| 「自動販売機」 (1) 小雨がぱらついていた。 そこは商店街というほどの通りでもないが、風呂屋に来る人の足を誘うかのように、いくつかの店が並んでいた。 飲み屋、焼き鳥屋、パン屋、駄菓子屋、酒屋。どの店にも用事の無い孝だったが、通りの出口にある自動販売機にはいつもお世話になっていた。そこには3つの自販機が並ぶ。 何処ででも見かけるジュースの自販機。 何処ででも見かけるタバコの自販機。 そして、あまり見かけない、小箱を売っている自販機。 色彩豊かな小箱が8種類、商品名は無く値段だけが書かれている。見る人が見ればわかる、コンドームの自販機だった。 夕刻、風呂上りの乾ききらない髪で、孝は自販機の前に立った。 傘のおかげで顔は隠せる。買うなら今しかない。 もしも孝が都会に住んでいたなら、こんな思いはせずに、気楽に手に入れることが出来ただろう。しかし、ここは隣近所がほとんど親戚と言っていいくらいの小さな町。コンビニも、知り合いのおじさんが経営している。そこでは、同じ高校の生徒とほぼ毎日顔を合わせる。 どうも買いづらい。 女子に見られた日には、言い訳すら思い浮かばない。 おかげで、こんな雨の日に自販機で買うしかないのだ。 とにかく人が来ないうちにと、孝はポケットから千円札を取り出して挿入口へと押し込んだ。くちゃくちゃの千円札がウィーンというモーター音と共に自販機の中に吸い込まれる。 ウィーン。 戻ってきた。 孝は必死になって札をきれいに引き伸ばし、もう一度押し込む。 ウィーン。 一瞬の無音の後、目の前の自販機のボタンが一斉に真っ赤に点灯した。 なぜか、びっくりする。 ジュースだと驚いたりはしないのだが。 いつものやつ…、と視線がその小箱に行った時、背後から声がした。 「孝?」 ギクリとして固まったまま振り返ると、そこにはクラスメイトの要平が立っていた。 孝と要平は無言で見つめ合った。 孝は口には出さなかったが、せっかく傘で顔を隠しているというのに、こんなところで級友に声をかける要平は、なんとも迷惑なヤツだと思った。 そして孝は自販機に向かい、ボタンを押した。 コトコトコト、カタン。 孝は落ちてきたものを確認もせずに掴み取ると、ポケットにねじ込み、要平に場所を譲った。 「じゃ」 それだけ言って、孝はその場を離れようとした。 とにかく、長居はしたくない。 しかし。 「あれえ?」 孝の背後で、要平の妙な声が聞こえた。 「なんだろう、これ」 ふざけたヤツだ。お前もコンドーム買いに来たんだろうが。と、孝は心でつぶやいた。 「おい、孝!」 「名前を呼ぶなよ…」 孝は眉間にしわを寄せて振り返った。 要平は手の中の白いものを、孝に突き出して見せた。 「それ、どうしたの?」 「金入れたら、これが出てきた。」 「なんだ? 封筒?」 「うん。中に何か入ってる。」 思わず、孝は要平から宛名も何も書かれていない白い封筒を受け取った。 念のため自販機の商品取り出し口を確認したが、何もない。 「これだけ?」 「そう、これだけ。」 孝は封筒を持ったまま、自分のポケットの中身も手で探って確認した。さっき自販機から出てきたのは、いつもの小箱だった。当然ながら、こんな封筒には入ってはいない。 孝は要平を見た。 要平の目は、封筒を開けていいよと語っていた。 のり付けされた部分を恐る恐る剥がして開けてみると、便箋に女性らしい文字が並んでいた。 手紙だ。 孝と要平は顔を見合わせてから、すぐに文面へと視線を走らせた。 辺りはもう暗くなっていた。二人は自販機の明かりで数枚に及ぶ手紙を読み始めた。 <ずっと逢えない、啓介へ。あなたにどこに行けば逢えるのかな。いろんなところへ探しに行ったよ。 大嶋神社、二人でよく遊びに行ったでしょ?高ヶ原海岸、夏に花火したよね? ……> 孝はその地名をよく知っていた。この辺りの高校生の数少ないデートスポットだった。ということは、この手紙を書いたのは地元の高校生? 手紙は、その先も延々と、「思い出の名場面集」と「愛の告白」が続いていた。 