この作品の写真素材はあんずいろapricot×color様よりお借りしています
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| 「ばいばい」 (1) 胸ん中に石ころがある。 それは、硬くてゴリゴリした、大きなしこりだった。 こんどこそ、 こんどこそ、 きっと、こんどこそ、言う。 「ばいばい。あんたなんか、いらないよ」 <ルナ、元気?> 柯津生(かづき)からのメールに、なんて答えようか考える。メールが何度も行き来するのは嫌だ。だから、もう返信できないような、そんな一言を送りつけてやる。 <ずっと逢ってないね> 柯津生からまたメールが来た。早く返事出さないと。それとも、放置プレイにしようか。 <キライ><ウザイ><サヨーナラー> 半角カタカナで、入力しては、ちょっとやりすぎかなと思い直して消している。 そして結局は、お決まりの一言を送った。 <ばいばい> 曇り空を見上げて、私は寒くて肩を震わせた。 雪が降りそうだ。 確か去年のこんな寒いバレンタインデーに、私は柯津生にチョコを贈り、告白した。 今思えば、バレンタインに浮かれて告白したなんて、自分でもよくやったなぁと思う。でもそのときは、とにかくあまり話をしたことのない柯津生に接近し、あわよくば彼女になんて思っていた自分がいた。 私たちはデザイン事務所に勤めていた。広告やチラシ、看板から、店舗のデザインまで結構手広くやっていた。大きな事務所ではないけれど、一応『デザイン講座』などの講師の仕事を請け負ってくるための営業のような仕事をする人が二人いた。一人はベテランで、もう一人はデザイナー上がりの三年目、それが柯津生だった。 私はといえば、デザイン学校も出ず、普通の大学から求人募集を見て、事務兼デザイン助手みたいな形で採用された。 お金のための就職だったから、いつも就職情報誌を見ていて、待遇のいい会社を探していた。早く転職したかった。それくらい、仕事はつまらなかった。 唯一、朝と夕方にだけ事務所に顔を出す、柯津生に逢うのだけが楽しみだった。 彼は、飲み会なんかで見る限り、歌がうまくて、よく笑い、でもどこか寂しげな雰囲気が漂っていた。なぜだろう、最初にそう疑問に思ったのが、彼に関心を持ったきっかけだった。 営業のくせに、ツルツルの坊主頭でパーカーとかジャージとかド派手なシャツを着て、タバコは嫌い、酒も飲まない。でも、仕事は多分ちゃんとできているから、クビにならずに三年間勤めていられるんだろう。 いつからだろう。柯津生をもっとよく知りたいと思うようになったのは。 あの寂しそうな表情の意味を知りたくて、いつも見ていたら、たびたび、彼と目が合うようになってしまった。そのときに感じる気まずさ、恥ずかしさは、隠しようが無い。 そして、私は柯津生の顔が好きで、大げさなことをしない静かな態度も好きで、女性に対して気を使うのが上手だということに、ちょっと嫉妬していた。 バレンタインのチョコの結果は 「うん……」 という、何か余韻の残る、意味深な言葉だった。 喜べずに、その場から逃げ出したい気持ちでいっぱいの私に、柯津生は独特の姿勢の悪さを正すようにしてから、「ありがとう」と言った。 あやふやなうちに私たちは付き合うことになっていた。 でも。 柯津生がデートををすっぽかしたのは、何度あったろう。 お花見も、連休のお泊り旅行も、夏の海も、野球観戦も、そして、誕生日、クリスマス! 誰とどこで、何をしてた? 私の中で、メールすらよこさないで、簡単に約束を破る彼に対して、不信感が募っていったとしてもしょうがないことだ。 <今日、逢えない?> そんなメールがまた届く。 ねぇ、どうして、初詣に行こうって言ったのは中止になったの? 1月末の柯津生の誕生日、一時間でも逢えなかったのは、どうして? 二月に入って一度も連絡してこないで、急に逢いたいって、そんなのアリ? 私のこと、なんだと思ってるの? <返事くれないんだね> 大嫌いだよ。言い訳もしないなんて。 問い詰めても、謝ってごまかすだけ。一言でもいいから、理由を聞かせてほしかったよ。 陰で、女性に人気があるのは知ってるんだからね。ちょっと店に入っただけで、女性の店員が目の色を変えて柯津生を見ているのも、ちゃんと気付いてるんだ。 <逢いに行くよ?> 大大大大大嫌い。もう振り回されたくないよ。 柯津生のことを考えて、ボーっとしてる自分とはサヨナラするんだ。寂しくてしょうがない人生ともサヨナラするんだ。 もう逢わない。二度と逢わない。仕事だって辞めてやるんだ。 <家の前で待ってて> もう待ってなんかいない。