good morning

この作品の写真素材はあんずいろapricot×color様よりお借りしています


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「僕の声」


 セミの声が少しおとなしくなったよな。
 そんな風に話しかけたとき、佐月(さつき)は僕の声に気付かなかったらしく、え?という顔をして僕を見た。
「いや、べつに」
 僕はタバコを消して、枕元にあるリモコンでテレビのスイッチを切った。
「えー、見てるのに」
「くだらないバラエティばっかり見てるとバカになるぞ」
「あー、どうせ私は温人(はると)と違ってバカですから」

 僕はただ、佐月をもう一度抱きたくて、こちらを向かせようと必死だった。
 でも佐月は、あっさりと立ち上がり、ベッドから離れて冷蔵庫へ行く。500mlのビールの缶を一つ持って、にこにこしている。
 すごく冷えたビールを美味そうに一口飲むと、僕に渡す。
「いらない」
「強くないもんね」
「ああ」
 そう答えたのに、佐月は笑ったまま、ビールを僕に押し付けてきた。仕方なく僕は口をつけた。
「今日は2回目は無しだからね」
 彼女はそっけなく言った。

 見抜かれていたらしい。
 
 そんなとき、ああ、もう半年たったんだなあとしみじみ思う。
 たった半年なのに、人間ってこんなに近くなれるんだろうか。どこか自分の一部とシンクロしているような気さえする。
 それなのに、れっきとした他人だ。君は僕の一部じゃない。
 
 
 今朝は日曜なのにやけに早起きだなと思っていたら、佐月が突然告白した。
「今日、友達の結婚式なの」
「え?」
 聞いてないんだけど。ま、いっか。
「遅くなると思う。勝手に食べてて」
「ほんと、ことごとく勝手だな、おまえは」
「なんで? 結婚式に出ちゃいけないって言うワケ?」
「バカ、せっかくの日曜に、予定とか考えてるこっちのことは気にならないのかよ」
 
 いいんだけどさ。別に。
 綺麗なクリーム色のドレス、別人のように見える化粧も、ちょっと新鮮だ。
 香水だって、めったにつけないくせに、今日はいい香りがする。
 その香水好きなんだ。
 
「すっげーにおいプンプンさせて、なに、それ、虫除け?」
「腹たつわねー」
 
 怒った顔がかわいいんだ。怒りながら、笑う。そんな顔が。
 
 
 その夜、いや、次の朝になっても、佐月は僕の部屋に帰ってこなかった。
 携帯を鳴らしてみたけど出なくて、僕は不安に駆られた。事故に遭ったんじゃないだろうか。犯罪に巻き込まれたんじゃ…。
 結局、月曜の朝、僕は一睡も出来ずに、赤い目をこすりながら、会社へ出た。
何事もないことを祈って。
 ただ、実家へ帰っていたんだと、明るい顔で謝る佐月を想像して。
 
 昨日書き上げた仕様書に不備があるとかで、僕は朝から得意先へ向かった。
 車を運転していると渋滞で眠ってしまいそうだ。
 でも、僕はそんな眠気を吹っ飛ばしてしまう出来事に遭遇した。
 
 得意先の担当者が代わっていた。まだ若い僕とさほど年の変わらない男。
 この間までの50代の、プログラムってのはなんだ?みたいなオジサンとは違って話が早そうだ。
 応接室で、二人きりになり、早速名刺の交換を始めたときだった。
 鼻先に微かに香るにおいに、僕の肺は大きく膨らんだまま、二酸化炭素を吐き出せなくなってしまった。
 思わずむせる。
 相手は不思議そうな顔をして僕を見つめた。僕は咳払いをして、ヘタなりにごまかした。
 あの香りは、佐月と同じ香水の…。
 
 まさか、そんなことがあるはずはない。きっとこの男の彼女なり奥さんなりが、その香水を使っていたというだけの話だ。
 ありふれた香水だもの。
 
 
 僕は一日の仕事を終えて、もう、どうしんどいのか、分からないくらい疲れて、夜遅く部屋に帰ってきた。
相変わらず、佐月の携帯は通じない。電源を切られているらしい。
 僕はテーブルの上の置手紙を見て、愕然とした。
「ちょっと実家に帰ってます。ごめんね。携帯は切ってるよ。家の人たちには、温人のこと言ってないから」
 それならそうと、メールくらい入れろよ。
 それに、なんで、置手紙なんだよ。
 これじゃあ、まるで…。
 
 その日はまだ良かった。
 疲労困憊で、眠らずにはいられなかったから。
 
 
 翌日、そして、その次の夜。僕はだんだんイライラしてきた。
 何の連絡もしてこないつもりかよ。
 いつまで帰って来ないんだよ。
 そういうときに限ってクライアントが資料を渡してくれなくて、仕事を進めることが出来なかった。僕は早々に帰途に着いた。
 でも、待っているのは静か過ぎる部屋だった。
 しょうがない、こういうときは気を紛らわせるに限る。ビデオでも借りてこよう。こういう状況のときしか見れないビデオだってあるんだし。
 僕は駅前の大型レンタルビデオショップにでかけた。
 ジーパンにボロボロのTシャツ。ビーサンなんか履いてるが、誰に会うわけでもないし。
 店内は混んでいた。どうも1週間レンタル半額デーとかなんとかで、大盛況のようだ。
 困った。行きたいコーナーへ行くには、少し女性客が多すぎる。まあ、気にすることは無いんだが。
 僕はとりあえず、SF映画のコーナーで微妙に聞いたことの無い作品を手にとって、眺めていた。
 そんなときだった。
 