孝は、今や殆ど見かけなくなった肉筆の手紙に、鼓動が高鳴るのを抑えられなかった。孝の半ば惰性で続いている付き合いとは違い、この手紙の主はどれほど啓介を愛し、尊敬し、求めているだろう。その切なさが痛いほど伝わってくる。 <どうしていないの? 私が悪いから? ごめんね。ごめん。どうなってもいいから、会いたいよ。 明日も、いつも待ち合わせた場所に行こうって思う。“のっぽ杉”の所。明日ダメだったら、あさっても行く。その次も行くよ。ずっと待ってるから。どうか、この手紙が啓介に届きますように。 美夏より > 読み終えて、孝は自分の顔つきが変わってしまったのを慌てて直すように、顔を片手でさすった。 「どうしてこんな手紙が……」 要平は難しい顔をして手紙を折りたたんでいた。そして、傍の空き缶入れに封筒ごと放り込んだ。 「おいおい!」 孝は思わず、その投げ捨てられた手紙を拾い上げた。すると要平は不満そうに言った。 「なんで拾うの? オレ、そんな手紙読むために千円出したんじゃないのに。」 「ああ、そうだなあ。」 たしかに、要平は気の毒だ。自販機が自販機だけに、金を返せと訴えに行くのも、高校生の身の上では少々辛いものがある。 しかし、そんなことは孝には関係がなかった。所詮、他人事である。 それよりも。 この手紙の彼女に会いたい。 会おう。 のっぽ杉に行けば会える。 そのことが孝の頭の中をぐるぐる回っていた。 よく考えてみれば、自動販売機から手紙が出てくるなんておかしい。 どう考えても、おかしい。 ポストと自販機を間違えたか?いや、いくらなんでも、コンドームの自販機と間違うなんて…。しかし、孝の思考は理性よりも本能が勝ってしまった。 これも何かの縁、出会いの一つなんだ。 胸を躍らせ、ポケットにはコンドームと手紙を無理やりねじ込んで、孝は家路についた。 翌夕方、孝は学校から自宅方面へのバスに乗ると、普段は降りないバス停で下車した。そこは神社の脇。少し離れたところに、通称のっぽ杉と呼ばれる大きな杉の木がある。 孝はのっぽ杉へと向かいながらも、どうせ誰もいないだろうと思っていた。しかし、思いがけなく、そこに人影をみつけた。 セーラー服の女子。あれは隣町の女子高の制服だ。 走って杉の木の近くまでやってきた孝は、その数メートル手前で足を止め、息を整えた。女子高生は孝に気付いたが、すぐ視線を落とした。 啓介ではないことに気付いて、がっかりしたのだろう、と孝は思った。 孝は彼女の傍まで歩いて行くと、声をかけた。 「あの…」 美夏さん?と聞きかけて、口を閉じた。 「誰か、待ってるの?」 「え? うん…」 彼女は困惑したように、上目遣いに孝を見つめた。 「彼氏?」 「うん。でも、多分、来ない…」 そう言った後、彼女はまた視線を落とした。 しばらく、彼女はのっぽ杉にもたれて、足元の渇いた砂を見つめていた。夕焼けのピンクに染まる地面に、靴で書いた無数の画があった。 隣で、同じようにのっぽ杉にもたれかかる孝に、彼女はふと声をかけた。 「待ち合わせ?」 孝は、まあね、とお茶を濁した。 手紙のことをどう説明していいか分からず、言葉を探していたとき、彼女はポツリとつぶやいた。 「振られたんだろうな、私…。もう、あきらめる。」 「あきらめるの?」 「うん。」 「好きなんでしょ?」 「うん。でも、もういいの。十分待ったし。心の整理もついたし。」 孝はのっぽ杉から離れ、車道を遠く見渡してみた。 「オレの連れも来ないみたい。帰ろっか?」 笑顔で促す孝に、半ば呆れたような顔をして見ていた彼女だったが、瞳を伏せてうなずいた。 「うん。帰ろ。」 朝、学校へ向かうバスの中、孝は彼女からメールが来るのを待っていた。 昨日、強引にアドレスを渡して帰ってきた孝だったが、あの彼女の様子ならきっとメールをくれるだろうと確信を持っていた。 かなりかわいい子だった。思い出して、孝の顔は自然とにやけていた。 