good morning




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「sole star」

(2)

 最初の二日で、悠子は昔の自分の暮らしを、だんだんと思い出していた。
 やや重みを感じる携帯が機械音を鳴らして、着信を告げる。
 悠子は何人もの大学の友達から遊びの誘いを受けた。あいまいに返事をしたが、記憶を手繰れば、たしか、二十歳のころ、友達の誘いを断り、恋人と一緒にTDLに行ったはずだ。
 恋人。結果的に酷い別れ方をした、あの人とは、もう顔をあわせたくない。たとえこの頃はラブラブだったとしても、後に二股をかける人だと思うと、もう会う気にもならない。懐かしさもない。

 そして、次の二日で、悠子はなんとかして元に戻る方法はないのか、考えた。
 悠子は眠りにつく度に、朝目覚めるとき、連がそばにいますようにと祈った。しかし、それはいつも叶わなかった。私は、連という人と出会い、結婚して、和真という元気な子を産んだ。それなのに、なぜ私はここにいるんだろう。帰りたい。みんなのいる2006年に。

 次の二日、悠子はぼんやりと考えていた。だんだん分からなくなってきていたのだ。いま、こうして生きている91年は確かに現実で、夢だとは思えない。私はまだ二十歳なんだわ。そうだよ、自分の中にある未来の記憶は、きっとリアルな夢でしかない。これが現実なんだよね。


 そして、夜、恋人からの電話に戸惑っているとき、悠子はテレビのニュースで子供の相撲が取り上げられているのを見た。
 悠子は電話を切り、居間のテレビを見つめた。大きな体格の子供がまわしを締めて、赤い頬をして懸命に相撲を取っている。チラと頭に、連の小学生だったころの写真が思い出された。

 連。もしかしたら、逢えるかも。

 悠子はバタバタと自分の部屋に戻り、少し大きめのカバンに荷物を詰め込んだ。現金と通帳はもちろん、作ったばかりのクレジットカードも忘れずに財布に忍ばせた。携帯は置いていった。
 翌朝、悠子は家族の誰よりも先に起きて、家を出た。コートとマフラーで包んだ体は、焦りと期待で、熱かった。
 四国、高松。連の実家なら、場所はわかる。多分、景色はずいぶん違うだろうけれど、住所の示す場所に行けば、連に逢えるはずだ。今ならまだ実家に住んでいる。

 銀行から引き出せるだけのお金を引き出して、カードは都内でキャッシングできる機械をなんとか見つけて、限度額いっぱいを借りた。
 後のことも先のことも考えていなかった。ただ、連に逢いたい。それだけの想いで、悠子は高松に向かった。


 高松についたとき、もう辺りは暗かった。生まれ育った街でもないのに、なんて落ち着くんだろう。駅前の小さなショッピングセンターの安っぽい電飾のクリスマスツリーにも、涙がこみ上げるほどのうれしさを感じた。
 この感情は錯覚なのかな。悠子は両手に持った重い荷物のことも忘れ、しばらくそのツリーを眺めていた。
 確か、このショッピングセンターのそばにあるマンションが連の実家だったのだが、そのマンションはどこを探しても無かった。
 確かに、連の実家のマンションは新しかった。この時代にはまだあのマンションは建っておらず、連たちは違う家に住んでいたのかもしれない。そうだとすれば、どうやって彼を探したらいい?

 すると、すぐ近くで自転車のブレーキの音がした。慌てて振り向くと、学生がカゴに乗せた学生カバンを落としそうになりながら、急ブレーキをかけて止まった。
 道のど真ん中に立っていた悠子が悪いのだ。暗い中、角を曲がってきた自転車が転倒しなかっただけでもましだった。それなのに、学生はペコリと頭を下げた。
「すみません」
「いえ、こちらこそ。あの……」
 悠子には、ちょうどいいタイミングで学生に出会えたと思った。

 この時代の連はまだ15歳。中学三年生だ。たとえ、15歳でもいい。連に逢いたい。悠子は自分の未来が本物であってほしいという願いを込めて高松に来たのだ。
「人を探してるんだけど、北川連くんっていう子知らないかな」
「え?」
 自転車に乗っていた学生は顔を上げた。
 その子は目を丸くして悠子を見つめた。そして、自転車をゆっくりと降りて、「おれだけど」と言った。
「連?」
 悠子はその場に荷物を放り出して、自転車に歩み寄った。
「誰?」
 15歳の北川連は、悠子のことを見ても戸惑うばかりだった。
 なんて説明したらいいんだろう。
 悠子は内心がっかりしていた。もしかしたら、連も私と同じように、何かの手違いで、2006年の記憶を持ったまま、この時代へと来ているんじゃないかという期待を持っていたからだ。

