good morning

この作品の写真素材はあんずいろapricot×color様よりお借りしています


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「カケオチ’07」


 この県立中山通り高校に転入が決まった日、私はお腹が痛くて朝から寝込んでいた。
 いつもそう、緊張するとお腹を下す。体がヘロヘロになってしまって、立ち上がる気力もなくなる。
 母親は呆れ、私をおいて買い物に出かけてしまった。確かに、16歳にもなって学校へ行く前にお腹が痛くなるっていうのは、ちょっと恥ずかしい。
 でもこれは、ストレスによる過敏性大腸症候群という心身症の一種で……と母親に説明しても無駄だった。『つべこべ言ってないで、体調がよくなったら、学校へ行きなさいよ』と言われた。
 初めて登校するのに、いきなり遅刻? いやだよ、普通転入生は朝礼で紹介されるものじゃん。途中からクラスにいたら、ヘンだよ。『誰、あの子?』って目で見られるよ。

 でも、私の体調は回復してしまった。そしてあまりにもいい天気すぎて、家の中で寝ていることに、ひどく罪悪感を感じ始めた。
 制服を着てコートを着てマフラーをつけて、さらに帽子を被って外へ出た。
 寒い。前に住んでいたところとは大違い。まだ12月になったばかりだというのに大雪が積もっている。ああいやだ、鼻の頭も耳も頬も真っ赤になってるに違いない。

 とびきり寒風が吹き荒(すさ)ぶ川原の近くに来ると、ダウンジャケットを着てはいるものの多分下に着ているのは学生服で、高校生だろうと思われる男子がいた。時計を見た。午前11時半。試験は明日からのはずだし、これはサボリだなと、私はその男子を見ていた。
 彼は川原で立っていたのだが、くるりと向きを変え、私の方に土手を登ってきた。お、こっちにくるの? ちょっと待って、同じ高校じゃありませんように。
 彼は私の存在に気がつくと、なにやらニヤリとした。
「おい、まさか今から学校へ行く気じゃねーよな?」
「いまから学校へ行く気よ」
「バカでー」
 初対面でいきなりバカ呼ばわりとは、不埒(ふらち)なヤツ。
「どこの高校? まさか県立中山……」
「ケンチュー」
「ケンチュー?」
「知らねーの? お前地元民じゃねーな?」
「ちがうわよ。今日から転入するのよ、県立中山……」
「だから、ケンチューなの。ここらには高校はケンチューしかねーの」
 おかしそうに男子は笑った。私は笑われて、むきになって論点を戻した。
「学校サボってんでしょ? よくないわよ。元気なら行きなさいよ」
 こんなことを言えたのも、決して私がマジメだったからではない。相手の男子が、口の悪さとは裏腹に女の子のようなきれいな顔立ちで、優しい笑顔を持っていたから、つい調子にのってしまったのだ。
「ちなみに、オレはカケオチ中」
「か、かけおち?」
「そ、だから放っておいてくれ」
「あ、そうなの……」
 私は驚いたものの、辺りを見回してもこの男子の駆け落ちの相手は見つからない。
「お相手はどうしたの?」
「ああ、抜け出せなかったのかな」
 男子はポツリと言った。なんだか、深刻な話になってきた。私は彼を励ますべきだろうか。それとも止めるべきなんだろうか。
「相手の子も高校生なの?」
「へ? 当たり前じゃん」
「そこまで思いつめたってことは、きっと相当悩んだんだよね、でもね、駆け落ちなんてね……」
 男子は私の顔をまじまじと見つめた。
「オレ、2年5組の高柴光(たかしば・こう)、お前は?」
「私? 私は1年2組、幸原悠子(ゆきはら・ゆうこ)」
 突然、高柴光が大声で叫んだ。
「お前、オレとカケオチしねー?」
「はあ???」
 私も大声をあげた。
 すると、彼はいきなり私の手を握って、学校とは反対の方向へ引っ張っていくではないか。ちょっと待て、待つんだ。私はあんたの愛しい彼女じゃない。いくら寂しいからっていって、私を身代わりにしてどうすんのー!!
「腹減ったー。飯だ、飯。何食う?」
「え、えー、えー、じゃあオムライス」
「よし」