「オレがきっと、彼氏のこと忘れさせてやるから…」 孝は手を握り締めて小さくつぶやくと、辺りを見回した。 この時間のバスは学生でいっぱいだった。同じクラスの女子たちも乗っていた。相変わらず、しゃべり通しでうるさい。そのとき、 ふと、有紀子から電話もメールも無いことを思い出した。三日前までは普通に連絡してきていたはずだ。束縛したがる、あの有紀子にしては、この空白はめずらしい。明日は土曜日。毎週、土曜日は有紀子の部屋に遊びに行くと決めていた。 どうしようか。 孝は迷った。 一応コンドームは買ってあるが、そういう気分ではなくなってしまった。そんなことを考えているとき、孝の耳に女子たちの笑い声が入ってきた。 笑い声と一緒に、奇妙な会話も。 「要平ってさ、浮気調査してくれるらしいよ。」 「どれだけ彼氏が他の女に興味もつか、上手く調べてくれるんだよね。」 なに? 孝は、今の会話をできることなら、リプレイして欲しかった。 聞き間違いであってほしい。 バスが停車した。孝は、急に嫌な予感を感じて身体を揺らせた。 この停留所は。 バスの扉が開いて、有紀子が乗ってきた。そして、その後に要平もいた。 有紀子が、奥に座っていた孝に気付いたが、一瞥をくれただけで、また要平と楽しげに話を始めた。孝はがっくりと首をうなだれた。 同じ日、学校の帰り道。孝はバスに乗って疲れきった表情を浮かべて、窓の外を見ていた。 昨日、同じ時間に、嬉々として降りた、あの神社脇の停留所にバスが止まった。なんとはなしに、バスの窓からのっぽ杉を見た。 女子高生が立っていた。 そうか。 要平は彼女をつかって、何人もの浮気調査をしてるんだなと、孝は空ろな頭で考えた。要平の単純な芝居にひっかかってしまった自分を、孝は呪うしかなかった。 その時、孝の携帯が震え出した。 授業のためにマナーモードにしていた携帯を、孝はそっと取り上げた。 バスは発車した。 見知らぬアドレスからのメールを、孝は開いた。 <昨日は名前も聞かなかったし、私も言わなかったね。わかる? のっぽ杉で会ったでしょう? 今日もなんとなく、のっぽ杉に来ちゃった。でもね、ちゃんと昨日、彼氏にはお別れ言ったんだよ。 電話するの、怖かったけど。うまく言えた。あなたのおかげかも。ありがとう。 AKI☆> 孝は何度もメールを読んだ。 AKI☆……? 何度も読んだが、一向にメールの意図が理解できなかった。 孝が家に付いた頃、有紀子からメールが来た。明日は用事があるからと、デートの断りのメールだった。 孝は有紀子に電話した。 「言いたいことあるなら、はっきり言えよ。」 その言葉で、結末は決定的だった。 直後、「AKI☆」からのメールが来た。 孝は、有紀子と別れた今、このメールは必要以上のアフターサービスだと思った。 <私のメール、昨日、のっぽ杉で会った彼に、届いてますか?> 届いてるよ。オレもさっき、ちゃんと別れました。 そうメールで返した。 そう報告すれば、もうメールは来ないだろうと、孝は思った。 もう自販機で例の物を買うのはよそう。まあ、もう買う必要もなくなったけれど。 そんなことを考えていた矢先、また携帯がメールの着信を知らせた。今日、これで3回目のアドレス。「AKI☆」からだ。 <別れちゃったんだ。そう。おんなじだね。ところで、名前、なんていうの? メモリに名前を入力したいんだけど。今ね、”のっぽ杉の彼”になってるんだよね。> 冗談じゃない、いつまでやってるんだ。 孝はしばらくメールを見ていた。 彼女の寂しげな顔が思い出された。 孝は親指で携帯のボタンをはじき始めた。 <明日、会わない?> 要平の手伝いをしたというなら、それでいい。 でも、もしかしたら。 ひょっとしたら。 無関係かもしれない。 孝はそう思いながら、メールを送信した。 <のっぽ杉で待ってるよ。 孝> そう、これも何かの縁、出会いの一つなんだ。 2 に続く |
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