good morning

この作品の写真素材はあんずいろapricot×color様よりお借りしています


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「恋するオトメ」

(5)あさひ

 南丘瑠貴はその言葉どおり、高村空の現代国語の授業をサボった。

 2年3組の担任で、生活指導もしている空は、6限目が終わってからの終礼にも瑠貴の姿が見えなかったことに、かなり神経を使って苛立っていたようだった。
 私は長年の付き合いで、空という人間が、めったなことでは焦らないヤツだと思っていただけに不思議だった。生徒一人が授業をサボったくらいで神経質になるんだなぁと意外に思っていたら、放課後に臨時の職員会議が開かれて、納得した。まさに議題は南丘瑠貴のことだったから。

 どうも、相当ヤバイらしい。

 私立星成学園というところは、幼稚舎から高等部までのエスカレーター式の学園だ。
 お金持ちの家の子供というだけでなく、W大学にもK大学にも多数進学している、成績優秀な生徒が多い。当然、素行不良の生徒は学園の名誉を傷つけるとばかりに、退学処分も辞さない方針だ。
 瑠貴は、会社員の父との二人暮しで、生活はお手伝いさんがすべて面倒を見ているという家庭環境だった。これまで何度も問題を起こしてきて、なおかつ、担任の指導に反抗し従わないという状態では、なんらかの処分が必要ではないかという内容の会議だった。
 空は、必死で瑠貴をかばっていた。自分の力不足であることを強調し、生徒本人への処罰はもう少し様子を見てほしいと訴えていた。



「すごいよね。空は」
 私は感心して、そうつぶやいた。
 私たちは居酒屋で座敷に座って向かい合っていた。
 まだあと数人先生方が来られるので、大きなテーブルに二人だけだった。
「僕がすごけりゃ、あんな会議なんかにはなってないよ」
 空はおしぼりを手にとって、疲れた顔をして言った。
「でも、必死で生徒をかばってた姿は、なんか、熱血先生って感じでかっこよかったよ」
「そうじゃないんだよ、そんなカッコイイことじゃない」
 どうも空は不機嫌そうだった。
「もし、僕のクラスから退学者を出したりしたら、来年以降、僕は担任を持たせてもらえない。へたをすると、解雇だって考えられるから。……それだけのことだよ」

 そうなんだろうか。
 自分の身がかわいいから、必死だったのかな。
 いや、私の知っている高村空というヤツは、そんなセコセコした男じゃなかった。無神経かと思うほどおおらかで、大胆で、バカなヤツだったのに。


 その夜、空と仲の良い同年代の先生方が集まり、居酒屋で決起集会のような、プラス私の歓迎会のようなバカ騒ぎをした。空を元気付け、かつ、教師の本分について語り合ったり、今年の生徒は大変なことになりそうだという予想というか、対策のような議論が交わされた。
 その間中、私は何度も瑠貴からのメールを受け取っていた。
 なんとなく返す言葉がなくて、メールをもらったまま、返信できないでいた。