 私は引っ張られたまま、コンビニに連れて行かれた。
「え? コンビニなの?」
「あったりまえだろーが。奢ってもらえるだけありがたいと思え、このブス」
「な、なにー!」
 む、むかつく、なんだこいつはっ!!人を勝手にさらっておいて、ブス呼ばわりするとはっ!!
「うそうそ、かわいいよ」
 高柴光は私の顔も見ずに、ボソッと言った。
 え、なんだ、今のは。

 私たちは買い物を済ませ、コンビニの前の駐車場の隅っこで、座り込んだ。
「なー、オレにもそのオムライス一口くれな」
 暖めてもらったオムライスが私の手の中にあった。彼はそのコンビニの袋の中を覗いて、唇を舐めていた。
「あんたの分は買わなかったの?」
「あんたじゃないの、光ちゃんって呼べ」
 内心ウゲッとなったし、もちろん顔にも出た。
「オレは太りたくないからダイエット。野菜ジュースでガマンガマン」
「じゃあ、ダイエット道を突っ走ってて」
「お前、全部一人で食べたら太るぞ」
「お前じゃない、悠子ちゃんとお呼び」
 高柴光はウゲッという顔をした。

 食事が済むと、高柴光は私を引っ張って、本屋に連れて行った。
「ちょっと見たい本があるんだ。悠子ちゃんはCanCamでも読んで、エビちゃんモドキのコピーのフェイクでも目指してしっかり研究してなさい」
 なんだと、この。
 しばらくファッション雑誌を見ていた私は、周りが大人ばかりで、自分が学校をサボっていることを思い出して、落ち着きを無くした。
 広い店内の中を高柴光を探して、さまよった。なにしろ、この町にはまだ慣れていない。彼がいなければ、家に帰る方向もよくわからないのだ。
 見覚えのあるダウンジャケットを見つけ、背中に手を伸ばそうとしたとき、彼の読んでいる本のコーナーの一角がやたら男性で混み合っているのに気づいた。
 んん、男性雑誌コーナー?
 私はダウンジャケットをむんずと掴んだ。
 高柴光がバランスを崩して、私のほうに倒れてきた。壁と彼に挟まれて、痛いのなんのって。コノヤローと目を開けると、彼が見ていた本の、モノスゴイ写真が私の目の前にー……いや、あったのは、車の雑誌の表紙だった。
「く、車かぁ」
「あ、ゴメンゴメン。もしかしてエッチな本とか見たかったの?」
「なんでだよ!」
 彼はニヤニヤ笑うと、さっと雑誌を積まれた場所に戻し、また私の手を取って、違う場所に引っ張って行った。

 一体今度はどこへ連れて行かれるのか。
 それにしても、引っ張って行かれるっていうこの状況は、傍から見ると、単に手をつないでデートしているようには見えまいか。いや、まさか。私たちにはそういう甘いムードなんかまるで無いのだから。
 高柴光の手に、あまり違和感を覚えなくなり、なんだか前から手をつないでいる間柄のような気がしてきた。
「光……ちゃん?」
「ん? なんだ?」
 ねえ、これって何なの? これが駆け落ち? ごっこかな?
 でもなんとなく、嫌じゃなくなってる。ちょっと楽しんでる。
 だけど大事なことがあるよ。
「光ちゃんの駆け落ちの相手の人、どうしてるかな」
「ああ、あいつかあ」
 そんな質問、酷だったかな。もしかしたら彼女のこと、忘れようとして、はしゃいでたのかもしれないし。
「明日学校でスコボコにしてやる」
「え?」
「カケオチを破った罪は重いのだ」
「??」
「でも、ま、いいっかー。代わりに悠子ちゃんがカケオチしてくれたしな」
 わけがわからないまま、私はカラオケへ連れて行かれ、そのまま3時間も監禁状態。つまり、歌い通しだった。アルコールで出来上がっていた私は、完全にノビていた。