私は違う場所で新しい出会いを見つける。 寂しくさせない人と、一緒にいられる人と、ガマンしなくていい人と……。 空を見上げていた。 家の前で、曇り空から雪が降ってくるのを、じっとみていた。 柯津生の寂しい表情の原因は、やっぱりわからなかった。一緒にいると、あまり何も言わない人だった。最低限の言葉も、どうしても言って欲しい言葉も、口にしない人だった。 彼の車が、家の前に立つ私の傍に停まった。 運転席の柯津生は言う、「乗って」 でも、私は首を横に振った。 いまこそ、そうよ、いまこそ言わなくちゃ。 (ばいばい。あんたなんか、いらないよ) 私は唇をかみ締めてから、息を吸い込む。けれど、また震えながら吐き出す。 声にならない。 柯津生は車から降りてきた。すぐに私の目の前に立ち、その独特のスタイルで、そしていつもの寂しそうな表情をして、私を見ていた。 空白の数十秒。何も言わず、ただ私を見ているだけだった。私が何か言わなければ、柯津生からは何も言い出しそうに無かった。 でも、私は何も言わなかった。 もう、何も言わない。私から、そういつも私からだから。 今日が、付き合って一年目の記念日だっていうこと、バレンタインデーだっていうこと、きっと柯津生は気付いてない。 「ごめんね」 柯津生はそう言った。 何がごめんなの? 何に対して謝ってるの? ちゃんと言ってよ。 私が、私ばかりが、熱くなって、怒ったり、泣いたり、わめいたり。もうそんなの嫌なんだよ。 「ばいばい」 私はそう言った。思わず口をついて出た言葉だった。早く、続きを言わなくちゃ。 すると、柯津生が静かな声で聞き返した。 「バイバイ? メールでも来たけど、冗談だよな?」 真剣な目で言われると、後には引けない。これは駆け引きじゃないけど、一旦言葉を発したら、最後まで言わなくちゃ。言葉は発したとたん、運命を変える力を持つ。 「冗談なんかじゃない。もうイヤなの」 「何がイヤ?」 「柯津生がイヤなのよ。いい加減で、うそつきで、無神経で、私の気持ちなんかっ……」 「わかんなかった? ……寂しかった? ……ごめん」 柯津生はかすかにうなだれ、視線を落とした。 私は彼をその場に残し、家に入った。家の中で、柯津生の車が行ってしまうのを、息を殺して待った。 しばらくして、車は出て行った。 私は、翌日事務所に辞表を出し、次の仕事が決まっているからと、無理矢理2月中に退職した。その間、柯津生とは、ほとんど顔を合わさなかった。彼が来る時間には、私は必ず席をはずした。 4年後、私は求人広告誌の編集の仕事をしていた。 仕事は面白かったが、忙しいせいで、私生活はあまり充実しているとは言えなかった。彼氏ができても、一、二ヶ月で別れてしまう。恋する相手がいないのは寂しいが、今のところ、仕事以上に夢中になれる人がいないというのが現実。 2月の冷たい空気が胸の中にまで吹き抜けてゆく気がする。 私はよく行くショップが移転したと聞いて、早速その店を探して開店の列に並んだ。格段に広く、大きくなった店内。前とは比べ物にならないセンスのよさだ。この店が入っているテナントのビル自体が、ガラスと鉄筋のようなものとコンクリをうまく融合させて、ハイセンスな仕上がりになっていて、びっくりする。 駅前なのだが、きっとこれからの目印となるビルになるだろう。 一通り新装開店のお店を見終え、粗品なんかももらってから、店の前に立って、吹き抜けの空間からふと下の階を見下ろしていた。 真下は一階だ。出入り口はビル全体の開店のために人が溢れかえっている。 スーツ姿の、多分ビルの関係者らしい中年のおじさんたちが数名、若い男性を取り囲んでいた。 なんだろう、イタズラでもしようとして捕まったのかな。しかし、そんな雰囲気ではなく、握手したりして和やかだ。真っ赤なフードスウェットにダメージ加工でボロボロのデニムを履いている。ピンクのカットソーに黒のマフラー。短い黒髪と、この服装を見ている限り、高校生か?と思われる。 私は興味を抑えられなくて、一階へと降りていった。 問題の高校生を見ようと、人ごみを掻き分けて、フロアの奥のおじさんたちのかたまりをめがけていくと、ぱっと視界が開けた。そこには、赤のフード付きスウェット、デニム、黒いマフラー、そして、メガネをかけて、なんだか別人のようにすました顔をして笑っている、柯津生がいた。 「柯津生……」 私のほんのため息のような小さな声が聞こえたのだろうか。柯津生は、私の方を見た。 2 に続く |
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