 瑠貴は10センチ、私に近づいた。 「高村と、俺と、どっちが好き? どっちを愛してる?」 私は、逃れられない問いかけに、息が詰まりそうな気がしてこくりと唾を飲み込んだ。 「私は……」 瑠貴がきれいな目を細めて、私の答えを待っている。 「私……」 「空のことが好き……」 瑠貴は静かに部屋から出て行った。 がらんとした部屋にいるだけで、胸がきゅうっと締め付けられるように痛んだ。 これでよかったんだ。瑠貴はアメリカへ行くんだから、私のことなんか忘れてしまったほうがいい。 そう自分に言い聞かせながら、ベッドから這い出した私は、部屋の真ん中で立ち尽くした。 「瑠貴……」 きれいな中に幼さがにじむ、瑠貴の笑顔が、私の脳裏に浮かんだ。 「瑠……貴……」 声が震えた。 もう、呼んでも答えてはくれない相手の名を呼んで、私はどうしようというのだろう。 自分が選んだ結末なのだ。 気がつくと、昼を過ぎていた。 私はまだベッドに寝そべっていた。 どうしようもなく、気持ちが落ち着かなかった。誰かに助けてほしい。 そして、ふと、空のことを思い出した。 いそいでバッグから携帯を取り出して、空の番号を呼び出した。 2コールの後、落ち着いたいつもの空の声が聞こえた。 『はい……歩?』 「う、うん」 『待ってたよ。いつかかってくるのかなって』 「ごめん」 私は空に癒されたいと思っていた。 「会いたい……」 空は少し黙っていたが、 『昨夜、あれから瑠貴に会えた?』 と、尋ねた。 「会えたよ……」 『結論は出たの?』 「……うん」 「瑠貴とはきちんと別れたから……」 電話の向こうで、ふうっというため息が聞こえた。 『……ありがとう……』 空の声は、安堵の柔らかな空気を伝えてきた。 『会おう。今すぐ、会いに行くよ』 抑揚のない言い方だったが、空が喜んでくれているのがわかる。 私はうんとうなずいて、電話を切った。 静かな部屋の中、なぜだろうか。 情けない気持ちが、少しずつ少しずつ、心に積もってゆく。 部屋のドアがノックされたとき、私はぼうっとテレビを見ていた。 ドアを開けると、そこには空が立っていた。 いかにもうれしそうな空の顔を見ると、つられて笑顔にはなったが、なんとなく気持ちがよくない。 「どうぞ、入って」 「おじゃましますっ」 空は手にスーパーの袋を持って、いきなりキッチンに立ち始めた。 「飯まだだったよね。今つくってやるから、待っててよ」 「え? 空が作ってくれるの?」 「うん。だてに一人暮らしは長くないんだよ」 空は手際よく料理を始めた。 私はその様子をベッドに腰掛けて見ていた。 瑠貴と一緒のときは、絶対にご飯当番は私の役だった。 いつも、壁にもたれて漫画を読みながら、ご飯ができるのを待っていた瑠貴。 瑠貴に比べて、空はなんて楽な人だろう。 瑠貴と一緒にいるよりも、はるかに私の負担が少なくてすむ。 なんでも甘えられる。 長く一緒にいられる人って、こういう人なんだわ……。 空は器用にフライパンを反して、あっというまにオムレツを作ってくれた。 付け合せにトマトたっぷりのサラダと、コンソメスープ。 「ありがとーっ!」 なんだか本気で感動してしまった。 旦那さんにするなら、こんなタイプ……。そんなことを私は考えるとなく考えていた。 空の作ったオムレツは思った以上においしくて、自然と笑顔がこぼれた。 「うまい。やっぱり僕は天才だなー。教師やめて料理人になろうかな」 「空が教師辞めれるわけない」 「そうだな、辞めるっていうより辞めさせられるってゆーのが正しそうだな」 「え、なんで??」 「いやぁ、僕のクラスは騒動が絶えないからね」 空は笑っていた。冗談とも本気とも取れない言い方だった。 私が黙っていると、空は静かに手を合わせてごちそうさまをしてから、ごそごそとカバンから何か紙を出してきた。 「あのね、これなんだけど……」 空が、リーフレットの表紙を私に見せて、私の表情を伺った。 そこには緑の森のような場所にあつまる子供たちの生き生きした顔がたくさん写っていた。 