 聞きなれた笑い声が聞こえた。
 僕は振り返った。佐月だ。佐月に違いない。
 辺りを見回して、僕はビデオを手に持ったまま歩き出した。突然、僕の目の前に、佐月が姿を現した。
「佐月…」
 小さい声を出した僕は、それ以上の言葉を継げなかった。
 佐月も僕を見て、まるで先生に出くわした不良生徒みたいな顔で、視線をそらす。
 佐月の隣にはまだ何も気付かずに、ビデオを選んでいる男の姿があった。
 あの、得意先の新担当者。
 佐月はその男の腕に、手を絡めていた。
 男と、目が合った。
 男は何か言いたげに、少し笑顔になりかけた。そう、僕と佐月の関係なんて知るわけが無いんだから。
 僕は露骨に二人を無視してレジへ向かった。
 借りたくもないビデオを一本、一週間レンタルして、僕はその店をさっさと後にした。
 
 全く、わけの分からない映画だった。
 いや、見ていなかったせいかもしれない。目に映していただけで。
 頭の中は佐月のことでいっぱいだった。
 テレビの前、床に大きなクッションを枕代わりに置いて、ごろんと横になっている僕は、隣にいるはずの佐月のことを考えずにはいられなかったのだ。
 くだらないB級映画が大好きな佐月。くすくす笑って僕に寄り添う。
 スナック菓子の置き場所で、たわいない不満を口にする佐月。結局僕が折れる。
 妙にしっかりした髪質で、その短い前髪を、ハリネズミだとからかったら、
「そうなのよ、体毛だって剃った後チクチクしちゃってさー。無駄毛処理が憂鬱〜。」
なんてことまで平気で言う佐月。
 
 今はこのクッションの隣に君はいない。
 あの男と寝そべって、僕らも初めはそうだったように、甘ったるい恋愛映画でも見ているんだろう。
 僕はおもむろに携帯を取り出した。
 佐月にメールしてみる。
<なにしてんの?>
 なんて、めちゃくちゃ嫌味だな。
 そんなメールに返事なんか来ない。電源だって入れてるかどうかわからない。
<どこにいるんだよ。>
 へっ、大きなお世話だよな。
 発信はしたが、返事なんか期待していないその小さな端末を、床の上に放り出した。
 僕は冷蔵庫からビールを取り出し、口にした。
 500mlを2缶飲んだ。
 強くないのは承知の上で、意識が遠のくのを楽しんだ。
 いつもは二人で分けるはずの、500mlの缶。
 
 僕は夢の中で、子供のように泣いていた。
 
 
 体が揺れる感触。
 地震? そんな気がしてハッと目が覚めた。
 目の前に佐月の顔がある。夢か?
 いや、いつもと違ってきちんとした服を着て、化粧もしていて、まるで見知らぬ女みたいだ。
「いつまでこんなところで寝てるの、お昼よ」
 床の上に寝ていた。体が痛い。
「何しに来たんだよ」
「心配になったからよ」
 君は言った。
 メールに返信しても返してくれない。電話をしても出てくれない、と。
 ん? 寝てる間のことか。携帯が鳴ってたなんて知らなかった。
 でも、連絡くれなかったのは、お互い様だよ。覚えてないの?
「別に気にすることじゃないだろ」
「気にするわよ」
 
 僕は佐月の顔をぼおーっとした目で見ていた。
 何度キスを繰り返したろう。
 何度この手に抱きしめただろう。
 君のどんな表情の翳りだって、僕は全てわかっていた。何を見つめているのか、何を大切にしているのか、僕はわかっていたんだ。自信があったんだ。
 
「勝手にいなくなっておいて、そんなことがよく言えたな」
「それは悪かったけど。事実を書くわけにはいかないじゃない」
 
 明日になれば何か変わるのか?
 いや、明日だって、今日と変わりない日がやってくるんだ。
 でも、僕は今日よりもきっと、明日のほうが君を好きでいられる。
 自信を持って言えるよ。
 
「正直な方がおまえらしいよ。男に引っ掛けられましたってね」
「…そうね、そうだったかも」
 
 僕は君のためになら、なんだって投げ出す。
 嘘じゃない。
 
「彼、…あの人ね…、温人の得意先の人なんだね」
「ああ。おかげでむなぐら掴んで殴ってやることもできねーよ」
 
 君のためなら。
 そうすることが君のためになるのなら、
 僕は、本当は仕事も名誉もいらない。
 
 君は僕にとってかけがえの無い存在。
 
「さっさと行けよ。どうせ下で男が待ってるんだろ」
「そんなこと…よく言えるわね」
「そんな男だから、愛想をつかしたんだろうが」
 
 君を失いたくない。
 君を失くしたら、僕は壊れる。
 
「…ごめんね」
「謝ったって、許してやらねーよ」
「嫌いになって別れたんじゃないから。…本当にごめんなさい」
「だから、勝手にしろよ。もう顔も見たくねえよ」
 
 好きなんだ…。
 
 
 一人になった部屋は、なぜか薄暗い感じがしていた。
 僕の中の子供が、大声をたてて泣いていたのを、僕は黙って、聞いていた。





<END> 2007.7

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