good morning

この作品の写真素材はあんずいろapricot×color様よりお借りしています


<<home  <<Text <<1

「ばいばい」

(2)


 4年前と変わらず、派手なスタイルとは正反対の静かな雰囲気。髪を伸ばしていると、本当に高校生のように若々しい。
 ビルの3階にある喫茶店で話をした。
 コーヒーを口にしながら、柯津生はずっとうつむいていた。
「どうしたの?」
「悪いことしたなと思って」
「悪いこと?」
 柯津生は、4年前の別れにまだ罪悪感を抱いていた。

「本当はね」
 彼の口からは珍しく、言葉が連なって溢れた。
「最初、付き合うこともどうしようか迷ってた。別にルナを好きじゃなかったからとかじゃなく、オレ、仕事しながら別の道を進もうと思い始めたところだったから」
 髪の色と同じ、漆黒の瞳が揺れていた。多分、いまの私を見ているのではなく、あの頃の私たちを思い出しているんだろう。
「店の模様替え程度のデザインをするのはもうイヤで、営業してても虚しくて、オレは一体何をしたいんだって考えたとき、建物から全部自分で丸ごとデザインしたいんだって気付いた」

 柯津生が、あの頃、いつも寂しそうな顔をしていると思っていたのは、こういうことだったのだ。仕事に対する虚無感に心を支配されていたのだろう。そして、新しい道を進むことへの焦りとか不安なんかも入り混じっていたに違いない。

「じゃあ、建築士になりたかったの?」
「うん。資格取りたくて、付き合い始めた少し前から夜間の専門学校の試験を受けたりし始めてて、学校入ってからは夜中も勉強して、とにかく早く一人前になって仕事を始めたかった」
 柯津生が夜間学校に通っていたなんて、全く知らなかった。私と付き合っているときもずっと学校へ行ってたなんて、なぜ一言も教えてくれなかったの?
「寂しくさせて、ごめん」
「いつも、約束をすっぽかしてたのは……」
「ああ、ごめん……寝てたよ。眠くて、起きれなくて、気がついたら約束の時間、過ぎてた」
 柯津生は目をぎゅっとつぶって言い辛そうに答えた。
「どうして、学校に通ってること教えてくれなかったの?」
「誰にも言ってなかったんだ。途方も無い夢だし、恥ずかしかった」


 ちゃんと話してくれてたら、あんなことくらいで別れたりはしなかったのに。

 恋しかった。
 わかりたいと思った。
 私を見て欲しいと、いつも思ってた。
 でも、できなくて、一方通行みたいで、柯津生を悪者扱いすることで、自分を慰めてた。
 ホントは私のことなんか、どうだっていいんじゃないかって、苦しかったよ。
 苦しかったから、
 私は逃げたんだよ。


「このビル、柯津生が設計したの?」
「あ、いや、オレとオレの事務所の先輩と二人で。1級はなんとか取れたから、これから頑張るよ」
「そっか」
 私たちは喫茶店を出て、ビルのエスカレーターを降りはじめた。
 無言のまま、ビルを眺めていた。
 立派なビルだった。柯津生の作品だなんて、信じられないけど、事実だ。尊敬する。軽々しく、褒めたりできないくらいだ。
 一階に着き、人が溢れかえる中、私は柯津生と向かい合った。
 柯津生は、相変わらず何も言いそうに無い。
 神妙な顔つきで私を見ているけれど、きっと何も言ってくれない。

 私は一歩、柯津生から後ずさり、たくさんの人の中でゆっくりと手を振った。

「ばいばい」

 私は思い出した。
 今日はそう、因縁のバレンタインデーだ。



 彼に背を向け、ため息をついた。
 一歩、歩き出した。
 また胸が痛む。
 しこりのようなものが喉の奥まで膨らんで、じんじんした。


 付き合っていたときの柯津生の思い出は、私が甘えて寄り添うと、よく顔を赤くしてうつむいていたこと。不器用なのか、あまり外で手をつないだりしない人だった。
 ぐいぐい引っ張っていってくれるタイプじゃなかったけれど、隣にいて柔らかい気持ちになれた。隣にいることが、心地よかった。
 だからいっぱい一緒にいたかった。時間を共有したかった。


 今日、逢えたのは、また『ばいばい』を繰り返すためだったの?


 もう少しだけ、そばにいたい。
 そう、思う。
 それが正直な気持ち。

 いままでは柯津生のこと、よくわかってなかった。
 ちゃんと知りたい。
 もっと知りたい。
 もっと、そばに……。



 私は踵を返し、柯津生の方を振り返った。
 すると、私の目の前に、彼が立っていた。
 私たちは驚いて、目を丸くしてから、少し笑顔になった。

「どうしたの、柯津生?」
 私は、わざとらしく聞いてみた。
「いや……」
 彼はまた、口ごもる。

 ビルの前、人の波は途絶えることなく、私たちは海草のように揺られていた。

 柯津生は私の手をとった。
「もしも、今付き合ってる人がいないなら、オレと……」

 私はうつむいた。
 うれしくて、頬の紅潮を隠せない。

「もう一回、やり直してもらえないかな……」



 バレンタインデーは女の子が告白する日なのに。

 私たちが付き合い始めた日なのに。

 私たちが別れた日なのに。

 そんなこと全部、頭に無くて、手をギュッとにぎる柯津生。
 顔を上げたら、彼も顔を赤くしていた。
 恥ずかしいよね、こんなに大勢の人の中で。
 でも、きちんと最後まで言えましたネ。


 私はうんと頷いた。
 柯津生の顔に、ほっとした笑顔が浮かんだ。



 胸のしこりは、笑顔で温められ、溶けていった。
 残ったのは、甘いときめき。

 まるで、チョコレートのよう。





<END> 2007.2

<<Home  <<Text  <<Top