写真の下のほうに、名前があった。 「掌愛の森(しょうあいのもり)?? ボランティア募集??」 空はひとつうなずいて、話し出した。 「去年の夏休み、知り合いから、数日でいいからボランティアを手伝ってくれないかと言われて行ったのが、ここ。」 所在地として住所が載っていたが、滋賀県となっていた。 「まぁ、簡単に言うと孤児院のようなもの。だけど学校へ行きながらも、近所の農家の手伝いや、食事の用意とか掃除なんかを当番制にして、小さいころから自分たちの力で生活しているんだ。で、そこでの親代わりの人の数が足りない。子供たちの進路の悩みにものってやらなきゃならないのに、社会経験を持って、体力のある若い指導員の数が不足してるんだ」 私は空の顔を見た。 空はまっすぐリーフレットを見つめたまま、言った。 「そこへ、行こうかと思ってる」 「行くって、仕事として?」 「うん。今の給料とあんまり変わらないけど、一日中そいつらと一緒に寝起きすることになる。週に一日休みがもらえるだけかな」 「すごく……大変じゃない?」 「それは、ボランティア手伝ったときから、わかってるんだ。でも、いつか僕がやらなきゃって思ってさ……」 私は空を上目遣いに見つめた。 「いつ、行くの?」 「再来年の春」 「もう、決めてるんだ……」 「ほんとはもっと先の話かなって自分でも思ってたんだ」 空はそんなことを言いながら、にこにこと微笑んでいた。 「でも、来年うちのクラスの生徒たちが3年になって、次の春卒業したら、もう僕には学園に残ることの意味が無いような気がしてきたんだよ。」 「じゃあ、あと一年半で東京暮らしもおしまい?」 「来年3月で歩の任期は終わるよね。その後はどうするの?」 急に自分の話を持ち出されて、私は焦った。 何も考えていなかったわけじゃないけど、しばらくは何か仕事を見つけて、ここにいると思うんだけど……。 「就職口さ、世話しようか?」 「え、まだ何かコネがあるの?」 「うん」 空は少しまじめな顔をして、私を見た。 「僕の家で、僕が帰ってきたとき、おかえりなさいを言う仕事」 「え??」 しばらく無言でいた私たちは、顔を見合わせて照れくさくて笑ってしまった。 「僕、何回プロポーズすれば、歩に受け入れてもらえるんだろ……」 空は半分すねたように言った。 ありがとう、空……。 私で、いいの? 待って……、そう、答えていいの? 歩……。 一緒にいると守られてる気がするよね、安心できるよね、ほっとするよね。 空のこと、好きだよね。 私は、あやふやに作られた笑顔の下で、何か、言わなければならない空気に息を詰まらせていた。 空に、彼が待っている答えを言わなくちゃ。 空が喜ぶ答えを言って、安心させてあげなくちゃ。 「なんで、うつむくの?」 空の声で、私ははっと顔をあげた。 空はまっすぐ私を見ていた。 私の表情にほんのすこしの違和感を感じたのだろうか。 笑顔の消えた空の瞳は、言葉よりもずっと重い感情を溢れさせていた。 空は、無言のまま私の体を抱き寄せた。 そして、顔を見ないまま言った。 「愛してる」 私は、自分でも驚くほど、心が動かないことに気づいた。 夕べまで、空を求めていたのに。 プロポーズされて、それに愛していると言われているのに、そのことに、胸が締め付けられるようなときめきが無い。 どうして? 今朝、瑠貴に「空が好き」だと、伝えたばかりなのに。 伝えたのに。 伝えたときの、あの、震えるような心の痛みが、少しずつ思い出される。 瑠貴の表情が翳って、流れない涙の色さえ見えていた、そんな顔を思い出す。 誰のため? 瑠貴のため? 空のため? それとも私のエゴ? 損や得や、常識や、世間体があるから? どうして、私は空を選んだの? 空を、愛してるの? 本当の気持ちは、今、どこにあるの? 空が私に口づけようとしたとき、私は無意識に抵抗していた。 抱きしめられた腕が窮屈で、なんとか逃れようとしていた。 |
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