 気がついたとき、私はカラオケの部屋に横になっていた。誰もいない。置いていかれたのかな。どうしよう……。そう思って体を起こすと、私の隣の席でスースー寝息を立てて、高柴光が寝ているのを発見した。
 呆れて物が言えない。どうしてこんなかわいい子が寝ているというのに、襲うこともせず、あいや、襲われたかったわけではないが、まるで同性のツレのように遠慮なく眠りこけているのだこの男は。
 しかし、ふと私の体にダウンジャケットがかけられていたことに、気づいた。
 ちょっとは気を使ってくれてるんじゃん。
 こんなにかわいい寝顔で、気持ちよさそうに寝ていると、つい、意地悪して起こしたくなる。
 頭をつっついてみた。反応jは無かった。
 ほっぺたをつっついてみた。反応は無かった。
 鼻をつまんでみた。ちょっと顔をしかめた。
 なんだろう、こいつ、ほんとうに何しても起きないな。

 私は急に胸がドキドキし始めた。
 彼の頭に覆いかぶさるように、顔を近づけた。
「光ちゃん」
 彼は全く微動だにしない。
「起きてよ」
 ポリポリと手で鼻の頭を掻いただけで、彼はまた静かに寝息をたてはじめた。
 私は少し開いた高柴光の口元を見つめた。ごくっと喉を鳴らす。軽い気持ち。成り行きなんだ。なんとなくそういう気持ちになることってあるじゃん。私はまだ何もしていないのに言い訳ばかり頭の中で繰り返していた。
 彼の上唇にそっと口付けた。
 ほんとうにかすかに触れたという程度で、私は離れた。
 キスしちゃった!
 私は自分の行動の意外さに自分でも驚いていた。どうする、ファーストキスだぞ。
 すると、天の神様が見ていたのだろうか、声がした。
「もっと」
 え?
 天の神様? 違う違う。目の前の、目を閉じたままの男が、つぶやいている。
 寝言……?
 気がつくと、高柴光の手が私の後頭部を軽く押さえ、口と口が強く押し付けられた。
 お、おい、おいおいおい!

 急にフロントからの電話がけたたましい音で鳴った。
 二人とも飛び起きた。高柴光が電話に出て、応対していた。
 とにかく、心臓が破れるかと思った。

 高柴光が、また私を引っ張って、カラオケを後にする。
 さっきから、お互い顔を見てない。そりゃそうだ、恥ずかしくって顔を見て話なんかできない。言葉だって出てこない。
「怒ってんの?」
 不意に高柴光が聞いてきた。私はまだ顔を背けたままで、「べつに」と答えた。
「カケオチ、楽しかった?」
 楽しかったって聞かれても。だいたい、駆け落ちって本気でそんなこと……これは単なるエスケープじゃないのさ。これから、どこへ行くのよ。
 私は不安な目で高柴光を見上げた。
「また、カケオチしような。誘いに行くから」
「え?」
 ちょっと待って。ここでサヨナラ?
 気がつくと、二人が出会った川原にやって来ていた。もう夕暮れで、下校する生徒たちもたくさんいた。その中に高柴光のそばに走ってくる男子生徒があった。
「光、ゴメンな、カケオチできなくて」
 なに? 駆け落ちの相手はこの男子? え、もしや、光ちゃん、ボーイズだったわけ?
 真っ青になる私に、高柴光はなんだか機嫌よく答えた。
「いーよいーよ。オレ、今日は幸せだから」
「え、どうしたんだよ。っていうか、この子誰?」
 高柴光はいっそうニヤニヤして、何も言わなかった。


 翌日、私はケンチューに通いはじめ、ケンチューだけに存在する「カケオチ」なる語の意味を知る。

「カケオチしねー?」
 3学期に入っても、相変わらず高柴光が私のクラスにやってきて、私を呼び出してはささやく。
「それはね、サボるっていうのよ、フツーは」
「いや、二人の人間が示し合わせて学校を抜け出すっていう部分が、単なるサボリとは違うんだ」
 意味の分からない理屈をならべて、彼は私のおでこをつつく。
「悠子ちゃんがいやだったら、ほかのやつとカケオチするぞー」
「えーっ!」
 そんなの、ずるい!!
 そんなの、ひどい!!
 第一、いったい、いつまでカケオチ相手なのよ!!
 進歩したい〜!
 高柴光はニヤリと笑って言った。
「カケオチが終わったら、『ケッコン』しようか」

 ええっ? ケッコンって、何よぉ!!!


<END> 2006.12

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