 酔いを醒(さ)ますために、私と空ともう一人矢野という体育の先生が、喫茶店でお茶を飲んでいるところだった。まだ9時過ぎだったので、もう一軒行かないかという矢野先生と、飲みすぎて寝そうになっている空と、瑠貴のことが気になる私がいた。
 全面ガラス張りの喫茶店の内側には、光に反射した自分たちの姿ばかりが映されて、暗い外の景色はあまり見えない。
 私は矢野先生の熱い持論を聞いてはおらず、携帯のメールが4通を限りに終わってしまったことのほうに気持ちが集中してしまっていた。お手洗いへ行くふりをして、私は立ち上がると歩きながらもう一度メールを読んだ。
<また高村と一緒にいるのか?>
 そんな言葉が、最後のメールの中身だった。
 ため息をつき、携帯から目線を上げた。入り口のガラスの自動ドアが開いて、客が入ってくるところだった。
 区切られた外の景色が、その瞬間鮮明に私の視界に入ってきた。制服姿の女子が若い男性と二人で夜道を歩いている。あの制服は星成のものだ。
 私は何も考えずに、自動ドアへと突き進み、外へ出た。
 喫茶店を出ると、カップルの後ろ姿が目に入った。
 私服姿の若い男性と腕を組み、楽しそうに話をする女子生徒は、2年3組の子に間違いない。
 確か、今日の終礼時には早退していていなかった。赤茶けた髪のぱっちり睫毛(まつげ)、クラスでも目立つ今風のかわいい子だ。湊(みなと)あさひ。そうだ。湊さんだ。
 そう思ったとたん、私は思わず声をかけていた。
「湊さん!」
 声をかけられた女子は振り返った。そしてゆっくりと、となりの私服の男性も振り返った。
「なに? あー、新しい英語の先生じゃん。誰だっけ?」
 笑いながら私服の男性に問いかける。
 その男性は、……南丘瑠貴。瑠貴だった。
 瑠貴は黙ったまま、私に近づいてきた。
「る……、南丘くん……」
 私は立場を忘れそうになっていた。
「澤田先生。なにしてんの、こんなところで」
 瑠貴は明るい喫茶店の中を、ガラス越しにじろじろと見た。
 そして、空と矢野先生を見つけると、納得したように、私の顔を見つめた。
「なるほどね」
 あさひは、そんな不機嫌そうな瑠貴にじゃれついた。
「瑠貴ぃ」
 まるで、私に見せ付けるみたいだ。
 湊あさひは、今日昼に瑠貴と廊下ですれ違ったとき、その瑠貴に引き寄せられて肩を抱かれていた子だ。
 やっぱりあてつけなのか、瑠貴に聞きたくなる。

「南丘くん、お昼からずっとサボったでしょう、どうして?」
「えー、言ったじゃん。高村の授業には出たくないって。っていうか、高村自体許せねーからなぁ」
 なんでよ。空はただの同郷の友達だって言ってるじゃない。わかってよ。損するのは、瑠貴なんだからね?
「湊さん、制服のままだけど、今何時だと思ってるの?」
「うるさいな。セーシ(生活指導)でも無いくせに、ウザイんだよ。来たばっかりで教師面すんなっつーの」
 うるさいだって? あんたこそ、なんで瑠貴とそんなに引っ付いてんのよ。ふざけてんじゃないわよ。ソッコーその腕をどけなさい。絡めてる腕を!!
「二人とも、早く家に帰りなさい!」
 私が叫ぶと同時に、喫茶店の出入り口から、空と矢野先生が飛び出してきた。
 どうやら、外の様子に気づいたらしい。
「コラ、あさひ、なんだ制服でこんな時間まで歩き回って!!!」
 矢野先生があさひに噛み付いている。
 空は瑠貴に向かって、眠そうな目で言った。
「おまえさ、つまんないことで反抗すんなよ。ガキみたいだぞ」
「るせーよ。つまんないことじゃねーんだよ」
 瑠貴は空の肩を掴むと、空の左のアゴあたりを狙って、殴りつけた。
 ガツ。
 鈍い音がした。
 背の低い空は、軽く飛んで、しりもちをついた。
 アルコールが回っているらしく、すでに空はノビていた。
「瑠貴っ!」
 私は瑠貴を止めようとして、瑠貴と空の間に立った。
「軽く殴っただけじゃん。もうこれ以上やんねえって」
 すると、矢野先生が空を急いで抱き起こした。
「ど、どうした、高村くん。瑠貴にやられたのか?」
 空は歩道に寝転んだまま、ケラケラ笑っていた。
「いやいや、酔ってるんで転んだんです。アハハハ」
 そんな空の言葉に、舌打ちしながら、瑠貴は一人で歩き出した。
「待ちなさいよ、瑠貴!」
 私が瑠貴の腕をとろうと手を伸ばすと、逆に瑠貴に腕をとられ、ビルとビルの間の暗い隙間に引きずり込まれた。