「北川悠子です」
 悠子は連の瞳を見つめ続けた。彼は、悠子が知っている連よりも、ふたまわりも小さな細い体をしている。身長も悠子とあまり変わらない。
「おれの親戚?」
 連は不思議そうに呟いた。幼い顔立ちだが、たしかに、夫の面影があるその少年に、悠子は思わず抱きついた。
「連、ユウだよ。8年後に出会って結婚するユウだよ」


 連は身動きしなかった。見知らぬ女性に抱きつかれて困ったはずだった。それも未来の結婚相手だと名乗るなんて、信じられる話ではない。
「この辺の人じゃないな」
 悠子の大きな荷物を見て、連は呟いていた。
「目を見せて」
 まだ中学生の連が、はっきりとした声で言った。悠子はそっと体を離して、まっすぐに立った。悠子の前に連の目があり、その目は静かに悠子の全てを見つめていた。
「ユウ?」
 連はおかしそうに、そう言った。
 悠子は何度もうなずいた。
「どういうことなのか、ちゃんと説明できる?」
 そういう風に問う連の声は、まるで夫が悠子を落ち着かせるときに言う様な調子だった。



 連は自分の家に悠子を招きいれた。思ったとおり、マンションではなく、駅から少し離れた小さな一軒家だった。
「今夜は家族はじいちゃんのとこ行ってて、誰もいないんだ」
 確かに家には明りが灯っておらず、人の気配がなかった。玄関脇の、車の停まっていない車庫に自転車を止めると、連は鍵を出してドアを開けた。
「どうして連はおじいちゃんの所へ行かなかったの?」
 悠子は不思議そうに尋ねた。
「さぁ、なんでかな。なんとなく1人になりたかったからかな」
 連は気にする様子も無く答えた。

 連の部屋で悠子は、彼が学生カバンを勉強机にドンと乗せる様子を見ていた。どこからどうみても中学生。でも、この子は悠子の夫だ。
 彼は、向き合って座ると、悠子の話を黙って聞いてくれた。電気もつけず、薄暗い部屋では表情までははっきりと読み取れない。しかし、口を挟むことも無く、彼が問うこともなかった。
「わかった」
 悠子が話しを終えて、連の様子を伺っていると、ようやく彼は言った。
「ユウをなんとかして、2006年に帰そう」
「え?」
 悠子は驚いて聞き返した。
「だって、どうして私がここに来たのかもわからないのに、どうやって帰るっていうの? 35歳の私の体がこの世に残っているかどうかもわからないんだよ?」
 悠子は半ば諦めていた。きっと私は未来でなんらかの原因で死んだのだ。だから、こうして魂だけが時間を超えて連に逢いに来たのだ。
 そして、このままここにいれば、私は生きていられる。
 まったく同じ人生でかまわない。もう一度連と結婚して、幸せな生活を送ることができる。
「だめだよ、ユウ」
 連は諭すように言った。
「ユウがここにやってきたのにはきっと何かわけがあるんだ。だけど、ユウがここのヒトになるのは運命に逆らってる。ユウはここで何かを得て、未来へ戻らなくちゃいけない。たとえ、どんなことが待っていようとも、受け入れなくちゃいけないんだ」
 悠子は身震いをした。
 怖いよ。嫌だよ。もしかしたら、私だけが生きて、連や和真がいなくなってるかもしれない。いや、そんなことは考えたくないけれど、未来は、……そう今となっては私が生きていた時代は遠い未来……、今の延長ではない。もう別の世界なんだよ。
 私は、ここで、連が私を愛してくれるようになるまで、待つから。
 待つから。

 連は細い体でそっと悠子を抱きしめた。
「嫌?」
「ううん、嫌じゃない」
「戻ること、こわがらなくて、いいんだよ」
「怖いよ、連」
「おれが、きっと未来で待ってるから」


 2人は暗い部屋の中で、勇気付けるように抱きしめあった。
「ユウ」
「なに?」
 悠子の耳元で、連の声がした。懐かしい響きが痛々しかった。
「初めて抱きしめたような気がしないよ」
「うん」
 悠子は笑みがこぼれた。こんなにか細い体で、こんなに幼い顔立ちで、でもこの人は、まぎれも無く連だった。優しさと強さのある人。静かな口調で、いつも悠子を導いてくれる。
「連」
「ん?」
「抱いて」
 悠子の言葉に、連は一瞬身を強張らせた。
「でも……」
「いいの。連、抱かれたいよ」

 ゆっくりと過ぎる時間の中、悠子は連への恋しさを抱え、多くの思い出の中をさまよっていた。





 3 に続く

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