「歩。」
 瑠貴は私を壁際に押し付け、その顔を近づけてきた。
「高村とこれ以上一緒にいるなよ」
「そんなこと言われても、無理よ。できない。友達だし、職場では先輩だし……」
「じゃあ、オレは学校をやめる。歩と高村が一緒にいるところなんて見たくね」
「そんな。空はそういうことにならないように、一生懸命あなたを庇ってるのに!」
「偽善だよ」
「そんなことないわ」
 少なくとも、私は親友がそんなヤツだとは思いたくなかった。
「それに、瑠貴だって、どうしていつもあさひと一緒にいるのよ!」
「あいつは絡んでくるけど、単にそれだけで。オレには歩しかいない!!」
「そんなの、どうやって信じろって……」

 瑠貴は急にその唇を私の唇に押し当ててきた。

 ちょっと待って! すぐそこに空と、矢野先生と、あさひがいるのにっ!
 ディープキスにもがきながら抵抗した。でも、どんどん気持ちは別の方向へと向かっていた。
 このまま、瑠貴に抱きしめられたい……。そんな感情がわき上がる。
 瑠貴はそんな私の気持ちを知ってか知らずか、余韻を残す短いキスを何度も繰り返しながら、
「オレたち、付き合ってるんだよな?」
と、尋ねた。
「うん……」
「じゃあ、信じるしかないな、お互いに」
 そうだけど……、そうだけど……。



 翌日、何事もなかったかのように、空は出勤した。
 何事もなかったかのように、瑠貴は銀色の髪で登校してきた。普段はキレイなブラウンのおとなしい髪なのに、どうして学校にはあんな風に反抗の象徴であるかのように、髪の色を変えて来るのだろうか。
 その理由はおいおい分かってきたのだが、そのときの私には、やけに子供っぽく見えた。

 矢野先生が、朝、「昨日は大丈夫でしたか?」と、深い事情も知らずに聞いてきた。
「平気ですよ」と軽く返しておいたが、そのとき矢野先生はこんなことを話していた。
「瑠貴とあさひは多分デキてるんですよね……。あ、失礼デキテルなんて言葉、教師が使っちゃだめですね。瑠貴はともかく、あさひの方は1年のころから瑠貴に付きまとってますから」

 瑠貴とあさひはデキてる???

 また、穏やかならない気持ちで3組の授業をしなければならない。
 あさひには、一番難しい問題をぶつけてやるぅ!

 私の機嫌の悪さを感じ取ったのだろう。
 瑠貴が授業中にメールをよこしてきた。
 教壇に立っているときにはさすがにメールを見ることはできない。一体何をメールしてきたんだろう。

 授業が終わって、ようやく携帯電話に触ることができた。
<昼休み、図書室に来て>
 なによ、昨日は屋上で今日は図書室なの?
 でも、少しドキドキしながら図書室に行くと、なんと、空が声をかけてきた。
「あれ、歩、用事あるの?」
 空は現国の教科書を持って、端のほうのテーブルについていた。
 空の隣には、あさひが座っていた。
 あさひの補習か??
 あさひは私のことなど、眼中にないという感じで、ぼうっとしていた。
 私はあいまいな笑顔で空をやり過ごすと、ゆっくりと図書室を歩いて回った。すると、急に後ろから体と口を押さえつけられ、声も出せないまま、倒れるように座り込んだ。
 瑠貴が、いたずらっぽく笑っていた。
 瑠貴の手を離そうともがくと、首筋にキスをされた。

 ちょっと待って、お願い!

 私の目線の先には、遠く、空とあさひの姿が見えるのだ。
「瑠貴っ!」
 小さくなんとか声を出すと、彼の手をほどいて、彼に向き直った。
 ハイヒールもカーペットに転がったまま、座り込んでいる状態だ。瑠貴も私を前にして、座っている。
「オレはね」
 瑠貴が言った。
「誰にバレたっていーんだよ。歩はどうなの?」
 い、良いわけないじゃない。
 っていうか、空とあさひがいるの知ってて、ここに呼び出したのね!
 瑠貴は私の髪を撫でながら、引き寄せ、口付ける。
 本当に、いつ、誰が来るかわからない、書棚の隅で、だ。



 瑠貴、やめて。
 私、どうしたらいいか、わからないくらい、……ドキドキしてる。

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